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「親と子のリレーションシップほくりく」2023.04.08例会        「いやし・は~と」活動紹介

 <アダルトチルドレン&人権の問題と自助グループ活動について>       

  

<AC、機能不全家族とその影響とは>

ACとは? 機能不全家族、つまり安心して心身の成長をとげることができない環境で育ち、自分の生きづらさが親や家庭環境に起因すると自認した大人の事。
言い換えると「天真爛漫な子どもらしい時期を過ごせなかった大人」。
❌「子どもっぽい大人」ではない。
(→戦中・戦後の、不自由の極みを生きてきた人達は、子どもが子どもらしくいる事を、激しく憎む人も多い)

★機能不全家族とは....例えば下記のような状況がある家庭
【1】暴力、虐待がある(身体的、精神的、性的、経済的...)。
 「法は家庭に入らず」とあるように、歴史の中で家庭は「無法地帯/暴力隠蔽装置」としてはたらいてきた。
【2】ネグレクト=育児放棄 (親が子どもの世話をしない)。
【3】過剰な干渉、支配、監視、親の勝手な思いからの子供への大きな期待の押し付け (教育虐待)。
【4】子どもには荷の重すぎる責任を負わされる…例えば家族の介護など
(ヤングケアラー、きょうだい)。
【5】親のカウンセラーをさせられる (愚痴の聞き役=悪感情のゴミ箱役)。
 「親子の役割逆転」=本来は、親が子どものカウンセラーであるべき。
 
 ↑これらは全て、「子どもを、感情と意思のある、ひとりの人間として尊重していない」ということ。
その異常な状況が、日本の家制度の中で子どもの犠牲=「美しいもの」と美化されてきた。
また「AC」は医学用語ではない。精神科医やカウンセラーでもACを知らない方もいるし、知ったうえで全否定する方もいる。それはACという概念が、日本人が美しいと信じてきた家制度=家父長制を全否定するものだから。また日本人は極度の我慢/感情抑圧を強制されてきた国民なので、他人が苦しみや被害を語るのを、無意識的な嫉妬から攻撃する事も多い。

私は「その人を、ひとりの人間として尊重しないこと」は全て暴力と定義する。

★ACは様々な問題と直結している深刻な問題。虐待、DV、各種依存症、摂食障害、PTSDその他心身の大きな不具合、神経難病、自傷行為や希死念慮、各種ハラスメント、貧困(生活困窮)、性被害や性の問題、いろいろな犯罪の被害者や加害者になってしまうなど。
 ひとりの人や、ひとつの家庭に、それら、あらゆる問題が山盛りになっている事も珍しくない。
★ACや人権とは、ジェンダー問題、社会、教育、性教育、福祉、歴史(特に日本近現代史)、法律、経済、戦争問題、天皇制、戸籍制度、人類学、宗教学、日本独特の「世間」「恥の文化」…などとも密接に関わる、広く深い概念 
⇒それら広い視点から見ないと、問題の本質が見えてこない。
「世間」というのは「世間体が悪い」「世間に顔向けができない」とか言う「世間」、日本人の精神文化を分析するのに欠かせない概念。

「ACと人権に関わる事は1年前は大昔」←私の造語
常に新しい情報に更新していかないと当事者を傷つける事もある。

<グループ活動内容など>

(以下は主催者としての私の考えであり、参加される方に強制するものではない)。
AC当事者が集い、人生において今まで誰にも話せなかった体験や、愚痴、泣き言、弱音、悲しみ、恐怖、怒り、憎しみ、劣等感、死にたい気持ち..などを吐き出し、語り、聴く…そこで参加者のなかに感情や言葉の交流がうまれる…
グループ内での私の責任/役割の99.9%はその為の「絶対的安心感のある場」を創ること。「安心感」のある場を創るため、和やかな/あたたかい雰囲気が必要、そういうリラックスした雰囲気を創るには ”笑い” も必要不可欠(勉強せねば・笑)。

本当は、具体的な内容よりも、活動に対する私の理念/哲学が大事。なぜなら具体的な自助グループのやり方/ファシリテーションの仕方/雰囲気作りなどは、活動理念という根っこの上に自然に伸びる木の幹だから。
きちんとした理念があれば、時代に合わせてやり方も変えていける、来るメンバーの顔ぶれや組み合わせ/その日のグループ全体の雰囲気などにより、柔軟に対応できる。
(とはいえこれは理想論で、現実は、失敗しては見直し〜の繰り返しです(^^;)。

自助グループや、様々な支援活動されている方は、医療/心理/福祉分野からこられた方も多い、また活動を始めてからそういう資格をとる方も多い。
私もそれらの方面は、人並みには勉強してきたが、自分の活動は人権運動であり社会運動だと思っている、 (例えば信田さよ子さん、斎藤学さん、小西聖子さんその他...) 医療/心理方面の方々にももちろん大きな影響を受けてきたが、一番影響を受けてるのは人権問題に真っ正面から向き合っている、アクティビストやジャーナリストといった人達 (特に、ジャーナリスト安田浩一さんを尊敬している)。そういう根本的な、ものの見方/考え方が、他と違うところが、私のそして「いやし・は~と」の強みだと思う。

自助グループ主催者として、ひとりの人間としても、一番大事にしているのは「人権」という概念、グループでは「人権とは、誰かが誰かの、こころ、身体、尊厳、命を傷付けるのを許さない」事と説明している(本当は自由権などを含めた広い概念ですが)。
2番目に大事にしているのは、二次被害を起さない事。「トラウマインフォームドケア」=人間の心の傷に対する最新知識をしっかり持つ事が必要。

<2次被害、その他、社会の無理解>

★AC、その他の暴力や差別の問題において重要な「2次被害」の問題。
「2次被害」とは、様々な暴力・ハラスメント・犯罪の被害者が、必死の思いで繋がった、医療関係者、カウンセラー、公的私的な相談窓口、警察、弁護士など司法関係者、自助グループ...などで、さらに心無い言動で傷付けられる事。人権意識が無い(被害者の現状を知らない。レイプ神話を信じている、など) 日本では、被害者があちこちで、何ヶ所でも2次被害を受けがち。2次被害は、より深く、その人を傷付ける場合も多く、常に1次被害とセットで考えるべき。
日本人が思う「善意の言葉」は2次加害になりうる言葉が多い。大きな要因として、例えば戦争神経症など、こころの傷を国家の恥として全否定してきた歴史がある。
 
日本は「被害者批判 (被害者有責論)」が強い。「あなたも落ち度があった」「隙があった」「そこへ行かなければ…」と言って、「世間」が束になって被害者を責める。その原因である日本の「世間」「ムラ意識」は異常なものがある。
「何があっても加害者が100%悪い」というのが本当。
「公正世界仮説」「自己責任」「因果応報」は被害者をさらに追いつめる、誰も幸せにしない。
「努力は必ず報われる」=苦しんでいる人に、あなたの努力が足りないと批判する事になりかねない。「運も努力のうち」ではなく「努力も運のうち」身体的/精神的/経済的に努力できる状況にあるは、その人がマジョリティにいるから。だからこそ全ての状況にある人に均等な機会が与えられなければならないが、こういう考えは、精神論/根性論だけで国を回し、世界一「極度の自制心と努力、他人に迷惑を掛けない事」を強制されてきた日本人には理解できない人も多い。
 
被虐待/逆境体験/トラウマ体験は、具体的な脳の損傷を起こしたり、中枢性過敏症候群(筋痛性脳脊髄炎、慢性疲労症候群、線維筋痛症、化学物質過敏症、脳脊髄液減少症..etc=脳の機能障害との説あり)と呼ばれる、神経難病との強い関連がある。患者会にもトラウマを抱えた方が多い。医学の緊急の更なる発展を望む。

<歴史/法律/宗教…とACをうむ日本社会>

日本社会で起きている社会問題や人権侵害は歴史の視点から見ることが大事。現代日本社会の礎となった、明治政府/大日本帝国(明治~昭和初期)の日本人は、世界の人類史の中でも、最も人間のこころ/身体/尊厳/命を軽く扱った民族。それが顕著に出るのが戦争であり、敗戦後の総括&反省の無さにもあらわれている。
そういう国を作ってきたのが、大日本帝国憲法/明治民法/教育勅語/軍人勅諭/戦陣訓などであり、それらはもう存在しないが、我々日本人の精神や「世間」と言われるものの中に力強く生きている、また法律でも明治作成のものが今も残り、被害者を救うどころか地獄に突き落としているのが現実 (性犯罪に関わる法律など)。

大日本帝国は、政治と宗教(国家神道)と天皇制が、べったり一体化した、カルトかつファシズム国家だった。統一教会が50年以上前から、国や地方の政治、その他の場所に深く入り込んできたのはそこに家父長的共鳴性があったから。また国内にも、「日本会議」と「神道政治連盟」という、超保守右翼カルト政治宗教団体の2大巨頭が存在。
※「日本会議」とはどういう人達の集まりか?⇨ (全国8万の神社を束ねる)神社本庁 /明治神宮 /靖国神社 /仏教各派 /近代以降の新宗教団体 /修養団体(道徳や、ひとのみちを説く団体)/企業経営者 /大学教授 /政治家など

それら宗教右派と保守政権が手を組んで、男女共同参画 /性教育 /夫婦別姓 /同性婚 /LGBTQ+などを攻撃してきた(歴史の改ざん/修正なども)=理由は、彼らのアイデンティティである「伝統的家族観 (本当は、伝統でも何でも無い)」を守るため。
もう一つの大きな動きは憲法改正。保守政権と宗教右派がいう「憲法改正」は、今の日本国憲法を、人権を認めない大日本帝国憲法的なものに戻すということ。特に改憲派は、9条(戦争をしない)と、24条(家族内個人の平等と尊厳を定める)から壊そうとしている、(リレほくでも話題に出る、家庭教育支援法案は24条破壊への踏み石。またそこにも「親学」「親守詩」や「TOSS(=教育技術法則化運動)」といったカルト思想も関わっている)。
もし憲法が書き換えられれば、ここにおられる皆さんの活動も、今までの努力も全て水の泡になってしまう。
日本会議系の人脈が、戸塚ヨットスクール校長を顧問に迎えた「体罰の会」。

男女共同参画という言葉⇒本当は男女平等というべき (ここに、平等/権利/自由/個人などの言葉を嫌悪する、家父長制国家日本の精神があらわれている)。
「男女平等」を「男女共同参画」と言い換える精神は、「こども庁」を「こども家庭庁」と変えずにいられない精神と同じ。

最近は聞きませんが「ご先祖様に顔向けができない~」という言葉は日本がうんだ最も愚かな言葉のひとつ。私達が大切にしなければならないのは、もういない先祖の顔色をうかがうことではなく、私達が、下の世代 (そして、これから生まれてくる人達) に対して顔向けができるような社会にして渡すということ。
統一教会やその他宗教も、この「先祖の怒り」を利用してきた。それは明治民法では先祖祭祀 (先祖を祀ること) が家長の義務だったという事も原因。
ここで最も重要な事は、明治以降の一般国民に先祖を祀る事を強制してきた、家父長制という家制度が、虐待やDVや性暴力、様々な人権侵害を温存してきた根本システムだという事。

<その他トピック>

辛い体験に対し「犬に咬まれたと思って...」「一晩寝れば忘れる」等はとんでもない、一生続く心の傷は簡単にできる。ひとの心を全く理解していない。
 日本に徒弟制度はあるが、教育制度は無い。
ダークペダゴジー=殴る、怒鳴る、脅迫する、見せしめにする、皆の前で叱責、連帯責任、「飴と鞭」を使い分ける、などを”教育”だと信じ込んできた=世界一、体罰を容認する国

外面だけでは、その人の人間性や苦しみや、家庭内の様子は分からない
(近所・友人だからと言って、その人や家庭が分かると思うのは、高慢な考え)
日本には「個人」という概念がない=健康的な自他の境界線が引けない (ムラ文化)。 

AC(=社会・人間)の問題は突然その人に表れる訳ではない。何十年・何百年かけて育った「社会・家の問題という大樹の枝先の実」として、その人のACの問題が表れている。

私は、100年後、200年後の人に対して責任を負えるよう、自分の生きている間に問題解決のきっかけだけでも作りたい。

<**最後に**>

グループの名前で、ツィッター、インスタ、FaceBook、その他で、今日話したような事ばっかり書いてます(笑)。グループ名義ですが、参加するしないに全く関係なく、多様な人権問題を社会に周知し、考えてもらうことも大きな目的で発信しています。
特に公式LINEは一番情報が濃いので、見てもらえると喜びます(^^)

ご清聴ありがとうございました☆    

https://lit.link/iyashi



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