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平坂のカフェ 最終話 四季は太陽(3)

 私には、このを育てるのは無理だと思った。

 児童相談所から連絡があったのは5度目の不妊治療を失敗した時だった。
「貴方のお姉さんの子どもを保護しました」
 何を言われているのか分からなかった。
 5歳年の離れた姉は、私が中学2年生の時に知らない男性と駆け落ちしてそのまま行方不明になった。
 決して素行が悪かった訳ではない。
 成績だって私よりも優秀で進学校に通い、難関大学への現役で合格した。
 見た目だって見目麗しいという言葉に相応しかった。
 しかし、姉は突然、姿を消した。
 置き手紙には"好きな人と一緒になります"とだけ書かれていた。
 両親は、警察に捜索願を出したが見つからず、失踪扱いになった。
 私も心配で心配で堪らず、SNSにこの人を探してますと写真を上げて投稿したり、町で似たような風貌の人を見かけたら追いかけた。
 しかし、姉は見つからないまま10年が過ぎた。
 私は、短大を卒業と同時に高校から付き合っていた今の夫と結婚。共働きをしながら妊活をし、その度に挫折していた。
 そんな生活の中、児童相談所から姉の子どもを保護しているという耳を疑う連絡が入ってきたのだ。
 私は、教えられた病院に向かうと私と同じ年くらいの児童相談所の女性職員が出迎えてくれた。
 私は、子どもに会う前にこれまでの経緯について話しをさせて欲しいと言われ、別室に案内された。
 私も話しを聞きたかった。
 しかし、今だに聞かなければ良かったと後悔する時がある。
 それほどまで酷い話しだったから。

 姉が駆け落ちしたのは昔でいう半グレ。
 そしてどうしようもないクズだったと言う。
 子どもが生まれる前から姉は虐げられていた。
 風俗で働きながら男に貢ぎ、暴力を受けても文句の一つも言わなかったと言う。
 何であのしっかりした優等生だった姉がそんな男に・・と俄かに信じられなかった。
 しかし、今思うと優等生過ぎたのかもしれない。
 姉は、両親の前でも、私の前でも決して弱いところを見せなかった。友達の前でも、教師の前でも。そんな必要はないのに強い存在であろうとした。
 だからつけ込まれたのだ。
 強さの中に隠れた姉の弱さと甘えを。
 そして子どもが生まれてから男のターゲットはそちらに移った。
 殴る、蹴る、食事を与えない、育児放棄など、決して当たり前になってはいけないものが当たり前の日常だったと言う。男は、コップから水を飲むようにそれを子どもに繰り返していたと言う。
 そして姉はそれを止めなかった。
 自分に被害が及ばないよう見て見ぬふりをしたいと言う。
 当然、私。何で行政が介入しなかったのかを訊いた。
 その返答は驚くべきものだった。
 子どもには名前が与えられていなかった。
"それ""これ""あれ"と呼ばれていたと言う。
 そして子どもの出生届けも出されておらず、行政も誰も、もちろん私たちですら知らない"存在しない子ども"だったのだ。
 そんな"存在しない子ども"が発見されたのは近所の善意ある人の通報と姉自身が警察に出頭したことがきっかけだった。
 近所の善意のある人はこう言った。
『子どもの声がしなくなった。母親がどこかに消えた。ひょっとしたら大変なことが起きてるかもしれない』
 警察に出頭した姉はこう言った。
『彼がいなくなったから探して欲しい。1人じゃ生きていけない』
 姉の口から子どものことは出なかったと言う。
 調べた結果、姉の住所と通報先が合致していることが分かり、児童相談所と共に自宅に駆け付ける。
 そしてゴミの中に埋もれた子どもを発見した。

 私は、涙が止まらなかった。

 子どもは、恐らく8歳くらいのはずなのに満足に栄養が取れてないから痩せ細り、身長も5歳児の平均にも満たしていなかった。文字を書くどころか言葉も満足に話せず、身体中に痣と煙草を押し付けられた痕があり、目も満足に見えず、右目に関しては治療しても治ることはないと言う。

 姉も非常に衰弱しており、治療を終えた後に虐待容疑で逮捕、送検されると言う。恐らく刑務所に入って何年も出てこれないそうだ。
 父親である男は行方不明。
 見つかったとしても直ぐに逮捕、刑務所に入ることは必然だそうだ。
「今回、ご相談させて頂きたいのは妹様に引き取って育てて頂くことは可能かをお話しさせていただきたく・・・」
 何となく予想していた言葉だ。と、言うよりもそれ以外の理由で私がここに呼ばれることなんてないだろう。

 しかし・・・。

「ごめんなさい」
 私は、深々と頭を下げる。
「私には・・・育てられません」
 子育てした経験もないのに、自分の子どもですら産むことが出来ないのに・・・そんな心にも身体にも大きな傷を持った子を私が育てられるはずがない。
「そうですか・・・」
 女性職員は、それ以上何も言わなかった。
 何となく私がそう言う返答をすると分かっていたのかもしれません。
「本当にすいません」
 私は、もう一度頭を下げる。
「子どもは、どうなるのですか?」
 拒否した私が口に出来る立場でないのに気になって聞いてしまう。
「どこかの児童養護施設で育てながら然るべく里親を探します。見つからない場合は義務教育を終えるまでは施設で生活することになります・・・」
「そうですか・・・」
 私は、自分の手首をぎゅっと握る。
「それではこちらが呼んだのに申し訳ありませんが、お帰りいただいて結構です。カナちゃんには貴方が来ることは伝えてないので安心してください」
 女性職員の発した言葉に私は、顔を上げる。
「子どもの名前・・・カナちゃんって言うんですか?」
 確か名前はないと言う話しではなかったか・・?
「はいっ。勝手にこちらで付けさせて頂きました」
 女性職員は申し訳なさそうに言う。
「流行ってるんでしたっけ?その名前?」
 どこにでもありそうであまり聞かなきゃ響きの名前に私は思わず聞くと、女性から職員の顔が曇る。
「いえ、あの子が二文字じゃないと反応しないので・・仕方なく1番名前っぽい響きのものを」

 2文字・・・。

 私の中に浮かんだ2文字の言葉。

"それ"これ""あれ"

 私は、ズボンの裾を握りしめる。
「会わせてください」
「えっ?」
「子どもに・・・カナちゃんに会わせて下さい!」
 私は、女性職員に案内されて医師に身体を診てもらっているカナと会った。
 髪を短く切り揃えられたカナは、とても綺麗な顔立ちをしていた。しかし、その頬は不器用に折られた折り紙のように痩け、病院着の隙間から見える枯れ木のように細い腕には表現するのも憚られる醜く、酷い傷と火傷が広がっていた。
 そして1番の特徴は目だ。
 黒い左目は空洞のように虚。
 白い右目はガランドウのように何も映していなかった。
 カナは、見えていないからなのか、私の顔を見ても何の反応もしなかった。
 無関心に。
 カナの周りだけ世界が切り取られたかのように。
 私は、女性職員や医師が静止するのも聞かずにカナを抱きしめた。
 後から聞いたが当時のカナは、触れられることに酷く怯えるらしい。
 そんなことも知らずに私は、カナを抱きしめた。
 そして必死に謝った。

 ごめんなさい、ごめんなさい、気付かなくてごめんなさい!

 カナは、怯えることなくびっくりした顔をしていたそうだ。

 この時、私は、カナの母親になることを決めた。

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