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ビロードの掟 第35夜

【中編小説】
このお話は、全部で43話ある中の三十六番目の物語です。

◆前回の物語

第七章 ビロードの掟(1)

 灯台を登りきった先は、不思議な空間に包まれていた。まず驚いたのが、その世界は明るいということ。

 先ほどまで夜だったはずなのに、その場所は全体的に昼間かと思うほど真っ白な光に包まれている。

 頭上には黄色い月ではなくて、黒い月がぽっかりと浮かんでいた。ザァザァと音がするところを見ると、おそらく近くに海がある。どこからか懐かしい匂いがしてくる。

 辺りを見渡すと、見慣れない景色が広がっている。凛太郎は砂浜の上に立っているのだが、人工物と自然が融合したかのように不自然な形で建物や木々が配置されていた。おまけに上下逆さまで浮かんでいるものさえある。

 ある場所は光に満ち溢れており、ある場所は雨が逆さまに降っていた。

 ──まるで、秩序が失われた世界だ。

 気がつけば凛太郎の先を歩いていた白猫の体毛も、黒色に変わっている。どうしたものかとその場に立ち竦んでいると、遠くから人らしきものがゆっくりと凛太郎の方へ近づいてくるのが見えた。

 白猫も先へ進むことなくその場で立ち止まり、しっぽをゆらゆらと揺らしている。やがて人らしきものは輪郭を帯びた形で凛太郎の前に立った。

「あ、またこの世界に迷い人が来てしまいましたか」

 凛太郎の元へ近寄ってきた人物は、丸い縁の眼鏡をかけていた。不思議とどこかで見たことがあるなと思っていたら、そういえばドラえもんに出てくるのび太くんに似ている。

「あの、ここは──」

「ここはあなた方が生活しているもう一つの世界です。それにしても困りましたね。どういう経緯かわかりませんが、ここから元の世界に戻るには骨が折れますよ」と言って、青年は凛太郎の足元を見る。

 黒猫に目を向けた瞬間、のび太くんによく似た男性はハッとした表情になった。

「あなたは『案内人』を連れているんですね。失礼しました」

 青年は慇懃いんぎんに礼をして、「それではあなたを探し人のもとへお連れいたしましょう」と言ってゆらりと歩き始める。

 凛太郎は何が何だかよくわからないまま男のあとをついていく。足元には黒い猫がぴたりとくっつき、凛太郎と一緒に青年の後ろをついていく。

 やがて景色は目まぐるしいくらいに入れ替わっていく。最初は白だと思っていた周囲の景色も、赤、緑、青、オレンジ、黄色、といった形でさまざまな色に変化していく。

 色が変わると同時に断片的な映像のカケラが現れては消える、といったことを繰り返す。その映像はどこかで見かけたことがあるような、一方でどこか異世界とも知れぬものを映し出していた。

「何だか不思議な場所ですね」

「まあ初めてきた人は皆さんそうおっしゃいますよ」くつくつと青年は笑った。

「ちょっと特殊な空間ですからね。人の感情を寄せ集めている。喜び、悲しみ、怒り、妬み……。きっとあなた自身も、時と場合によって感情がコロコロと入れ替わるでしょう?それと似たような感じです」

「なるほど。原理はよく分かっていませんが、色が変わる瞬間なんとも言えない胸騒ぎを覚えます。それと、あちらこちらで次々と切り替わる映像はなんですか?」

「『パラレルレコード』ですね。この世界には、他の世界で起こりうる出来事が同時発生的に全て記録されています」

 どこかSF映画を見ているような気分になった。夢ならば早く醒めてほしい。そもそもここからどうすれば元の世界へと戻ることができるのだろうかと凛太郎は気が気ではなかった。

 青年は休むことなく歩き続ける。もはや凛太郎は自分がどこにいるかがわからない。すると、ついにひとつの人影が見えてきた。それはどこか見覚えのあるフォルムだった。

「はい、お連れしましたよ。この方どうやら、あなたを追いかけてここまできてしまったようです」

 青年は人影に向かって語りかける。

「あ、ありがとうございます。こんなところまでご案内いただきまして──。なんとお礼を申し上げたら良いか」

 そう言ってくるりと振り返った彼女は、かつて凛太郎が最も親密かつ深く時間を過ごした相手だった。当時の記憶よりも、少し髪が伸びて大人びたように見えるのは気のせいだろうか。

「──優里」

「あ、見つかっちゃったみたいだね」と言って優里は軽く舌を出して、はにかんだ様子で凛太郎に笑いかけた。

「リンくん、私あなたが来てくれるんじゃないかって何となく思ってたよ」

 ザァザァと聞こえる音が果たして波の音なのか、激しく降る雨の音なのか凛太郎は判断ができなくなっていた。目の前にいる彼女は、間違いなく優里だ。この先も一緒にいたいと、心の底から思っていた人。

 凛太郎の顔の横で、小さな映像のカケラがパチンと弾ける。胸をギュッと掴まれたような気持ちになった。

<第36夜へ続く>

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