【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第46話-春、修学旅行2日目〜貴志②
貴志は、いまだかつてない感情の奔流に飲み込まれていた。気持ちが追いつかない。今の自分の気持ちすらわからなくなっていた。
紗霧がいなくなって良かった?
まさかそんな言葉が理美の口から出てくるとは思っていなかった。
紗霧がいなくなって、貴志は人生の意味を見失った。紗霧がいなくなった「あの事件」は言わば心の殺人なのだ。それを…。
「紗霧がいなくなって、嬉しかった。そう言いたいんだね」
無機質な言葉が口をついた。どんなに後悔しても紗霧はもういない。あの幸せだった日々は戻らない。
彼女を、あの日々を失って、良かったことなんて何もない。それなのに。
腹が立つ。なんだコイツ。憎い。憎い。憎い!どんなつもりでここにいるんだ。目の前から…いや、この世界からいなくなれ!
紗霧がいなくなったあの時、学校中の女子たちが歓喜の声をあげた。
直接口には出さない。しかし、自分に対する女子たちの態度から、それは伝わってきたのだ。
邪魔なやつがいなくなった…と。
高島さんもそう思っていたのか?高島も他の奴らと同じだったのか?こいつも…。
黒い感情が渦を巻いて貴志を飲み込んでいく。
周りの景色はもう見えない。周りの音も聞こえない。ここがどこかもわからない。今はいつなのか?中学1年生の秋に戻ってしまったのか?わからない。わからない。わからない、わからない、わからないわからないわからない…。
貴志は頭を抱えてうずくまった。髪を振りほどいて、抱えた頭をかきむしる。顔が、隠れた。
紗霧…紗霧を、返せ。紗霧を返せよ…。なんで紗霧があんな目にあわなきゃならないんだよ。
悪意の渦に飲み込まれた心が沈んでいく。深く深く沈んでいく。その渦の中心。貴志の心の真ん中から声が聞こえた。
「落ち着けよ」
それは自分自身の声だった。昔のように髪の短い、涼しく笑う貴志自身がそこに立っていた。
「取り乱すな。ちゃんと見て、ちゃんと考えろ」
考えてるよ…考えているから、こんなにも憎いんだろう?
「考えてない。ただ気持ちに流されてるだけだろ?落ち着けよ、俺らしくもない」
そうだ…こんなのは、俺らしくない。
今のように振る舞うことを決めた時、感情的に行動したのは、「あの一回」だけじゃないか。後は全て計算してやってきた。
誰も話しかけてこないように。誰にも好かれないように。あの鬱陶しいハエのような女子たちが二度と周りに群がって来ないように。それでも自分を見失わないように。
「あれから俺の世界は灰色だっただろう?裕や母さんや悟志以外、全部色を失くして見えていただろう?
周りを見てみろよ、お前の世界はまだ灰色なのか?」
中学1年生の貴志が、現在の貴志の心を諭す。暗い暗い感情の奥底で光るものを感じた。それは温かくて、そしてとても明るい光だった。
恩着せがましい眩しさではない。しかし確かに心に届く光。真夜中のコンビニの明かりのような…月明かりのような…。
あの日紗霧と並んで見上げた星空のような。
ぼんやりとした光の中に裕がいる。母さんが、悟志がいる。父さんもだ。その周りにも…。
隼人?福原?それともう一人。
た…か…しま…さん?
高島さんも、いる。
「俺がこうなるって知っていて、なんで彼女が、わざわざあんな事を言ったのか考えろ」
そうだ憎む前に考えるんだ。
「俺に好きだって伝えた時を思い出せよ。なんで高島さんの最初の言葉が"ごめん"から始まったのか、ちゃんと考えろ」
そうだ。高島さんは紗霧がいなくなったことに罪悪感を感じてくれていた。だから俺は、他の女子達とは違う態度で接したんだ。
「俺と紗霧を会わせるために、殴られてまで紗霧を引き留めようとしてくれた」
心の声に諌められて、感情の渦が引いていく。
「女子って言うのは意外と人前で涙なんか流さないんだよ。高島さんはお前のために、どれだけ泣いたと思ってるんだ」
おいおい…。中一のくせにえらく大人だな。
過去の姿で自分を諌めてくる貴志自身に、彼はツッコミを入れ始めた。
無機質な声に命が宿り始める。少しずつ周りの音が聞こえ始めて来た。
水面が揺れる。ちゃぷちゃぷと静かに揺れる。その音が聞こえてきた。
そうだここは河口湖。今は中学3年生で、修学旅行2日目の夜で、そして…。
「ごめんなさい…ごめんなさい」
目の前で理美が、壊れたオルゴールのように、同じ言葉を繰り返している。
ごめん。こんなになるまで、思い詰めて、それでも俺を想ってくれていたのに。
向き合わないと。この人の心に。ちゃんと向き合って、ちゃんと話さないと。俺は信頼したはずだ。この人を。高島理美という人を。
「高島さん、俺の方こそごめん。
真意を確かめもせずに取り乱して、本当にごめん」
理美は頭を抱えて、両肘をテーブルについて項垂れていた。
その目の真下。眼前の河口湖にも匹敵するくらいの、涙の水溜りが出来ている。
「ごめんなさい…ごめんなさい」
大粒の涙がとめどなく溢れて、涙の湖はどんどんその面積を広げていた。
そうか…あの日、心が死んでしまったのは俺たちだけじゃなかったんだ。
貴志は大きく息を吸い込んだ。静かに深呼吸を繰り返す。ため息に聞こえないように、慎重に。
静かな波音を立てる湖面に負けないくらい、心が落ち着くのを待って、貴志は静かに口を開いた。
「高島さんの言葉を、ちゃんと聞かせて…。
俺は、大丈夫だから。今、大丈夫になったから」
それでも理美はただ「ごめんなさい」と繰り返すだけだった。ずっと黙って抱えていた気持ちを吐き出したのだ。吐き出し切るには時間が必要だった。
「高島さんは俺から紗霧を奪ったりしていない…。それどころか、会わせようとしてくれたじゃないか。
だから、ちゃんと聞きたい。高島さんの気持ちを」
思い返せば、理美の自分に対する態度は、良くも悪くもどこか自虐的だった。
思わせぶりな言動。異常に近い距離感。紗霧と会わせようとしたときの自己犠牲。
それら全てが「まるで貴志を自分から遠ざけようとしている」ように見えた。
そうか…そういう事か。それが彼女が自分に与えようとした「罰」だったのだ。
ならば余計に、彼女の気持ち全てを受け止めなければ。
それは、そう…理美の初恋相手としての責任だと思うから。
「大丈夫…今度は取り乱さずに最後までちゃんと聞くよ。
だから、話して欲しいんだ」
貴志は掻きむしってボサボサになった髪をもう一度結い上げた。ちゃんと顔を出して、紗霧と付き合ってた頃と同じ、涼しい笑顔を見せて。
あの頃の表情を見せることは、理美にとってどれだけ残酷な事だろうか。
だからこそ、彼女の心を締め付けるために。あえて。
彼女の血まみれの心を解放するには、それしか方法がないのだと悟って。
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