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鮭おにぎりと海 #74

<前回のストーリー>

母は短い闘病期間の末、初夏に差し掛かった頃になって、星の一つになった。

大学2年生になってから迎えた新しい年は、なんだか葛原家にとって重苦しい始まりとなってしまった。母の容態は、昨年にもまして悪化していたからだ。私自身は、あまり大学にも顔を出せない状態でバイトでお金を稼ぎ、家事をこなし、合間で母が入院している病院に顔を出すようにした。

そのくらいから、母はどこか遠い目をするようになった。病院の窓から、ずっと遥か彼方先を見るようになった。どこか何かを悟ったような顔をした。母の前ではとにかく辛い顔を見せてはいけないと思いながら病院までの道を歩くのだが、いざ母を目にするとうまく笑い顔を作ることができなくなってしまう。

母はぽつりと、「家に帰りたいなあ。」とつぶやくことが増えるようになる。

最期の時を迎える瞬間、まるでその姿はただ眠っているだけのような、穏やかな顔をしていた。窓からは、柔らかい日差しが差し込んで彼女の顔を包み込んで、何か祝福されているような不思議な雰囲気だった。

母を愛していた父は、娘の私から見てもひどく狼狽した顔をしていた。

12月の中旬から1月にかけて、母が入院したことの影響でとにかく大学に通う暇がないくらい忙しかった。あえてあくせく動き回ることで、現実から逃げようとしていたのかもしれない。

それでも、2月に行われた大学の定期試験に関しては、友人の楓の助けもあって思っていたほどひどい結果にはならず単位もほとんど取得することができた。そのため、晴れて新しい学年に進むことができた。

定期試験が終わって、春休みとなる。そして桜が満開になり始めた頃に、ようやく母に対して外出許可が降りた。久しぶりに我が家に帰ってきた母は、病気になる前と同じように陽だまりのような笑顔を浮かべて、家に再び光をもたらした。たおやかな母の挙動や言動一つ一つに、これで平穏な日々が戻ってくるかもしれない、と淡い期待を抱いた。

私が住んでいる場所の近くでは、春になるととても美しい桜の花が舞う桜並木がある。その下を母と妹と私の3人で一緒に歩いた。桜の花びらはハラハラと舞い、それはそれは美しい光景だった。

「南海、あなた今日も星型のピアスつけているのね。」

--- 母が入学祝いに買ってくれた、ピアス。

「うん、これ私のお気に入りだもの。」

そういえば、このピアスを一度だけ大学で無くしたことがあったっけ。その時はたまたま通りかかった男の子が一緒に探してくれた。ちょうど一年前くらいのことになるのか。その日をきっかけにして、しばらくお昼に学食で一緒にご飯食べたり、時々出かけたりしていた。なんだか遥か昔のことのように感じる。

「南海、今わたしが家を留守にしていて色々家まわりのこととか大変だと思うけど、学校には前と同じように通うのよ。わたしのことを言い訳にして、学校を休むのはお母さん許さないからね。」

母は真っ直ぐにわたしの目を見ていた。ここでいい加減な答えを決して許さない、と言った感じの眼差しだった。目に、光が宿っていた。

「うん、わかった。」

「約束よ。」

「うん。」

母はだいたい1週間程度、家にいた。病院に戻って数日してから、手術に臨んだ。術後の母の体の具合は良好だと担当医の人は言っていたのだが、それでも手術後の母の様子はあまり改善したように見えなかった。少し体を動かすのにもとても辛そうな具合だった。

わたし自身は、家事だなんだと毎日忙しかったものの、それでも母との約束だったので大学3年生に進級してからは真面目に大学に通った。大学1年と2年の時は戸塚に校舎があったのだが、3年からの2年間はお茶の水に校舎が移る。それなりに距離があって、大変だった。

それでも、街自体はとても好きだった。日本屈指の古本街である神保町が目と鼻の先にあったし、わたしの好きな雰囲気の喫茶店がたくさんあったから。

ある時、お昼ご飯がてら「ラドリオ」という喫茶店に入る。温もり溢れる木で作られた扉を開くと、そこになんと戸田生粋くんがいた。一時期一緒に学食でお昼ご飯を食べていた子だ。

彼は、わたしの視線に気づかない様子で熱心に本を読んでいた。

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