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信長公記

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太田牛一氏著作の、織田信長の生涯を描いた作品・「信長公記」。信憑性の高い本として有名として、古くから読み継がれてきました。  織田信長はどんな風に成り上がったのか?どんな風に乱…
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2023年4月の記事一覧

信長公記(43)信長、堂洞砦を攻める

舞台は加治田城。城主は佐藤紀伊守・右近右衛門(40参照)。 風が強いということは、火の手…

だい
1年前
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信長公記(42)美濃宇留摩・猿ばみ両城、落城

信長公の調略が功を奏するときが来た。 犬山城の周りから落としていこう、という考えか。 陣…

だい
1年前
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信長公記(40)、(41)

(40)美濃加治田の城、信長に従う この時期は、犬山付近の場所を奪うための戦略を練ってい…

だい
1年前
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信長公記(38)於久地の砦を破る、(39)信長、小牧山に移る

斎藤家と一進一退の攻防が続く。 大口町の砦を奪った。ここは、斯波氏の守護代を補佐する役割…

だい
1年前
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信長公記(37)十四条合戦

信長の快進撃は続く。 一帯を焼き払い、墨俣に要害を築くよう命じ、そこに在城した。 十四条…

だい
1年前
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信長公記(36)森部合戦

桶狭間合戦の1週間前の出来事。戦乱の世は一日たりとて無駄にできないことがわかる。 安八郡…

だい
1年前
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信長公記(35)岩倉落城

永禄2年(1559)初春ころ、信長公は岩倉を包囲、町に放火し、裸城にして四方に鹿垣(竹木の枝で編んだ垣)を二重・三重に厳しく建てるよう命じ、周囲に番人を配置、2・3か月ほど陣から火矢・鉄砲を打ち入れられた。 様々に攻められたので、城を支えることは難しいとみて、城の明け渡しを申し出て、城中の者どもは散り散り思い思いに退却、その後、岩倉の城は取り壊し。 信長公は清州へ戻った。

信長公記(34)浮野合戦

清州から故・織田信安一族の居城岩倉へは30町(約4キロ)に過ぎない。 しかし、この方面は…

だい
1年前
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信長公記(33)信長、吉良・石橋・斯波3守護を追放

尾張国のはずれの海近くに石橋殿(吉良・武衛の一族)の御座所があった。 河内(木曽川下流地…

だい
1年前
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信長公記(32)斯波義銀と吉良義昭の和睦

ようやく歴史書の読み解きができて少しうれしい。これから心に余裕が出来て、継続して出来たら…

だい
1年前
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