一つの花


 家族でファミレスに行ったのは、記憶のある限り一度しかない。小学生の頃、姉が行きたがった嵐のコンサートに遠征(高速道路で3時間ほど)した昼食か夕食だ。またそれとは別に何度か祖父母を加えて食事に行ったこともあったが、大抵そのとき父親は仕事でいなかった。

 父親が食事をする様子を正面から見たことなど数えるほどしかない。(他の家庭もそうなのかは知らないが)我が家は食卓につく席が決まっている。姉は携帯電話の充電がしやすい位置、自分はテレビが見える位置だ。父親は自分の隣に座り、母親は姉の隣に座る。
 父親が食事をする様子を正面から見たことなど数えるほどしかない。我が家は眠らない家だと母親は言う。早朝に父親が目覚め、昼間は(最近に結婚し家を出るまでは)姉が長々と寝そべり、夜は母親が仕事の帳簿をつけ、深夜は自分が延々と風呂に入る。特に自分が高校生の頃は父親と寝起きが真逆(かつ同時)のタイミングであった。
 父親が食事をする様子を正面から見たことなど数えるほどしかない。父親は……………………

 実家に帰ると母親は何もかもを食べさせたがる。普段の自分の不摂生を、あるいは理由のついた贅沢を、あるいは久方ぶりの無意味な会話のある食卓を、あるいは………………(中略)そうして帰省のときも終わると母親から手紙が来る。「もっと食べさせてあげたかったものがいっぱいあったのだけど」、食べさせて、あげる…………おおよそ憐れまれているのか分からないが、多分、あれは、心配ではない。

 高校3年生の頃、受験をした。飛行機で行く距離だったので父親が一緒に来た。母親は自分が1人ではどこにも行けず助けも求められないと思っているのだ。このように数度受験をしたが大抵は母親が一緒で、しかしこの時はさすがに母親の仕事の都合が付かず父親が同行したのである。
 父親と何度かその辺にあるファミレスで食事をし、父親はやはり案外物を食べなかった。優柔不断な自分はそれなりに食べたいものを選んで食べる。食べる自分に父親は一度だけ言った、「そんなんでいいのか」と。別段自分の子供舌を嘲ったわけではなく、自分の頼んだ量が少なかったわけでもなく、場合によってはその言葉に一縷の感情の起伏も無かった。何を望むと思ったのだろう。有り余るほどの、または欲しいだけの全ての、または一切の理論や事情を理性から捨て去った、(中略)………………

 面白いことだが、母親は姉によく「もうそれだけにしなさい」と言う。そりゃそうだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?