ビロードの掟 第36夜
【中編小説】
このお話は、全部で43話ある中の三十七番目の物語です。
◆前回の物語
第七章 ビロードの掟(2)
「これは──これは一体どういうことなのか、きちんと説明してくれないか」
凛太郎は頭の中がひどく混乱していた。確かに自分の目の前にいたのは、かつての恋人だった。いつか一緒にいた時と同じ面影がそこにあった。彼女が着ていたのはあのビロード生地で出来ているという深紅のワンピースだった。
だが、なぜ彼女がこの世界に留まっているかが理解できない。
「やっぱりリンくんはきちんと私のこと探しにきてくれたんだね。なんか嬉しいよ」
「ちょ、ちょっと待って。俺は確かに君のことを探してここまで来たわけだけど、今自分の身に何が起こっているのか全くよくわかっていないんだ」
優里は落ち着き払った様子で、凛太郎の言葉を聞いている。
「優奈の言う通りに白い招き猫を持ってきたら、それが光を帯びてリアルな猫に変わって──。それから猫の跡を追ってきたんだ。その先にある世界は、俺がこれまで見てきたものと180度違った。何が何だかさっぱりだよ」
憔悴しきっている凛太郎を見て、どこか優里は嬉しそうだった。彼女の右目の下には確かにホクロがあった。彼女が纏っている空気は不思議な落ち着きをもたらす。普通に考えたら、異様な状況であるはずなのに。
「どこから話したらいいかな──?私、順序立てて物事を話すのは苦手なんだよね」
優里は少し困ったような顔で、右頬を指でポリポリと掻いた。だんだん凛太郎も気持ちが落ち着いてきた。
「芹沢さんから聞いたよ。君の両親、君が高校生の頃離婚しているんだってね。俺が君と付き合っている時、親御さんに会いたいと言ってもどこか言葉を濁していたのはそういう訳だったんだね」
「うん、そう。まあ本当はもっと早く言っても良かったんだけどね。なんか話すタイミングを失っちゃって」
「──で、ご両親が離婚するきっかけ。高校生の頃に君の妹である優奈が、事故に遭ってしまったことがきっかけということも聞いた」
「そう。彼女は幸いにも一命を取り留めたんだけどね。ちょうどあの頃、私クラスでちょっとした嫌がらせみたいなのを受けてて、気遣ってくれる優奈にきつく当たっちゃったの」
いつだったか、凛太郎が優奈に優里の思い出話をしてほしいと言ったときに、彼女が言っていた言葉を思い出した。凛太郎は同意を示すために、軽く顎を引く。
「そしたら少しして彼女は帰り道の途中に、車と正面接触して病院に運ばれたの。あの時は本当に思い悩んだわ。私が優奈に甘えすぎたせいだとも思った」
──病院に駆け込んだ時、優奈は生死の境をいっとき彷徨い、命の危険にさらされていると医者は言った。優奈は私にとって、本当に自分の命と換えてもいいというくらい大切な存在だったの。
高校の時、私はどちらかというと割と天真爛漫というか、自分で言うのも変だけどとにかく明るく振る舞う女の子だった。
たぶんそれが、クラスのボス的な女の子の鼻に触ったのね。教室の中で爪弾きにされたような感じになって、私はその時なんてことないふりしていたけど胸の中がシクシクと痛んで。家に帰ってよく優奈に愚痴を聞いてもらってたわ。
幸い、彼女は目を覚ましてことなきを得たけど、右腕と右足にひどい大怪我を負ったの。
リハビリしてきちんと歩くまでに数ヶ月かかった。傷跡も残ってしばらく塞ぎ込んでいた。当時日本の医学では彼女の体をきちんと元通りにすることができなくて、アメリカで彼女は単身手術を受けることになったの。
「お父さんとお母さんは私がクラスから嫌がらせを受けていることをなんとなく知っていたみたいだし、優奈も事故に遭ってきっとお互いを責め合ってしまったのね。それからすぐに離婚をした。優奈の手術代については別れた後も折半してたみたいだけど。人って、余裕がなくなるとほら、なかなか正常な思考ができなくなるから」
何もできなかった自分がただただ歯痒かった。そして私は自分自身を責めた。明るい日の下を歩く資格なんて、ないと思った。結果一年くらい、私は高校卒業することなくしばらくぶらぶらしていたの。
人生、詰んだなと思った時にアメリカで手術を終えた優奈が帰ってきた。
彼女はまだ完全には傷跡が治りきっていなくて恥ずかしかったのか、腕と足をできる限り露出しないような服を着ていたわ。
でも、彼女ね。姉妹の私もびっくりするくらい以前とは違う人間になっていた。アメリカに行って新しい文化や価値観に触れて、自分を取り戻したのかもしれない。優奈からは漲るような自信の塊を見たの。
彼女は一時帰国をした後、やりたいことがあると言って再び渡米した。その姿を見て私自身、心の底から再び生きる意思みたいなものが湧き上がってきたのね。
今思うと、不思議。昔のように、無邪気に振る舞うことはできなかった。できる限り周囲を伺う癖がついちゃったけど、優奈を見て前を向かなきゃと思った。それから猛勉強して、大学に入ってあなたと出会った──。
優里の独白を聞いて、凛太郎は自分の脈拍がトクントクンと脈打つのを感じた。彼女はきっと、一人で抱え込んでいたはずだ。
「そんなこと、全然知らなかった。ごめん」
「ううん、悪かったのは私。私ね、きっと結局自分のことしか考えられていなかったんだと思う。知らず知らずのうちにあなたのことを傷つけてしまったんだね」
凛太郎は徐々に状況がわかってきた。おおよそ現実から離れた、自分たちがいるこの世界。きっと目に見えるものだけが全てではない。彼女はこれまでどれだけの痛みを抱えて生きてきたんだろう。自分はそのことに気づくことができなかった。そして、あの日も──。
「海で会った時、あれは君だったんだね優里」
優奈と会っていたときに時折感じる違和感を思い出していた。
その他の状況と照らし合わせながら、凜太郎は少しずつ状況を整理し、やがて自分なりの真相に辿り着きつつあった。
<第37夜へ続く>
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