マガジンのカバー画像

我々、今日もひょうきん族。【子育てエッセイ】

9
現在2歳のムスメとの毎日を、父と母の目線から。社会と絡めてみたり。自分の人生と絡めてみたり。自分の受けてきた教育と絡めてみたり。いまの私から切り離せなくなったムスメとの生活をおも…
運営しているクリエイター

#エッセイ

「母親」やめたら我が子が愛おしくなった話【我々、今日もひょうきん族。Vol.9】

「母親」やめたら我が子が愛おしくなった話【我々、今日もひょうきん族。Vol.9】

親になった今、「子どもはかわいい」という人の感情が理解できる。
これだけ言うと、すごく冷徹な人間みたいだけれど。笑

我が子は、愛おしく、尊く、ときに虚しい。そんな存在であることが、今なら苦しいほど理解できる。
自分の中の感性が三つくらい増えたような。
春の夕焼けのような、涼しい風が吹く穏やかなオレンジ色の空のような、そんな感情があることをよっちゃんは教えてくれた。

ただ、数年前の私にはそんな感

もっとみる
行き場を失った感情の末路。【我々、今日もひょうきん族。Vol.5】

行き場を失った感情の末路。【我々、今日もひょうきん族。Vol.5】

高校時代からの友人と食事したある日の夜。

友人は、仕事のことで、どうにも表現し難いほどに悩み、落ち込んでいた。
ただこれがもどかしいのだけど、彼女は自分の悩みを、人に言葉にして表現できない。それでも、彼女の様子から、激しく落ち込んでいる様子は見てとれた。

これまでの付き合いの中でこれほどまでに落ち込んでいる姿を見たことはなかったかも、と新しい友人の一面を見られた気がして少し嬉しくもあった。(

もっとみる
「一部の総和=全体」なのか 【我々、今日もひょうきん族。Vol.4】

「一部の総和=全体」なのか 【我々、今日もひょうきん族。Vol.4】

「六人の盲人と像」という話がある。

ある六人の盲人が、象の体の一部だけを触っただけで感想を言い合って、互いに象の正体について自分の主張を譲らないという話。

鼻だけを触って「象は蛇のようなものだ」と言ってみたり、しっぽだけに触れて「象は槍のようなものだ」と主張したり、という具合に。

盲人のそれぞれが触ったのは象の体の一部に過ぎない。

その一部だけで、あたかも物事や人物のすべてを理解した気にな

もっとみる
よっちゃん、好きくない。 【我々、今日もひょうきん族。Vol.3】

よっちゃん、好きくない。 【我々、今日もひょうきん族。Vol.3】

私がまだ小学生に上がったばかりの頃だったかしら。

今ではよっちゃんに、
目尻下がりっぱなしで、ばぁばへのテレビ電話にも必ず映り込んでくるじぃじ(私の父)なのだけれども、
20年ほど前はそれはそれは厳しかった。

4きょうだいの末っ子である私に、
父の怒りの矛先が向くことは少なかったのだけど、
お姉ちゃんや兄ちゃんには、それはまあ厳しかった。

ある日の夜、
もうみんなが寝ようと、
歯磨きしたりト

もっとみる
正しいことは、正解なのか?【我々、今日もひょうきん族。Vol.2】

正しいことは、正解なのか?【我々、今日もひょうきん族。Vol.2】

初めて聞いたときから、どうしても忘れられない言葉がある。

正しいことが、必ずしも「正解」であるとは限らない。

仕事をしているときも、ムスメと接しているときも、パートナーと話しているときも。

人によって、場面によって、「正しいこと」は移り変わるのかもしれない。

正しさだけを刀のように振りかざしていると、いずれ大事な人は離れていってしまうのかもしれない。

******************

もっとみる
よっちゃん、自分で拭くよ。【我々、今日もひょうきん族。vol.1】

よっちゃん、自分で拭くよ。【我々、今日もひょうきん族。vol.1】

チャイムが鳴る、朝7時50分。
当時小学4年生だった私は、小学校の玄関にある公衆電話の陰にひそりと隠れて、お母さんが教科書を持ってきてくれるのを待っていた。

(あ〜〜もうお母さん早くきてくれないかなぁ…)

自分が準備できていなかった教科書を、母に持ってきてほしいと公衆電話から家に電話をかけて頼んでいたのだ。

当時は、公衆電話はお迎えの連絡をする要件にしか使ってはならず、先生の許可も必要だった

もっとみる