俺の帰る遊園地なんてない

 同期のミュージカルを観た。非常に良かった。鬱になった。

 未来のスターを名乗る推しがいる。仲間を見つけた突飛な演出家の推しがいる。事情を隠して、あるいは僅かな夢に縋りながら彼らを仲間とした子供たちがいる。高校生は夢のある身分だった。言い訳ばかりしているうちに道の途中で俺の舞踏会は終わった。でも他に何ができたのかも分からなかった。

 情緒がめちゃくちゃになったのでコンビニでラーメンと酒を買った。適当にスーツをしまってしこたま煙草を吸ってやる。こういう時のためにSAWとかを買っておけば良かった。自分のでも他人のでも2次元でも3次元でも、めちゃくちゃになった人間の肉体が見たい。人間の中身が見たい。内臓の内容物が見たい。包丁で弄んで捨てるためだけに生魚が箱で欲しい。食い意地が張っているのでそんなことはしないけど。過食をしようにも「不細工なのに太ったら終わりだ」という気持ちで別段できず、しかしそれでも食ったところで寝て起きたら体重は変わらない。相変わらず自分の体重が減っていくことに内心安堵している。マジで体重が2gになりたい。2週間に一度の食事が20日に一度になっても良いから俺はあの舞台に立ちたかった。きっと寝たらこの気持ちも忘れるけど。

 ダンスを7年間くらい習っても一番下手だった。いつまで経っても開脚ができない。クラシックバレエ的ダンスを求める芸術大学に落ちる。歌は好きで自信があったがミュージカルコースの受験を諦める。ダンスも好きだったがクラシックバレエはできないので。運良く入った演劇のコースでのクラシックバレエの授業でも成績が悪くミュージカルコースへの転コースは当然諦める。まずニコッと笑えないことが致命的である。だがそれについては俺自身ですら俺をひとつも責められない。人間は生存し続けなければならないので。
 サボらずに参加しても端役のトップが精々、歌のソロが当たらない、やる気の無い人間にせめて欲しかった端役が当たる、舞台よりもずっと長く袖にいる、結局実力がなければそんなもんである。努力も才能もないのだから実力もない。そりゃそうだ。俺が演出を名乗り出ると嫌そうな顔をされる。皆本気でやって、かつ不慣れな互いの仕事を支え合うのならとなった舞台監督から見た同期たちの舞台袖での態度。うんざりだ。俺だけがあんなに死にそうになって書類をやって、それを他人事で。二度と演劇なんかやらねえ。あばよ。といった気持ちで就活して内定らしきものを貰って、同期のミュージカル公演を観てこの情緒である。俺だって出られるものなら舞台に出たかった。最後くらい。結局俺は自分の中の優しさと他人を蹴散らしてまで舞台に立とうとする人間ではなかった。人として弱い。

 MVで踊る推しを見てつらくなる。俺だってあのワイヤレスマイクを付けたことがある。そんな発声じゃ劇場に通らないかもしれないぞ。結局はその無茶振りを書類にして通している側近の着ぐるみさんたちがいるんだろう。……なんて思うが結局彼らは2次元の存在で、そして自ら行動を起こす点で俺より遥かに上の次元にいる。あ〜〜無理すぎる。
 俺だって遊園地がキャストを応募していたら……本当に? 近場の遊園地のバイトを顔見知りが多いからと見もしなかったくせに。俺だって演出を誰かに受け入れてもらえたら……本当に? 彼のように法に触れない程度に路上で、1人ででも何かやれば良かったのに。「現実じゃあそうはいかないんだよ」って頭の中の呟きが先行して、そうして「愛さず、だから愛されず、終わる」。
 人はそれに必要な資本さえあれば何にだってなれるはずだ。Vtuberでもモデルでもバンドマンでも公務員でも漫画家でも声優でもダンサーでも巫女でも引越し屋さんでも。努力が足りないのか、他の「なりたい人」の努力が凄まじいのか、それとも壊滅的に才能がないのか。じゃあ俺はこの人生以外にどうすれば良かったのか? そう思っても多分どうしようもなかった。地方生まれで特別裕福でもない家の病み散らかした子供にできたことなんて正直タカが知れている。きっとこれからどうにかしていくしかないのだろう。60歳でピアノを始めたら80歳には20年キャリアになるという言葉を聞いたことがある。きっと俺は今すぐにでも柔軟体操を強化し、走り込んで体力をつけ、ちゃんと食事を摂れるようになり、ニッコリ笑えるようになり、歯列矯正の算段をつけ、コスプレ衣裳を縫えるようになり、ウィッグを買い、内定先の近くの社会人劇団を探すべきなのだ。

 何者にもなれず人生を終えたくないと思う時点で、あるいはまだモラトリアム人間なのかもしれない。永遠の18歳でいたい。永久に足掻き続けていたい。社会に怒りと暴力を叩きつけたい。恐らくそれは中学生たちのための心で、俺はもう遅いのだろうけど。

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