ジャノメ食堂へようこそ!第5話 私は・・・(4)
翌朝、アケはいつもよりも早く起きた。
ベッドから起きて窓を見ると月はまだ薄く空にあり、遠くの東の空は橙色に燃え上がっている。
あと、少しで日が登る。
一日がまた始まる。
アケは、身なりを整え、寝巻きから茜色の着物に着替え部屋を出てそのまま食堂に向かう。
出入り口となっている大窓と小窓を開けて空気を入れ替え、外にある水道で布巾を固く絞ってテーブルを拭き、床を箒で掃く。
この後はいつもなら草原で寝そべっているアズキの背中の火を借りてお湯を沸かしてクロモジ茶を飲むのだが今日は後回しだ。
今日はやらなければならないことが二つある。
一つは今日はみんなで濡れ女の泉に向かうのでその為のお弁当作り。
お弁当という聞き慣れない言葉にウグイスもオモチもアズキも首を傾げていたが説明すると全員が目を輝かせた。
「私、トマトご飯がいい!後、お肉!」
「僕は、煮物とお魚」
「ぷぎい!」
そして最後に全員でおやつもね!と叫ぶ。
まるで本で読んだ遠足前の子どものようで思い出すだけで笑ってしまう。
「遠足かあ……」
当然だがアケは遠足なんて言ったことはない。
同じ年の子どもが学校に通っている間、アケは国から離れた小さな屋敷に監禁され、勉強の代わりに本を読み、お弁当の代わりに自分で作ったご飯をあの子と一緒に食べていた。
きっとあの子がいなかったらもっと早く自分はおかしくなっていたかもしれない。
アケは、赤く焼けた空を見る。
あの子は、元気にしているのだろうか?
そう思いながらアケは調理台の上に置いた鍋の中身を確認する。
そこには昨晩、夕食で振る舞ったカリが固まっていた。
やらなければならないことのもう一つは彼のご飯を準備することだ。
腰まで伸びた吸い込まれるような黒髪に黄金の双眸を持った野生味のある美しい顔立ちの名前も知らない男。
恐らくウグイス達の本当の名前のように自分には聞き取ることも発音することも出来ないのだろう。
そんな彼の為にアケは毎朝、ご飯を用意する。
いつ来てもいいように。
彼が「美味い」と喜んでくれるのを期待して。
何にしてもまずはご飯を炊かないと。
アケは、寝る前に洗って水に浸していた白米を羽釜に移し、新しい水を適量注ぐ。
いつもなら寝てるアズキの燃える背中に置くのだがそれだと火加減ができないので今日は石を積み上げて作った即席の釜戸で炊くことにする。
積み上げた石の周りに枯れ木を均等に並べ、アズキの背中の炎を枝に移して拝借し、枯れ木の真ん中に落とすと火は直ぐに燃え上がった。
アケは、よしっと口元に笑みを浮かべて羽釜を釜戸の上に置く。
次はおかず作りだ。
みんなの要望に加えてお弁当なら卵焼きも必要だし、鮭や鹿肉や鳥肉も焼かないと。野菜は煮物と葉物でいいだろう。主食もトマトご飯だけじゃなくおにぎりもたくさん必要だろう。中身は青菜と岩魚を炒めたものにしよう。本当は梅干しがあるといいけど塩不足なので作れない。
それにおやつ……。
出発までに終わるだろうか?
彼の為に汁物も作っておきたい。
そんなことを考えていた時だ。
「ジャノメ姫」
その声にアケは、背筋を震わせる。
草を無造作に踏む音。
金属同士がぶつかり合う醜い音。
そして首筋を貫くような痛い視線。
アケは、心と身体を震わせて振り返る。
そこにいたのは緑色の甲冑に刀を差した数人の男達。
年齢こそバラバラだが皆、屈強で精悍、そして肉食獣を連想させる滾った目でアケを見据える。
その目から放たれるのは怒りと憎悪、そして侮蔑。
アケは、身体を震わせ、後ずさる。
アケは、彼らを知っていた。
いや、彼らを知っている訳ではない。
彼らが何者かを知っていた。
「貴方たち……」
アケの震える声に頭目と思われる浅黒の若い男がほくそ笑む。
彼らは、白蛇の国の武士達であった。
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