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備忘録

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discommunication (現代語訳)

(以下、現代語訳)

これは日記ですので、悪しからず、どうかご気分を害されないようご自衛お願い申し上げます。
単なる日記なので手帳に書いても良かったのですが、近い将来に自我を失う嫌な予感がしましたので、公開文とさせていただきます。ご了承ください。

最近は常に「早く楽になりたい」→「得意分野さえ発揮できないなら、存在そのものが資源の無駄では?」→「死ななければ、早く。なるべく早くご対応願います(英

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私には学がないから

と、父方の祖母は、たまに言う。
ばあちゃん、誰がそんなこと言ったんだあんたに、なあ、そんなこと言うなよ、ばあちゃん。誰が言ったんだ、そんな酷いこと。ばあちゃん。なあって。と、肩を揺すぶって問いただしたくなる。
俺にはできないよ、そんな酷いこと。思い出せってことだろ、昔の嫌な記憶をさ〜〜。

それを思い出すことがどれだけつらくて、思い出したときどれだけありありとしていて、どれだけ、どれだけもう、棺桶

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不純二律背反交遊

ビリー・ミリガン ビリー・ミリガン 僕は普通の家で普通に育ち

当店は誰でもウェルカム誰にでも誰にでも誰にでも笑顔で

運命を感じたんだと皆が言う僕はベートーヴェンか何かか

私ってまず好かれてはいるけれど二次関数の最大・最小

タイムライン上の片思いをすべて私宛に換えてゆく魔法

眠ることが自己責任になりつつあるホモ・ポリティクスという終着点

天ぷらが最後の晩餐の中にあるって本当? そんな関係

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まして若さは

 先輩後輩とは上手くやれるのに、同級生とは上手くやれない。インターネッツ・人間関係は上手くやれるのに、現実人間関係は上手くやれない。なんでかなあなんでかねえと思っていたが、つい先日解決しました。素がめちゃくちゃにクソカスだからでした。もうええわ。ありがとうございました。

 良妻賢母という言葉があるが、良先輩賢後輩の猫をかぶれるのに自分本体は悪で愚か。旱のときは涙を流し寒さの夏はおろおろ歩いている

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あれがリバティー(ユートピアのパロディー)

5月12日(水)

 実家の犬が死んだ。今月で14歳になるはずだった。今年はもう、狂犬病やフィラリアの予防接種は必要ない。

 昨年はコロナ禍と卒業制作、引越しによるあまりの多忙に帰省できなかった。夏に帰る予定だった。
 犬の具合がいよいよ悪く、来月に帰る予定にした。どう休日をやりくりすればゆっくり帰れるのかを考えていた。
 本当に危篤状態なら先週帰る予定だった。一度それを考えたが犬は体調を盛り返

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俺の帰る遊園地なんてない

 同期のミュージカルを観た。非常に良かった。鬱になった。

 未来のスターを名乗る推しがいる。仲間を見つけた突飛な演出家の推しがいる。事情を隠して、あるいは僅かな夢に縋りながら彼らを仲間とした子供たちがいる。高校生は夢のある身分だった。言い訳ばかりしているうちに道の途中で俺の舞踏会は終わった。でも他に何ができたのかも分からなかった。

 情緒がめちゃくちゃになったのでコンビニでラーメンと酒を買った

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一つの花

 家族でファミレスに行ったのは、記憶のある限り一度しかない。小学生の頃、姉が行きたがった嵐のコンサートに遠征(高速道路で3時間ほど)した昼食か夕食だ。またそれとは別に何度か祖父母を加えて食事に行ったこともあったが、大抵そのとき父親は仕事でいなかった。

 父親が食事をする様子を正面から見たことなど数えるほどしかない。(他の家庭もそうなのかは知らないが)我が家は食卓につく席が決まっている。姉は携

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立春

 近頃時折Sのことを思い出す。Sは幼稚園・小学校・中学校と一緒だった男だ。中学校では部活も一緒だったし、小学校高学年から中学校卒業まで通っていた学習塾でも同じクラスだった。違う高校に行ってからは数度遊びに行ったきりで、互いの様子は親同士の会話をもってしてしか知り得ない。一浪して志望校に行ったらしい。
 Sは絶妙な音痴だった。言葉で表すのは難しいが、笑えるレベルの音痴だった(よく一緒に遊んでいたメン

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朝顔

 夏休みに実家に帰った時の話。

 居間の出窓に朝顔が咲いていた。よくある紫色で、馬鹿らしかった。羨ましかったが、それでも少し心のどこかで蔑んだ。

 母は昔、庭いじりが趣味だった。実家の庭にはコニファーが数本立ち並び、時には紫陽花が咲き、マリーゴールドが規則正しく繁り、母が死んだ時棺桶に入れてほしいと言っていたかすみ草も種の散らばるままに点在していた。夏になると、母は芝生に生えた名前も知

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なまこ

 なまこは最早、市民権を獲得している。なまこにあって自分に無いもの、それは歴史である。

 自分はなまこが好きだ。実家に帰ると、母親が必ずと言っていいほどなまこ酢をかなりの頻度で出す。自分だけなまこ酢というおかずが一品増えるのだ。その程度にはなまこが好きであるし、家族もそれを認知している。
 因みに姉はなまこが好きではない。理由は単純で、「気持ちが悪いから」。至極真っ当な意見である。あれを最初

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 多数派は必ずしも優れているわけではないと気付いたのは中学生になってからだった。一般的には早かったが、自分にとっては遅すぎた。

 小学校高学年の時の話である。合唱の練習中に笑われたのだ、「お前の歌い方変だぞ」と。多くがそれに賛同した。どうやら自分の歌い方は「変」だったらしい。
 当時の自分はクソポジティヴ自己中ゼロメモリーモンキーだったので、あっそう、とだけ返して歌い方を変えることは別段しな

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