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信長公記(35)岩倉落城

永禄2年(1559)初春ころ、信長公は岩倉を包囲、町に放火し、裸城にして四方に鹿垣ししがき(竹木の枝で編んだ垣)を二重・三重に厳しく建てるよう命じ、周囲に番人を配置、2・3か月ほど陣から火矢・鉄砲を打ち入れられた。

様々に攻められたので、城を支えることは難しいとみて、城の明け渡しを申し出て、城中の者どもは散り散り思い思いに退却、その後、岩倉の城は取り壊し。

信長公は清州へ戻った。

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