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徳川家の影響力は失われたのか?

140文字オーバーで、これは単に題材提供程度です。

見出し、侍従長徳川義寛・・・と書いてあるそれ、
『朝日新聞社編 天皇ご在位六十周年』の冒頭ページのもので
恐らく何かエピソードを書いてほしいという感じで時の侍従長として
書いたものではないかと思いますが、wikiで確認すると
本当に一応徳川家の末裔の一人で

徳川 義寛(とくがわ よしひろ、1906年11月7日 - 1996年2月2日)は、昭和天皇の側近、侍従長。
尾張(名古屋)藩主徳川慶勝の孫で、実弟津軽義孝は常陸宮正仁親王妃華子の父であり、妹祥子は北白川宮永久王の妃で皇籍離脱後は香淳皇后付の女官長、皇太后宮女官長を務めた。

・・・という人物だったようです。
侍従長としては約3年勤めています。

この一覧では、1985年より約60年前、もう一人徳川がいて、

徳川達孝 が1922~27年の約5年間大正昭和の侍従長を務めています。


つまり、そんなに多い訳ではないという事ながら、
幾人かそういう、やはりしきたりとか作法の面で優位だったのか
他にも皇族に近い出身の者や婚姻等で近くになった者も
見られるようです。
(詳しく見ていないのでどちらが先かは分かりませんが…。)


近5代の長に於いては、
21人目の渡邉允、22人目の川島裕と比較的長く勤め上げた2人は

渡辺の親族
曾祖父 渡辺千秋 伯爵は、明治天皇崩御時の宮内大臣で、元勲の大山厳公爵と深く関わった。渡辺昭伯爵は父、渡辺千春伯爵は祖父。初代財務官だった渡辺武は親類である。
川島の親族
元国連難民高等弁務官の緒方貞子とは従姉弟同士、曽祖父は首相犬養毅、祖父は犬養の下で外務大臣も務めた娘婿の芳沢謙吉。おじに外務事務次官、駐アメリカ大使を務めた井口貞夫がいる。妻は、民法・法社会学者で東大名誉教授であった川島武宜の娘である。

というような出自で、
或いは多少影響があるのではないかと窺わせる部分です。


冒頭の徳川義寛の前任である入江相政(いりえすけまさ)は
約15年間その職にあって、退任間際に心不全で急逝したとのこと。

その入江相政も

略歴
1905年(明治38年)
生家は歌道冷泉派の宗家・冷泉家の流れを汲む「歌の家」。
父・為守は冷泉家の当主・冷泉為理の次男で、後には東宮侍従長や皇太后宮大夫を務めた。為守は、冷泉家分家の入江家当主で従兄でもある入江為福の養子となった。母・信子は柳原前光伯爵の長女で、大正天皇の生母・柳原愛子の姪にあたる。このため、相政は昭和天皇と「はとこ」の関係にある[注釈 2]。

と、Wikiの記載分量は多めの人物です。
(但し戦後最長の人物は 三谷隆信 )


何十人、何百人、或いは数千人の一人で
ある程度それぞれに家柄なども考慮されるとしても
何らおかしくないとしても、こういう時々の選任は偶然なのか?

・・・とは一般市民の浅はかな所なのかもしれません。

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なお、その本は以前ブックオフの100円コーナーにあって
写真多めの本だったので買っておいたもので
最近猫に引っ掛かれたので開いてみたら
そんなインパクトのある名前が載っていてちょっと気になった、
そして今回少し調べてみたという、そんな感じです。

もし何かあれば報奨金として頂戴します。