【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第16話-春、修学旅行前夜〜貴志②

 あれは、そう一年生の林間学校前の事。
 中学に入ってすぐに迎えた林間学校。貴志は班長に選ばれ、多忙な毎日を過ごしていた。しおりの編冊やオリエンテーリングのコース確認など、実際に行くまでにしておくべき事がたくさんあったのだ。
 同じ班でも、裕は動物的過ぎて細かい作業を任せると大変なことになりそうだった。もう一人サッカー部期待の新人である坂本には、部活に集中できたほうが良いだろう。坂木紗霧は内向的なのでリーダーには向かない。あとの女子二人はそもそも班長などやる気がない。気がつけば貴志が班長に推薦されていた。
 この日も、班長の現地での役割や、班員の役割分担についての伝達会議を終えたときにはすっかり日が傾き始めていた。

 会議資料のプリントは職員室でコピーして、翌日には班員全員に配布できるよう整理して、教室に戻ったときにはすでに他の生徒の姿が見えなかった。
 ホッと一息ついて、貴志は自分の席に座る。もう一ヶ月が経とうとしているのに、こうして静かな時間を過ごすのは初めての事だった。
 他に班長をしている女子もいたが、不思議と貴志に声をかけてくることがなかったのは、貴志にとってありがたい事だった。あまりにも一人で過ごす教室が新鮮だったので、貴志は教科書を取り出して自習を始めていた。当たり前のことだが、学校は勉強をするところなのだ。そんな当たり前すら与えてもらえない学校生活。
 人気があるのはありがたいけど、もう少し静かに過ごしたいものだった。特に隣の席の坂木さんには迷惑をかけっぱなしだな…
 この前の手紙にはまだ返事がない。ただ裕からは「もう少しキッパリと距離を取るべき」と思っているらしい事だけ聞かされていた。手厳しいなあ。
 自分も早くそうしようとは思う。実際に呼び出されて告白をされた時はちゃんと丁寧に断っているのだ。主に「俺、好きな人がまだいないんだ」の一言で。丁寧すぎるため、「まだ」の一言に縛られた女子たちが離れていかないのは、貴志にとって皮肉な出来事だった。だから紗霧は「キッパリと」と言っているのだが…

 しばらくすると教室の扉が静かに開いた。振り返った貴志を見て、その人影が驚いたように後ずさる。
 人影の正体に気がついて、今度は貴志が驚く番だった。
「坂木さん、まだ…いたんだ」
 今まさに頭に思い浮かべていた相手が現れて、驚きと気まずさに鼓動が早くなる。
 ちょうど窓の向こうから運動部のジョギングの声が聞こえてくるが、そこから抜けて来たといっても違和感がないだろう。そのくらい鼓動が早くなっていた。
「うん、週一回は個別指導受けてから帰ってるから」
 如月中学校の進路指導室は予約さえ取れれば放課後の自習に使用できる。しかも当校出身の大学生から個別指導を受けることも可能なのだ。
「俺も時々お願いしてるけど、すっごいわかりやすく指導してくれるよね」
 貴志と紗霧、よく考えればなんとこの時が初めて二人で話した瞬間だった。班の話し合いをしていても他の班員と一緒だし、そもそもいつもは女子たちが群がってくるため、紗霧と話すこともできない。
「あ、あのさ!」
 なんだろう緊張する。それでも初めて話せるんだ。ちゃんと言葉にしなければ…
「いつも本当にごめんね。
 昼休みとか本を片手に中庭に向かうの見てて、申し訳なくって」
 紗霧の目がパチクリと瞬きを繰り返す。どうやってあの四方八方から女子に囲まれている状況でそこまで見てるんだろう…ちょっと怖い。
「別に私は静かに読書できたらどこでも良いから…それに中庭って風通し良くて、暖かくて本が読みやすいから好きなんだよ」
 そう前置いてから、紗霧は裕に言った通りの、周りとちゃんと距離を持つべきだと意見した。
「北村くんが王子様な態度を取り続けるから、毎日同じことの繰り返しになってるんだよね。さすがにうんざり…
 好きじゃないなら、女子に期待させるような言動は慎まないと」
 真正面から紗霧の顔を見る。嫌悪感のある表情ではないものの、真顔だ…怖い。だけど…
 貴志の鼓動がさらに早くなった。紗霧の顔を正面から見るのも初めてだったのだ。
 坂木さん、キレイだな。そんな言葉が喉まで出かかって、慌てて飲み込んだ。
 日は大きく傾いていた。夕日でオレンジに染まる空。
「暗くなると危ないから、送っていこうか?」
 自然と言葉が紡ぎ出されていた。言葉にしてから恥ずかしさがこみ上げてくる。耳が赤いのが熱さでわかる。慌てて帰り支度を整えた。しかし…
「北村くん、そういうところだよ」
 紗霧からは呆れたような辛辣な一言だけが返ってきたのだった。
「誰にでも王子様な態度をとっちゃダメだよ」
 紗霧はうつむいていた。襟足から垂れ下がった髪がうまく隠しているが、紗霧の耳も夕日以上に赤く染まっていた。貴志には見えないが。
「それに北村くんが悪い人だったら、一緒に帰る方が危ないから…モテる王子は信用できないの」
 そう言って微笑んだ顔が夕日に染って黄金に輝いた。
「また明日ね。
 もし王子様じゃなくなったら、その時は送ってもらおうかな」
 冗談交じりにそう言って、紗霧はくるりと振り返る。
 その後ろ姿を見守りながら、貴志は手のひらで自分の鼓動を確認していた。
 なんだろう…この気持ち。貴志は初めての感情に戸惑いを感じていた。
 貴志が胸の高鳴りを抑えて、教室を出る頃には、外はすっかり紫に染まっていたのだった。

「紗霧…」
 林間学校の写真を取り出して、部屋でつぶやく。あれから二年。もう紗霧はそばにいない。
「ごめん」
 君をあんな目に合わせてしまった。つらい思いをさせてしまった。紗霧は今、笑って過ごすことができてるのかな?
 それもわからないのに、俺は裕以外とまた笑って過ごせるようになってしまった。
 俺のせいなのに…
「ごめん」
 貴志は何度も、何度でも謝罪の一言を虚空に向けて紡ぎ続けるのだった。言葉だけが虚しく宙を漂い消えていく。

 どれくらい時間が過ぎたのか、わからない位の静寂の中。玄関から伝わる物音が弟の帰宅を知らせてくれる。そして同時にスマートフォンが通知音を鳴らし、ホップアップ画面が灯る。それは裕からのメッセージを受け取った報せだった。
「修学旅行の自由行動、30分ほど隼人の面倒を見ててくれないか?」
 そうか、裕は…。頑張れ、裕。心の中でつぶやいて修学旅行の旅程を開く。
 関西の学校の修学旅行、どこに行くのか問題はいまだ解決していない。1日目は横浜。午後からの自由行動。
 中華街で夕食を早めに取った後がいいだろう。別行動のお勧めを父さんに聞いておこう。そう考えながら「わかった、頑張れ」と返信して、貴志は晩御飯担当の仕事を始めるのだった。

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