なまこ


 なまこは最早、市民権を獲得している。なまこにあって自分に無いもの、それは歴史である。

 自分はなまこが好きだ。実家に帰ると、母親が必ずと言っていいほどなまこ酢をかなりの頻度で出す。自分だけなまこ酢というおかずが一品増えるのだ。その程度にはなまこが好きであるし、家族もそれを認知している。
 因みに姉はなまこが好きではない。理由は単純で、「気持ちが悪いから」。至極真っ当な意見である。あれを最初に食べようと思った人間は余程追い詰められていたに違いない。

 なまこは好き嫌いの分かれる食材である。謎の食感と見た目が主な原因である。
 自分はなまこが好きなので、なまこに栄養が無くとも、また逆に多少の毒性があろうとも食べたいと思う。なぜならその食感に代替品が見つからないからである。
 なまこが嫌いな人は、恐らく「他に栄養があるものはいくらでもあるのに何故わざわざあれを食べるのかが分からない」と言う。尤もな意見である。栄養面で言えば代替品はいくらでもあるし、何よりなまこは割と高価である。好きという理由以外に食べる理由も無い。

 それでもなまこは「在る」ことを許される。環境保護的な問題もあるが、「なまこは気持ち悪いから撲滅しよう」だとか「なまこを好む人間は気が狂っているので矯正しよう」だとかいう話にはならない。何故なのか。歴史があるからである。
 古くから食べられているのだから歴史がある、古事記に載っているのだから存在が認められている漢方薬として使われていたので必要である、「らしい」という話を元に人々はなまことなまこ好きを排斥しない。結局必要なのは歴史と世間の肯定である。

 自分の作品や自分自身も、あと2000年ほど経てば存在が許されるのだろうか。それより前に絶滅する方がやはり早いだろうか。
 実家に帰ればまた母親がなまこ酢を出す。自分より皆に認められたなまこを、大した必然性も無く食べる。


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