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信長公記(37)十四条合戦

信長の快進撃は続く。

永禄4年(1561)5月上旬、信長公は木曽川・飛騨川の大河を打ち破り、西美濃へ乱入。

一帯を焼き払い、墨俣に要害を築くよう命じ、そこに在城した。


5月23日、美濃方は稲葉山城から総勢を繰り出し、十四条村に兵を整えた。

十四条村は現在の本巣市十四条。岐阜城より北部に4kmくらいの距離。

信長は墨俣より駆けつけ、朝方、足軽の合戦になった。身内の瑞雲庵の弟(織田信益?)が討死。兵を引いた。
この勢いに乗じて、斎藤軍は北軽海まで進出。西向きに備えを立てた。
信長公も自ら偵察の上、北軽海に陣を敷いた。
夜、敵の真木村牛介が先陣を切って突撃。稲葉又右衛門を池田恒興・佐々成政の両人が相討ちで討ち取った。
夜戦に発展し、敵方は夜の間に後方へ退いた。
信長公は翌24日の朝、墨俣城に引いた。その後、墨俣城も引き払った。

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