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エガオが笑う時 間話 とある淑女の視点(1)

 娘の訃報が届いたのは春の終わりの雨の日だった。
 その日は、夫が珍しく屋敷にいて2人であの子が好きなアップルティーを飲みながら「あの子にも飲ませたいわね」なんて笑いながら話していた時、王都からの伝令が手紙を携えてやってきた。
 伝令から手紙を受け取り、それを読んだ時の夫の顔は今も忘れられない。
 私もその手紙を読んだ瞬間、絶望に襲われて立ち上がることが出来なかった。

 娘は、父親譲りの類稀なる剣の才能に恵まれ、20歳にして師団長を任された才女であった。
 その為か、彼女の率いる部隊は常に最前線に立ち、王都を攻め寄ろうとする帝国の騎士団と何度も争い、そして勝利を収めた。
 娘は、戦乙女ワルキューレと称され、王国騎士団の象徴となった。夫も娘の活躍と評価に鼻高々であったが、私はそんなことよりも娘が怪我なく無事で帰ってきてくれることだけを願った。
 そしてその願いは届かなかった。
 娘は、炎の魔印を待つ魔法騎士と一騎打ちで戦い、その命と引き換えに勝利を収めた。
 小部隊ならアリの巣の如く潰せると言われる魔法騎士にたった1人で。
 他の騎士達は戦わなかった。
 理由は簡単、魔法騎士に立ち向かえるだけの実力があるのは娘だけだったのだ。
 そして娘は部下の為、そして国の為にその若い命を捧げた。

 娘の葬儀は盛大に行われた。
 国王や幼い王子達も参列してくれた。
 大金星。
 名誉の死。
 王国騎士の鏡。
 様々な賞賛の言葉が娘に贈られた。
 しかし、そんなことはどうでもよかった。
 喪主である夫の横に立ちながら私が願ったのは最愛の娘が今、この瞬間に棺から起き上がって「ただいま戻りました。お母様」とあの優しい笑顔を浮かべて私に駆け寄ってくれることだけだった。
 しかし、そんな願いが届くことはなく、娘の遺体は地中深くに収められた。
 私の心は涙と共に枯れ果てて虚無となった。

 そこから私たち夫婦の生活は一変した。
 後継者を失ったグリフィン家だが遠縁から養子を得ることで断絶を逃れることが出来た。
 イーグルと言うまだ10歳の少年だが剣の才にも恵まれ、20歳を迎えたら正式に養子縁組することになっている。
 夫は、王国騎士団副団長の座を退き、新たな部隊の構築に動いた。
 あの子の死で王国騎士団の強さレベルが帝国騎士団、魔法騎士に及ばないこと、未来のある若い騎士の命を摘まない為に王国騎士以外の部隊で編成された戦闘部隊を造り出すことに力を注いだ。
 そして私はと言うと・・貴族の妻であることも忘れて遊び歩いた。
 毎夜、社交場に出歩き、酒を飲み、服を買い漁り、一線こそ超えなかったが男達と遊び歩いた。
 夫ともすれ違いの日々が続き、屋敷で顔を合わせても会話することもなく、私の奇行にも何も言わなかった。
 夫としてはあの子を失った私の心が少しでも癒されるならと思ったのかもしれない。
 しかし、それは間違いだった。
 どんなに酒を飲もうが男と遊び歩こうが私の心が癒されることは一度もなかった。
 屋敷に戻る度に私は、吐いて、泣いて、あの子を思い出して、側に行くことを強く望んだ。
 望んだのに・・私は自らの命を断つことすら出来なかった。
 そんな日々が3年を過ぎた頃、夫の夢が現実となった。
 王国騎士以外の国中の名の知られた猛者、傭兵、そして腕に覚えのある国民達で構成された部隊が結成されたのだ。
 その名はメドレー。
寄せ集めメドレーと蔑視こそされたがその活躍は目覚ましく、夫は王国から賞賛され、メドレーは王国騎士団の救世主とまで持て囃された。
 しかし、私はどうでも良かった。
 今更そんなものが出来たってあの子が帰ってくるわけではないのだから。
 ある日、夫からメドレーの宿舎に来て欲しいと連絡があった。
 もう2人の関係は破綻していると思っていたから呼び出された時は本当に驚いた。
 私は、心の奥底に残った貴族の妻としての心得と矜持を引き出し、乱れた髪を整え、服装を正して夫のいるメドレーの宿舎へと向かった。
 宿舎はお世辞にも綺麗とは言えなかった。
 汗臭く、埃が舞い、ゴミなんて落ちていないのに触れるのも嫌になるくらい汚かった。
 私は、ハンカチで口元を押さえながら従者に案内されて夫のいる執務室へと向かった。
 私は、扉をノックする。
「マリアです」
「入れ」
 久々に聞いた夫の声。
 私は、小さく息を吸って吐き、扉を開けた。
 そして目を疑う。
 扉を開けて飛び込んできたのは夫の姿ではなかった。
 宿舎とは比べ物にならない豪奢な部屋。
 その中央に置かれたソファに座っていたのは金糸の髪に水色の大きな目をした可愛らしい女の子だった。
 恐らく2歳か3歳くらいだろう。
 小さな身体を大きなソファに沈めて不思議そうに私を見ている。
 私は、想像もしなかった光景に絶句してしまう。
「よく来てくれたな」
 夫が硬い髭に隠れた唇を釣り上げる。
 夫の顔は私が知っているよりも老けたように見えた。別居していた訳でないのだから顔は合わせていたはずなのに何年かぶりに会ったような気がする。
「あなた・・」
 私は、絞り出すように言葉を出す。
 あなたなんて呼ぶのもどのくらい振りだろう。
「この子は?」
 私は、ソファに座る女の子を指差す。
「帝国に襲われた領地で拾った」
 グリフィン卿は、短く告げる。
 1週間前、帝国の襲撃を受けた領土の奪還に向かった。何とか帝国の騎士団を追い払い、瓦礫と化した領土を偵察している時に死んだ両親の前で泣いていたこの娘を保護したのだと言う。
「今、この子を引き取ってくれる教会を探しているのだがどこも一杯と言われてしまってな」
 夫は、困ったように頭を掻く。
 帝国との争いは日々過激になってきており、攻め落とされた領土は両手で数えきれないほどある。難民も多く、戦災孤児なんて掃いて捨てるほどいる。
 その為、どこの教会も子どもを受け入れる余裕がないらしい。
「ここは男世帯だからな。女の子の面倒なんて見れない。引き取り場所が見つかるまで面倒を見てくれないか?」
 私は、目を閉じる。
 ここに来て、あの女の子を見た時から何となく予想は付いていた。
 何かしらの理由がなかったら冷め切った関係の妻を職場に呼ぼうとなんて思わないものね。
 言いたいことは分かった。
 でも・・・。
「お断りします」
 私は、きっぱりと拒否し、夫を睨みつける。
 夫は、何も言わずに私を見る。
「もう子育てを終えて何年経ってると思ってるんです?小さい子の世話の仕方なんてとっくに忘れました。それに・・」
 私は、右手を小さく握る。
「私の娘はあの子だけです」
 他人の、それも見ず知らずの子どもの面倒なんて死んでも見たくない。
「用がそれだけなら失礼致します」
 私は、夫に頭を下げるとそのまま退出しようと扉に向かう。
 夫は、何も言わない。
 私は、唇をきつく噛み締める。
 悔しさと悲しさが入り混じる。
 きっと私は離縁されるのだろう。
 仕方がない。
 あの子を失ってから私にはもう何もないのだから。
 私は、扉の取手を握る。
 スカートに何かが引っかかった感触がする。
 何か糸でも絡んだのだろうか?
 私は、くいっと引っ張る。
「わあ」
 足元から高く可愛い声がする。
 えっ?
 私は、足元を見る。
 あの女の子がそこにいた。
 さっきまでソファに座っていたはずなのにいつの間にか私の足元までやってきてスカートを握り、水色の目で私を見上げている。
「離しなさい」
 私は、スカートの裾を引っ張る。
 しかし、女の子は手を離さない。
 見かけよりも力が強いのか、がっちりと裾を握っている。
「離しなさい」
「やっ」
 女の子は、首を横に振って水色の目で私を見上げる。
「ママ」
 私の心臓が大きく音を立てる。
「ママ」
「私は、貴方のママじゃないわ」
 私は、キッパリと否定する。
 しかし、女の子は私の顔を見てもう一度言う。
「ママ」
 水色の目が小さく潤みだす。
 その目が小さかった時のあの子に重なる。
 私は、小さく息を吐き、その場にしゃがみ込んで女の子と目線を合わせる。
「貴方、名前は?」
 私が聞くと女の子は潤んだ水色の目を輝かせる。
「エガオ」
 舌足らずな口調で女の子は言う。
 私は、小さく笑う。
「そうエガオちゃんって言うの」
 私は、彼女の金糸の髪を撫でる。
 綿毛のように柔らかい。
 彼女は、びっくりした顔をして、そして満面の笑みを浮かべた。
 エガオという名前にぴったりな綺麗な笑顔を。
 それが私とエガオちゃんの初めての出会いだった。

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