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書評など

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2021年8月の記事一覧

馬、その比喩的存在 寺山修司『馬敗れて草原あり』(角川文庫)

馬、その比喩的存在 寺山修司『馬敗れて草原あり』(角川文庫)

 このところ日曜日になると、寺山修司のエッセイ『馬敗れて草原あり』(角川文庫)を読むことが多い。林静一の装画があしらわれた旧版を読んでいる。寺山修司の文庫というと一時期の角川文庫の、林静一の装画という印象がある。

 日曜日に『馬敗れて草原あり』を読むのは、日曜日には競馬があるからだ。もちろん土曜日にも競馬はある。そんなことを言えば、地方競馬は平日にも開催されている。悲しいことに、にわか仕込の競馬

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架橋としての翻訳 イボ・アンドリッチ『イェレナ、いない女 他十三篇』(幻戯書房)

架橋としての翻訳 イボ・アンドリッチ『イェレナ、いない女 他十三篇』(幻戯書房)

 ボスニアに生まれ、東欧諸国を渡り育ち、ユーゴスラビアの最期を見届けることなくこの世を去った作家イボ・アンドリッチ。本書は現在のところ史上唯一となるセルビア・クロアチア語によるノーベル文学賞作家の作品を精選、訳者のひとりである山崎佳代子氏による詳細な解題を付した決定版と言うべき選集である。
 移動する国境線、並存する信仰、人種や文化の不和から生じる紛争、それらを繋ぐ希望の象徴としての〈橋〉。名高き

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小説に穿たれた鏡合わせの滝 小林エリカ『最後の挨拶 His Last Bow』(講談社)

小説に穿たれた鏡合わせの滝 小林エリカ『最後の挨拶 His Last Bow』(講談社)

 小林エリカが『最後の挨拶 His Last Bow』と題した小説を発表した時「これは読まなければならない」と身構えたひとがどれほどいたでしょうか。幸運なことに、私はそのひとりでした。
 日本シャーロック・ホームズ・クラブを結成するほどのシャーロキアン(シャーロック・ホームズ愛好家)であり河出書房新社版『シャーロック・ホームズ全集』を共訳した小林司・東山あかね夫妻。かれらの子女であり、複数の領域に

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完璧な短編小説と、あの夏 竹西寛子「鶴」

 完璧な短編小説があるとすれば、ということをたわむれに考えることがあります。完璧な短編小説があるとすれば、それはどのような小説でしょう。優れた短編小説、心に残っている短編小説はいくつも浮かびます。傑作と呼ぶに足る短編小説も。しかし、それらは完璧だったでしょうか。過不足なく、すべてが具わっていること。短編小説を完璧たらしめるものとは何か。
 何度も読み返す短編小説が、いくつかあります。幾度もの再読に

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