【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第17話-春、修学旅行前夜〜理美

 黄昏の空はオレンジから赤紫へと色を変えていた。理美と悟志の歩く距離は少しの隙間を挟む程度に空いている。
 手を伸ばせば繋げる程度。だがしかし、自然には触れ合わない距離。その距離を保っているのは理美ではなく、むしろ悟志の方だった。まだ兄を想っているかも知れない彼女。大好きで大切だからこそ、本当に兄への気持ちが残っているならば叶えてほしかった。
 貴志はきっと理美に対して好意を表す事はないだろう。それは好意を持たないという意味ではない。好意を持ったとして、表に出さない…ということだ。ならば兄もひょっとしたら、今の気持ちの袋小路にいるのかも知れない。
 悟志は知らない。兄の言葉の真意を知らない。理美の恋を受け入れてしまったら、理美が苦しさに耐えられなくなる。その意味がわからないでいた。
 わからないから、怖い。理美はゆっくりでも兄への気持ちを断ち切ると言ってくれた。それがもし自分のためだったら?
 自分と付き合っているがために、理美さんが兄さんへの気持ちを断ち切らないといけないと思っていたら?それは悟志にとって耐えられない事だった。
 大好きな理美さんだからこそ、優しさや遠慮なんかじゃなくて正面から自分のことを好きになって欲しい。それが無理なんだったらせめて思いを遂げて欲しい。
 不安ならば口に出して本人に思いを伝えればいいのに…そんなの怖くて出来るわけもない。
 自然と悟志の口数が減っていく。それでも二人の足音だけが響くこの帰り道は、心地よく感じてしまうのだった。今自分は大好きな人と歩いている。そんな心地よさを感じてしまう。

 成長期真っ只中で歩幅がまだそう広くない悟志と足並みを揃えるのはそう難しいことではなかった。理美と悟志の歩幅は同じくらい。歩くペースさえ揃えれば、自然と足並みも揃っていくのだった。でも今日は悟志の歩調が…少し早い。
 せっかく二人で歩いてるんだから、もう少しゆっくり歩いてもいいのに。そんなこと、理美の口からは言えない。悟志の心が急いでいる。その理由は間違いなく、自分の心の中にあるのだから。
 悟志くんと一緒にいるの楽しいよ。
 その本心を一言だけでも伝えるだけで、その歩調は少しはゆっくりしたものになるのだろう。でも言えない。
 自分を大切に思ってくれる悟志のことを、気休めで傷つけたくはない。悟志の焦りの意味を知っているからこそ、軽々しく悟志に好きだと言いたくない。
 理美も話す言葉が見つからず、次第に二人は完全に口を閉ざすのだった。不思議と足音だけが重なり、和音のように響いていた。
 静かに日が暮れていく。

「あのね、修学旅行が終わったら」
 完全に日が落ちて、月の明かりに気がつく頃、不意に理美が切り出した。あのねの部分は強く、後になるほどか細く紡ぎ出された言葉に、悟志が足を止める。
 二人して前を見て並んでいては、お互いの顔もろくに見えていない。
 並んで歩き始めて、二人は今初めて顔を見合わせたのだった。二人とも月明かりを浴びて顔が青く輝いている。いや、青白い。
「ひどい顔…付き合い始めた恋人と並んでるのに、泣きそうじゃない」
 悟志の不安が表情から滲み出している。漫画なら顔のパーツすべてを真っ白にして、筆ペンで「不安」と書かれてるであろう顔色だった。理美の目にはその文字が見えるようだった。
「理美さんだって、俺を刺そうとでもしてるような顔だけど?」
 悟志も言い返すものの、「刺そうと」という部分に気持ちを押し込めている。次の言葉が怖い。
 理美さんの傷が癒えて次の恋をするまでの間、隣にいさせて欲しい。その告白の言葉に頷いてくれた理美。
 次の恋を俺にして欲しい…とは言っていない。それはほぼ同じ意味なのだが、それでも悟志には自惚れるだけの自信がなかった。
 ひょっとしたら貴志以外の誰かを好きになったとしても、悟志は止めることができないのだと思っていたのだ。
 次に紡がれる言葉は、ナイフのように心を刺し抜けてしまうかも知れない。理美の表情にはそんな覚悟が見え隠れしていた。

 二人とも歩きだすことができずに見つめ合う。いや、お互いに目を合わせられずにいるので向き合っているだけか。足音すら吸い込んだ闇の中に、ただ月明かりが照らした二人のうつむいた顔だけが浮かんでいる。
「悟志くん…私ね、今の関係良くないと思うんだ」
 暗闇を振り払い、放たれた理美の言葉に悟志の肩がビクリと震える。終った…のか?
 短い間だったけど、それでも理美さんの隣にいれて良かったよ。そんな言葉を喉まで紡ぎ出そうとして、悟志はむせて咳き込んだ。
 ああ…良くない言い方をしてしまった。どうせ別れ話だと思われたんだろうなあ。
 いや、悟志くんにとっては似たようなものなのかも知れない。でも、これは私にとって大事な儀式。
「修学旅行が終わったら、二人でお出かけしましょう?
 ちゃんと二人で手を繋いで、同じもの食べて、おいしいって言うの」
 悟志は頷かない。次に繋がるであろう言葉を待っている。
「私ね、修学旅行でもう一回北村くんに告白するよ。
 それで伝えられてない気持ちを全部伝えてくる。こっぴどく振られて帰って来る」
 たぶん言わなくてもいい言葉。いや、言わないほうがいい言葉。だけど、悟志が苦しんでいる理由が自分にある以上、ちゃんと伝えないといけない。理美はそう感じていた。
 自分が心に感じている罪悪感の正体を、悟志は知らない。だからきっとこんな私を好きだと言ってくれる。
 あのね、私は北村くんにも悟志くんにも好きと言ってもらえるような人じゃないんだよ。
 きっと今の気持ちの中に答えがある。そんな気がするから、ちゃんと北村貴志との決着をつけて悟志と向き合いたい。
 悟志が貴志の弟じゃなかったら、こんな気持ちを感じなくて良かったかもしれない。
 けじめをつけないと。このまま悟志くんを傷つけ続ける付き合い方はできないんだから。そう固く誓う。
 そう…今みたいな関係は良くないんだから。例えめちゃくちゃ嫌われて、別れることになろうとも、ちゃんと前に進まないといけない。
「めちゃくちゃ傷ついて帰って来ると思う。
 いっぱい遊んで、いっぱい笑って、思いっきり慰めてね」
 決意と裏腹に少しわがままに振る舞ってみる。それは小さな、本当に小さな強がりだった。強がりの仮面をあざ笑うように涙がこぼれてくる。
 今度会う時は何も考えずに悟志に抱きついてしまうかも知れない。その胸で思いっきり泣けたら、きっと私は前に進めるだろう。
 そしてそれが二人でいられる最後の時間になるかもしれない。私が抱えている罪は年下の彼には重たすぎて、きっと受け止めきれないものだから。
 強い気持ちで理美は顔を上げた。悟志と目が合う。
「ねえ、私がどんな気持ちを貴志くんに伝えたとしても…それでも好きと言ってくれる?」
 二人の身長は同じくらい。来年には悟志が追い抜いてくれたら…そしてその頃も悟志と並んで居られたらな…
 それは叶わない夢かも知れない。

「父さんに教えられたことがあるんだ」
 目に涙をためた彼女に、悟志が静かに切り出した。理美は彼氏の顔をまっすぐに見つめている。
「好きっていう言葉は、相手が自分を好きになってくれなくても…。
 例え自分以外の誰かを好きになったとしても、報われなくても、辛くても、相手にどんな秘密があっても」
 そこで言葉を区切る。次の言葉は重たすぎて心から絞り出すのに、勇気と覚悟と勢いが必要だった。
「それでも好きだと思えないなら、絶対に相手に言っちゃいけない」
 それは確か父が単身赴任を子どもたちに報告した日の食卓での言葉だった。
 その言葉の後に、父は母に「好きだよ」と言ったのだった。兄弟で口笛を吹いてからかったけど、両親はとてもうれしそうにしていた。
「俺、理美さんが好きだよ」
 悟志は大好きな彼女の顔をまっすぐに見つめて、静かに、しかしはっきりとした口調で思いを告げた。

 この言葉に報いないといけない。それが貴志をもう一度傷つけたとしても、隠し持ってる気持ちまでちゃんと伝えないといけない。きっと北村くんは私を許さない。でも伝えないと、ここまでの思いをぶつけてくれた悟志の前にはいられない。
 しばらくの沈黙の後にやっとの思いで絞り出したのは「ありがとう」の一言だけだった。その目尻から涙が流れて落ちた。

 悟志と手を振り家に入ると、理美はスマートフォンを取り出した。
「ごめんね。修学旅行の間、二人で話す時間もらってもいいかな?」
 それから数時間を要した。このたった2行のメッセージを送信する覚悟と決心が固まるまで。今までの人生で一番重い送信ボタンだった。

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