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てのひらの窓
YouTubeをみていた。映像の中で人やものが動いて、生活音が鳴っていて、その中で人はひとつの世界として映っていて、それを窓から私たちはのぞいていて、切り取られたはずのそれらは本人たちのほんとうの生活とも違って、曖昧に浮かんだからっぽの雲みたいでずっと眺めていた。
いつもより、左足が長いような気がして足を伸ばして座ってからずっとみている。雲はたまに雨になったりして、私のてのひらがたしかにつめたく、ぬるく、なるのをかんじる。それがちょっとうれしくて、わたしはまだ見続けている。
海に行きたい。わたしは海のないところにいるので、きちんと海を見ることがない。海を見に行こうよ、と誘われたことも、誘ったこともない。みたいね、と言ったことはある。その程度の人間だ。だから、手のひらの窓からよく海を見る。一人で画面越しにみる海は、いつも同じような顔で、やっぱり偽物なんだろうと思う。ほんものの匂いがしなくて、けれどそれはそれで完成されている。花見に行ってバトミントンを取り出されたときに、盛り上がりながらめんどくさいなと思うみたいに、綺麗な服を着て行ったときに急に焼肉行こうやと誘われたみたいに、上澄のたのしさがある。そういうのも、すっかりなじむようにしている。
そうやって、一日が暮れるとかなしくなる。わたしは生きている。生きていることは消費していることのような気がしてしまう。ふいにしてしまった一日をゆっくり舐めるように瞳を閉じた。
おやすみなさい、また、明日。
23.0704
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