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ヒトラーが愛した街はマヌケを歓迎しない

今日も仕事が終わる。
時計を見る。
午前0時を回っている。
喧騒を横目に五反田駅に駆け込む。
板橋の家に着くやいなや、汗臭さと仕事の重責を纏ったスーツを脱ぎ捨て、イケてるんだか単にボロいんだか判然としない私服に着替えると、スケボーよりもちょいと小ぶりなペニーを片手に家を飛び出し、タバコの煙をモクモクとふかしながら親友と練馬までの川沿いを滑る。
朝日を背にして帰路に着くも、数時間後にはまた活気を取り戻した朝の五反田へ出社する。

2017年、当時まだエンジニアだった25歳の僕は刺激を求めていた。

もっとクリエイティブな人間になれないだろうか?

いつもそう自問していたものの、やっていたことといえば週に1度明け方まで紙とペン片手に落書きをするくらい。
Instagramを開けば、決して大規模ではないものの自分の描いた絵で展示会を行う友達や、作った曲を路上や小さいハコで演奏する友達や、会ったことはない友達の友達くらいの距離にいるアーティストのイケてるグラフィックアートがタイムラインを流れているのをボーッと眺めては何故か焦る日々。

たまに思い出したかのようにニュース記事をザッピングしていたら目に留まった3単語。

芸術×IT×町おこし

別にこれはHUNTER×HUNTERの旧アニメの話数タイトルではない。
正確には覚えていないしこんな見出しじゃなかったのは間違いないが、ただこの3つのワードは当時の僕を興奮させるのには十分だった。

芸術・先端技術・文化の祭典
『アルス・エレクトロニカ』

2017年9月某日、怒涛の勢いで仕事をこなし、上司の目を気にしながらどうにか取れた1週間の休暇を使って飛行機に乗り込む。

数ヶ月前に偶然知った「アルス・エレクトロニカ(Ars Electronica)」はオーストリアで3番目に大きな街、リンツで毎年行われている世界最大のメディアアートの祭典だった。
(ちなみに1番大きいのはウィーン(ヴィエナ)で2番目はグラーツらしい)

当時の僕はただただクリエイティブっぽいことをしたい病だったので、正直に言うとアルス・エレクトロニカがどういうものだったのかイマイチ分かっていなかったがそんな事はお構いなし。

オーストリアに行く2週間前に購入した"地球の歩き方"を読むまでは公用語がドイツ語だとも知らず、そもそも海外旅行なんて高校生の頃に修学旅行で行ったオーストラリア(オーストリアではなくオーストラリアだ、というところが何ともまたややこしい)のただ一度だけだった僕にとって今回の旅行は僕にとってかなりチャレンジングだった

第3の都市、リンツ

アルス・エレクトロニカ開催の前日、無事リンツに到着。

国内旅行すら殆どしたことなかったのだが安く泊まれる宿を押さえることに成功。しかしアルス・エレクトロニカが開催される街から数駅離れた宿の周りには観光客もほぼいない。

空港のタクシー乗り場で声をかけた、同じくアルス・エレクトロニカ目的の日本人大学生の男の子が偶然にも同じ宿に宿泊していたので寂しい一人旅は一時休戦。うすら寒い空の下、2人で宿の周りを練り歩いては持ってきていたNikon D750のシャッターを切った。

日が暮れる頃になるとワクワクを抑えきれない気持ちが顔を覗かせ、フライングではあったものの翌日からアルス・エレクトロニカが開催される街まで学生くんと電車を乗り継いだ(当イベントは数日間に渡って行われる)。のどかな田園風景が徐々に街灯の目立つ景色に変わっていった。

駅を降りてしばらく歩いていくとドナウ川の対岸には、深い夜の街の中に人類が獲得した電気という文明をこれでもかと見せつけるが如く、アルス・エレクトロニカ・センターはあった。

この日は少しだけ中に入って、展示されていたいかにもそれっぽいアート作品を目の当たりにして後ろ髪に引かれつつ宿に戻ることに。
明日になればこの街には多くの世界中から多くの観光客が集まる。高まる胸とは裏腹に僕の腹の底ではフツフツと疑念が湧いていた

翌日は学生君と時間を合わせて朝食を取り、歓談もそこそこに宿を出て、昨夜と同じ駅まで電車で向かった。
アルス・エレクトロニカ・センターだけでなく色々な建物の中に世界各国からのアーティストやクリエイターや科学者が自分の研究の成果を御披露目していた。

自分はクリエイティブな人間ではないのかもしれない

クリエイティブってなんだろう?
数々のメディアアートを目の当たりにした僕の頭の中にはその疑念が渦を巻く。

ニューメディアアート、メディアアート(New media art, media art)は、20世紀中盤より広く知られるようになった、芸術表現に新しい技術的発明を利用する、もしくは新たな技術的発明によって生み出される芸術の総称的な用語である。特に、ビデオやコンピュータ技術をはじめとする新技術に触発され生まれた美術であり、またこういった新技術の使用を積極的に志向する美術である。(引用:Wikipedia)

世界各国のクリエイター達は当時の最新技術を使って様々な未来の片鱗を見せてくれた。
ペンを取り文章を書き上げるアームロボット、歩幅や歩速を感知して音の鳴る回廊、人間の顔を認識して油絵風にしてくれるカメラなどなど。

日本からはアーティストのやくしまるえつこさんによるバクテリアの塩素配列を元に楽曲制作された『わたしは人類』だったり、
メディアアーティストであり筑波大学教授でもある落合陽一さんによる触れる空中ディスプレイ技術「Fairy Lights in Femtoseconds」だったりと、
様々なメディアアートを見せつけられた。
(ちなみに恥ずかしながらこの時の僕はやくしまるえつこさんの曲は少し聴いたことがある程度、落合陽一さんに至ってはこの時まで知らなかったのだ)

その他にもアーティスト自身の血液を使った作品や教会の中に設置された鯨を模した作品、ギターに改造した扇風機での演奏など僕の理解の範疇を軽々と超えた作品の数々。

僕の英語力は人と会話はできるけど専門用語はさっぱり分からない状態であったにも関わらず、展示作品の説明文には英語とドイツ語のみ。パッと見で分かりやすい作品もあればなんの装置なのか何度眺めても分からない作品もあった。

当時は恥ずかしくて言えなかったが、今なら開き直って堂々と言える。

僕は何一つとして理解できなかった

当時の僕が思い込んでいたアートとはもっと写実的だったり印象的であったり、乱暴に言えばもっとイケてるものだった。
しかしアルス・エレクトロニカに出展されていた作品は簡単ではなく、人類の未来を大きく変えるかもしれない科学と創造の融合をアートとして提示することによって大衆の心を惹きつけるというコンセプトだった(と思う)。

結論を言ってしまうと、数ある作品鑑賞によるリターンは「僕は無知なマヌケだ」という事実を突きつけられることだけだった。

アルス・エレクトロニカの街を後にすると僕はとある飲食店にいた。一緒に食事をしたメンツは宿が一緒の学生君ともう1人、後に脱サラして映画プロデューサーとなる博報堂勤務の玉井さんだった。実は学生君と空港で知り合った際に玉井さんにも声をかけていたのだ。

玉井さんは僕よりも何歳か歳上で知識も豊富でとても器量の大きな方だったので、率直な質問を投げかけてみた。

なぜリンツという街はアルス・エレクトロニカを開催しているのか?

そこには第二次世界大戦で猛威を振るったナチスのヒトラーが背景にあったのだ。

ヒトラーはドイツの政治家として大変有名だが、実は出生はオーストリアで、リンツに住んでいたという事実があり、第二次世界大戦後にもなるとその事実は世界にも知れ渡る。
第二次世界大戦の結果は知っての如く、日独伊三国同盟が敗れヒトラーは戦犯となった。
通常、こと観光においてあらゆる街はその土地の名産品や歴史をアピールして観光客を虜にするのだが、このオーストリアのリンツという街においては違った。ヒトラーの愛した街だったからだ。

ヒトラーの愛した街

ヒトラーという忌むべき過去があるこのリンツにとって、過去や歴史は振り返りたくとも振り返れないものであった。
過去を振り返れないという、観光業においては相当なハンディキャップを背負った街の人々は、過去がダメなら未来を売りにしようという発想のもと、未来を創る先端技術と芸術の祭典、アルス・エレクトロニカを開催することになった。

リンツで得たものとは

これが僕がほぼ初めての海外旅行であった。
リンツの他にはウィーンにも行ったりしたのだが、建造物の歴史も知らない僕は西洋建築の造りにしか感動できず、旧友と偶然の再会を果たしてはしゃぎ回るだけだった。

この旅行で僕に残ったものは
・僕は無知でマヌケだということ
・消したい過去は未来で償えるということ

だったと思う。

旅行で知れることは人それぞれだとは思うが、旅行って色んな意味で素直に良いなと思えた。
それらに気付かせてくれたオーストリアのリンツという街は一生忘れない。

長文・駄文にお付き合い下さった方、どうもありがとうございました。
せっかくなのでこの旅行で撮ったリンツとウィーンの写真を少しだけ納めておきます。

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