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信長公記(42)美濃宇留摩・猿ばみ両城、落城

信長公の調略が功を奏するときが来た。

信長公は飛騨川を越え、美濃国へ乱入。敵城である宇留摩城(鵜沼)城主大沢基康、猿ばみ城城主の多治見。両城は飛騨川の縁に望み、犬山の川向うに2つ並んで今まで城を支えてきた。

犬山城の周りから落としていこう、という考えか。

そこから10~15町ほど隔てて、伊木山に要害をこしらえ、眼下に見下せる位置で陣を立てた。
宇留摩城は信長公が敷いた陣から目と鼻の先。これは支えられない、と判断し、城を明け渡した。

陣を敷いただけで明け渡すことなどあるのだろうか。そうであれば、そこに陣を敷かれないように手を打つべきだったか。ともかく、争わずして宇留摩城を落とすことが出来た。

猿ばみ城は飛騨川に臨む高山。大ぼて山といって、お城の上手に草木の茂った高所があった。
ある時、丹羽長秀がその城に先駆けとして上り、軍を上げたので、水の手を奪い、上からも攻められたので、たちまち困窮。
降参して、城を退散した。

かくして、宇留摩城と猿ばみ城は落城した。着々と斎藤攻めが進んでいく。

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