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スーツに袖を通す時

スーツに袖を通す時、
僕は息苦しさを感じる。

コロナ禍の影響もあってか、今日まで在籍していた会社では、2018年ごろから徐々に始まった装い改革が、文字通り一気に加速した。

普段はラフな服装で、ダボダボのTシャツにスニーカー、サルエルパンツかジョガーパンツで出勤するのが僕の定番スタイルである。

スーツで出勤するとき=会社での大きなイベントがある時、に絞られる。

昇進時の試験や面接であるとか、異動時の挨拶、辞令通達など堅苦しい場面だ。

当然スーツを身につける時は、クールビズ期間以外はネクタイ着用であるから、物理的な息苦しさがある。

ただそれよりもスーツを着ることで、悪い意味で身が引き締まる。

「あれ!珍しいじゃん!今日なんかあんの?」
「今日昇進試験の面接なんですよー、だからスーツで」
「あ、そうなんだ!頑張ってね!」
という、毎回お決まりのやり取り、必須イベントが発生する。
そのせいで、仕事も止まるわ、落ち着かないわ、余計に身も心も堅苦しくなるわ…で良い事が無い場合が多い。

そして、1日が終わって帰宅する。
スーツを着た日は何故か普段の倍疲れた気がしてしまうから不思議だ。
だから、帰宅後すぐに部屋着に着替える。
この動線はスーツを着ていた時の鉄板の動きとなっている。
身体に余計な力が入りスーツを脱ぐ時の開放感はいつも、一番風呂に入る気持ちよさを感じる。
それほど身体的と心理的な息苦しさが感じられる。

僕自身もよく理解できていないのだが、無駄な力みが身体全身に入っているのだろう。
そして、堅苦しいイベントから解放されたと実感できる時が、スーツを脱ぐ時なのだ。

ただスーツを着ることによる良い面もある。
単純に痩せて見えるということだ。

僕はこの会社に在籍して8年間となるが、その間に寛大な心と共に、身体的に25キロの成長を遂げた。
その源はミルクティーとドクターペッパーにあるが、緩く自由な社風が僕の心と身体を解放し、現在の完全体とも言える体型へと昇華した。
ちなみに、身長もまだまだ成長段階であり、入社から2センチのびた。
僕には、まだまだのびしろがある、自分自身の成長は自分自身が一番楽しみにしている。


スーツに袖を通す時、
僕は決まって大きな区切れの時となる。

僕は明日、3度目の入社日を迎える。

初めてじゃないだけマシだろう、そう思っていた事もあったが、ある程度年齢を重ねた方が、より緊張することもある。

入社日については余計にそう感じる。
30代の入社は、新たに入社する企業からは期待され、同期もいるか分からない、できあがったコミュニティの中に身を投じる。
僕は緊張しいだから、新たな環境はやはり勝手にプレッシャーを感じている。

大学を卒業してから、5年会社に勤めた。
あまりの残業の多さに、家庭も身体も崩壊寸前になっていたが、何故か「良い会社だ!」「残業代も満額出る、同世代よりも給料が高い」と思い全然辞める気にならなかった。

辞めるきっかけとなったのは妻の存在だった。

結婚に向け同居をスタートした時、自分がおかしな働き方をしていると言うこと、恵まれた環境に置かれてるとは言い難いこと、何より自分の体調がおかしくなっている事に気が付いた。

安定してワークライフバランスを考えられる環境を求め、すぐに転職活動を始めた。
そして新たな会社に勤め始めた。
次の会社では8年間在籍していた。
新たな会社は職場環境も働き方も全て恵まれていた。
ただ、良くも悪くも細く長く働ける会社だった。
頑張っても給料は増えないが、頑張らなくても給料が減る事もない。
当然クビになる事もない。
健康で犯罪さえしなければ良いのだ。

安定していた環境を求めていた僕からすれば、定年までこの会社で働いても良いと思っていた。
しかし、僕が頑張ってしまう性格であることが良くなかった。
いや正確には、頑張っている姿を周りに評価してもらいたい、いわゆる承認欲求の強い人間であることを、自分自身が理解できていなかった。
とにかく仕事を全力で頑張った。
それなりに評価もしてくれていたと思う。

ただあることを境にこの会社で、ある時精神を病んだ。
端的に言うと業務不適合とパワハラによる、抑うつ状態、即入院だった。
その病気が原因で、降格に近い処分を受けた。

何故この様な目にあうのか、理解できなかったこと、今までの評価が全て無駄になってしまう様な感覚、そしてそれら全ての決定を下した会社への嫌悪感が凄まじかった。

家族の支えもあり、何とか普通に生活できるレベルまで、健康な身体を取り戻した。
ただ、会社への嫌悪感は無くならなかった。
むしろ何のために仕事をするのか、取り繕った笑いしかできない、心から笑ない自問自答する日々が続いた。

それを打開するきっかけとなったのは、またしても妻だった。
転職することを前向きに考えていると言う言葉が何よりも心の支えになった。

30を過ぎての転職は正直勇気のいる選択だった。
家庭もある、子供の成長資金や老後資金の心配もある。
それら全てが不安材料となった。

しかし、僕は妻と共に一歩踏み出す決意を固めた。
このことに心配がないわけではない。
でも、全く後悔はしていない。
後ろを向く人生にはもうしない。
前だけを見て突き進んでいきたい。
僕にはまだまだ見ていない、未開の地が多くある。
そこを開拓し、自分の居場所を自分自身の力で発見していきたい。
そして心から笑える、そんな場所を見つけたい。


スーツに袖を通す明日は、
僕の決別の日となる。

僕は新たな一歩を踏み出す。
気負い過ぎない様に、
自分自身を見失わない様に、
そして、笑顔を忘れないように。

明日1日から始まる新たな人生を楽しんで、振り返った時に良い一歩を踏み出せた。
そう言える1日にしたいと思う。

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