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自分の「夢」語れていますか?

ARALABOファンの皆様!
いかがお過ごしですか?

この記事を書いている僕は、大学時代の同級生に会いに、そして、僕よりはるかに早く経営者となり、成功を収めている彼から学びを得るために人生初の青森県にいます😁
(つい最近出会った仲間も青森県出身だった😆)

久しぶりの再会はいつでもそうだが、昔のままの部分と変わった(成長した)部分の両方を見て、聞いて、感じて。刺激がもらえる時間になります🧐

そして、その同級生が東京にいる同級生に電話をしてくれた時に
「ARALABO読んでるよ!!」とのこと🤩
思い返してみると、最近インスタのフォローが彼からありました!!
この話はめちゃめちゃ嬉しかったです!!

※インスタはこちらから⬇︎


ARALABOインスタ

相変わらず、僕は人に恵まれているなと改めて思いました!!

ドリームキラー?
ドリームサポーター?

さて、僕は、自分のやりたいことや、夢を語る、
もしくは口に出したときに、
「お前じゃ無理だ」
「いい加減まともな仕事につけ」
「いつまで遊んでんだ」
などと言われてきました。

いつも悔しい思いをしながら、
僕自身が周りを納得させたり、
応援してもらえるような
成果が出せていなかったのかなと思います。

もちろん、親を含めて僕の周りの大人たちは
僕の将来を心配してくれての言葉だったと思います。

なんなら、僕もかつては関わった選手が
サッカー指導者になりたいと僕に言ってきたときは
必ず「やめとけ」と伝えてきました。
※言い訳として、食っていくことが難しい、世界だと思っていたからです。それでも、やる奴は逆に大丈夫だと思っていました…

私自身の体験からくる在り方

僕は
「あなたの夢はなんですか?」
と聞かれたときに答えれなくなっている自分がいました。

最初は言っても理解してもらえない、
分かってもらえない
だから言うのやめておこう
くらいで意図的に止めていたものが、
いつの間にか夢を語るということ自体に
蓋をし始め、つい最近までは
言葉にすらできなくなっていました。

何が常識か分かりませんが、
大人や社会の当たり前に枠をはめ込んでいくと、
心は失われているということを実感しました。

目標達成をする人の共通項

本日のタイトルでも書きましたが
まさしく「夢を語ること」=口に出すことです。
自分が思考を感情をしゃべることでアウトプットされ、
言葉として表現されます=言語化
言語化することで自分がなぜそれらを達成したいのか、掴み取りたい理由が腑に落ちたり、自分自身の中での理解が深まります!!
そして、言葉にするということは音声になり、その言葉を1番最初に聞くのは自分です。
聴覚で入った情報が、脳に認識される距離とスピードが最短最速なのは自分の言葉です!!
昔から言霊と言われるものがあるかと思いますが、この辺りが理由の一部だと思います!!
(あとはしゃべっていくことで、周りに伝わるということもありますね!)

僕の大好きなキング牧師のスピーチ😭
あまりに有名ですが、記します!!

― I Have A Dream! ― 私には夢がある!
「 私には夢がある 。それは 、いつの日か、ジ ョ ー ジア州の赤土の丘で 、かつての奴隷の息子たちとか つての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。

私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と 正義のオアシスに変身するという夢である。

私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのも のによって評価される国に住むという夢である。

今日、私には夢がある。

私には夢がある。それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも 、いつの日か 、そ のアラバマでさえ 、 黒人の少年少女が白人の少年 少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。
今日、私には夢がある。」

引用:About the USA http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-majordocs-king.html
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/1418/00121109/06-4_kyozai_9_anatagataisetunisuru-shiryo2.pdf

本当の応援と信頼って?

ただ、口に出した時に大事なのは
周りにどんなリアクションをする人がいるかです。
まさしくドリームキラーなのか
それともドリームサポーターなのか。

大人になってから、
本気で夢を語り合える、信頼できる人はいますか?
人を想う幸せ。人に想ってもらえる幸せ。
すなわち、夢を応援してくれ、自分らしくていいと言ってくれる存在。

僕の40歳離れた師匠は、そういう人でした。
40も離れた若造の取り組む姿勢と熱意を買ってくれ、僕が表現したいことを全て表現さしてくれました。

ときには、苦しい厳しいフィードバックをもらったこともありました。
けど、そんな日は必ず、夜遅くに、
「アラちゃんごめん、アラちゃんの想は伝わっている。だからまた明日からも頼むな」
こんなメールが来てました。

僕はこの人の為なら
いくらでも頑張れると思いました。
この人の力になれるなら、
どんな事でも力になりたいなと思いました。

こんな経験をさせてもらったからこそ、
大人になって、社会に揉まれ、自分の夢を否定され、自分自身の存在も矯正され
「お前は甘い」「これから先どうすんだ」
そんなドリームキラーと闘いながら、自分自身の可能性を信じ続けている、諦め切れない人たちの力に絶対になれると思います。

願いや想いを託すのか、追い求め続けるのか

僕の世代も
ご自身の子供が小学生位になってきており、
話をしてて感じるのは、
自分の夢を自分の思いを自分の願いを
子供に託している人が多いかなと感じます。

仮に仲間の子供たちがサッカーをしている場合
それは決して、プロにしたいとかということではないです。ただ、目の前の試合に勝たせてあげたい、成長して欲しい、楽しんでもらいたい
このような願いが根底にはあると思います。

一般化はできませんが、
やっぱりみんなやりたかったことや
実現したかったことがあるのかなと思います。

もしあるとしたら、大人になっても、
そんな夢を実現しようと頑張ったり努力しているそんな大人たちの姿を見た子供たちはどう思うでしょうか?

逆に、自分が痛い目にあったからこそ、
心配する気持ちはわかります。
「やめておけ」
「お前には無理だ」
「そっちに保証があるのか」
言いたい気持ちはわかります。
ただそれを言われ続けて育つ子供たち、
または子供たちの作っていく未来や世界は
どんな景色なんでしょうか?

逆に大人たちが形や方法は変われど、
自分の夢を見続け、実現しようとする姿や姿勢を
見てたら、何か感じるものはあるんじゃないですか?

もちろん生きていくため、
生活していくため、養うためにお金が必要です。
(僕自身も起業直後は収入がなく、バイトをせざるを得ない状況だったので、痛いほどわかります。)

けど、それでも諦めきれないものがあったんです。
サッカーを通じてが伝えられなくなってしまいましたが、
コーチで在り続けることだけは諦めきれなかったんです。

だからこそ、皆さんの諦めきれないけど、
心に蓋をしてしまっているもの。

これを目にしてくれた方で、
心がざわついた方は
ぜひこのARALABOと
僕の存在を思い出してほしいです。

そして、気軽に僕に連絡してみるという
夢に向かっての大きな一歩を踏み出してください!!

僕と一緒に夢を語り、
自分らしく、
人に関わり、
思い描く未来を作る。
そんな未来を共に作っていきましょう!!

これが「今」の僕の「夢」です!

お後がよろしいようです

あなただから作れる未来を共に創る

日常に活力と笑顔を

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