【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第49話-春、修学旅行2日目〜理美④

    理美は膝をついて泣きじゃくっている。
 貴志の心を奪った坂木紗霧が憎かった。
 貴志の隣は、誰もが羨んでいた特等席。それを手に入れた、坂木紗霧に嫉妬した。
 そして紗霧がいなくなり、貴志の心は壊れてしまった。
 いくら泣いたところで、それは何の解決にもならない。それがわかっていても、泣きながら謝ることしか出来ない。
 出来ないのだ。
 理美は泣きながら謝ることしか出来ない。貴志が、2年近く紗霧にそうしてきたように。
 貴志の前に、坂木紗霧はいない。謝っても、謝っても、その言葉は宙に消えていくだけだ。
 もう取り返しがつかない。もう会えない人には謝ることすら出来ないのだから。

 しかし理美の目の前には、貴志がいる。理美は好きな人に謝る機会を得られた。
 好きな人を失う。それはどんな形であれ、とても辛いことだ。
 そして新たに誰かを好きになることにも、かなりの痛みを伴うものだ。新しい恋が、失った恋をあっさりと洗い流してくれるなら…。貴志だってもう少し楽な生き方ができたはずなのだ。
 理美に早く楽になってもらう。そのための言葉を、貴志は探した。

「俺と紗霧が会えるように頑張ってくれた。走り回ってくれた。それは、俺のためだったよね」
 貴志が好きだ。そう感じてから、理美の心は貴志を求めてやまなかった。誰かを求める時、その気持ちは相手ではなく自分に向かう。悲しいかな、恋は結局「自分のために相手を求めてしまう」感情だと、理美は思っていた。
 しかし…。
 悟志が自分を強く想ってくれた。貴志の紗霧へのまっすぐな想いを聞いた。
 そして全てを終わらせる決意を固めて、初めて「貴志のため」に何かしたいと思えたのだ。
 北村貴志が好きだった。振り向いて欲しかった。さっきみたいに抱きしめられてみたかった。
 それは全部自分がして欲しいこと。
 坂木紗霧になんて会ってほしくなかった。だって、会ってしまえば彼の気持ちは…。
 それも自分のための望み。
 それでも、二人が再び会えることを望んでしまった。叶わぬ恋なら、せめて幸せな彼の顔が見たかった。
 しかし、それも叶わぬ願いになってしまった。二人を会わせられなかった。自分自身のせいだった。
 会えていれば、貴志の心の傷は癒えていただろうか…。
 涙と共に後悔が溢れてくる。理美は激しい嗚咽と共に泣き続けることしかできなかった。

 貴志は泣きじゃくる理美の肩に手を置いた。その手は、震えている。
「ありがとう。俺を好きになってくれて。でも、ごめんね。
 俺は高島さんの気持ちに、応えられない。
 多分これからも、ずっと…」
 この手の震えが止まらないから、貴志の手は理美を抱きしめられない。
 貴志の心にはもう、誰かの愛に受け入れられるスキマが残されていなかった。
 紗霧への罪悪感。それが貴志の心を満たしてしまったから。

「悟志の気持ちに応えてやって欲しい。あいつの兄として、お願いするよ」
 震える声で貴志が、語りかける。その声はしかし穏やかだった。
「私ね…。悟志くんが好きだって、言ってくれた時、嬉しかったよ。
 でも同時に怖かったの。
 坂木さんがいなくなった事を喜んだ、私みたいな女が、あんなに純粋な想いに応えられるのか?って。
 そんな身勝手な女が弟と付き合うなんて、貴志くんに受け入れてもらえるはずがないって。
 だから…だから…」
 泣きじゃくる理美に、貴志はそっと手を伸ばした。
「だから、俺に全部話して、俺にも悟志にも二度と近づかない。
 それをケジメにしようと思ったんだね」
 貴志はそこで一旦言葉を区切った。静かに首を横に振る。高島さんはまだまだ俺の弟の事をわかってない。
 理美に差し出した手を、貴志はぐいっと理美に近づけた。
「甘いよ。俺の弟は、そんな事で高島さんを諦めない。
 俺と縁を切ってでも、高島さんと一緒にいたいと望むだろう」
 貴志は伸ばした手を引っ込めない。じっと泣きじゃくる理美を見つめる。
「だって、それだけの覚悟がないと、好きだって言わないのが北村家のルールなんだから」
 理美が顔をゆっくりと上げた。涙はまだとめどなく溢れ出している。それでもまっすぐに貴志の顔を見つめた。彼の顔は寂しそうなままだった。
 しかし、それでも貴志は優しい笑顔を見せてくれていた。
 貴志が差し伸べてくれた手に触れる。理美が触れた手を、貴志が握る。
 震えた手で、しかし力強い手で、彼は理美の手を引いた。貴志に支えられて、理美が立ち上がる。
「それで、良いの?私が近くにいても嫌じゃないの?
 悟志くんを好きになっても良いの?好きでいても良いの?」
 普段大人びた雰囲気の理美が、年相応に心を乱して泣きじゃくる。懇願するように、語彙力を失った言葉で貴志に尋ねる。
 貴志は静かに頷いた。
「悟志の事をよろしくお願いします。ずっと、ずっと…」
 貴志の両親は中学で付き合い始めて、結婚した。貴志と悟志が生まれて今もお互いを想い合っている。
 そんな二人に…どうか、なってもらいたい。 貴志は曇りない気持ちで、その想いを理美にぶつけたのだった。
 
 冷たい風が止んだ。波打っていた河口湖の湖面がピタリと静まり、水鏡が月明かりを美しく映し出していた。
 ずっと揺れ動いてきた理美の心を映し出すように、水鏡が青く静かに輝いていた。
 貴志が好き。でもそれは激しい後悔に縛られた気持ちだった。
 悟志が好き。でもそれは貴志への未練で激しい罪悪感を覚える気持ちだった。
 それをこの人は受け入れて、くれたんだ。
「これからも、よろしくお願いします。お兄さん」
 理美の目からは相変わらず涙が溢れている。しかし心は数年ぶりに凪いでいた。
 私はこれからもこの人のことを好きなんだろう。でもそれは未練に縛られた「好き」なんかじゃない。ただ大切な人で居続けるということ。
 ありがとう貴志くん。初恋があなたで本当に良かった。大好きだったよ。

 湖面は静かに凪いでいる。いつまでも、いつまでも。

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