【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第75話-やまない雨の季節〜瑞穂の雨

「別に福原に会いたいわけじゃない…だってさ」
 瑞穂が寂しそうに唇を尖らせている。拗ねた顔もかわいいもんだ。裕は笑顔で彼女の不満を受け止めた。
 校門で解散してからも、裕は瑞穂と歩いていた。二人の家は方向がまるで違うのだが、裕は毎日のように瑞穂を家まで送っていた。
 告白を断られてしまっても、瑞穂への想いは残っている。例え友人としてでも、瑞穂のそばにいたかった。

 瑞穂は、貴志に言われた言葉を気にしているようだ。雨で濡れた瑞穂にタオルを差し出してくれた貴志。
 瑞穂は毎週土曜日に、貴志の家に押しかけては、勉強を教えてもらっている。おかげで成績はうなぎ登りだ。
 貴志に「風邪をひくと勉強に差し支える」などと言われれば、少しばかりの期待も抱いてしまうというもの。
 土曜日にも会えると思ってくれているのかな?
 そんな期待を粉々に打ち砕いた台詞こそが最初の一言だった。
「こっちはすでに会いたいっていうのに…」
 貴志と校門で別れて、まだ10分しか経っていない。だけど貴志の顔が見たくてたまらない。
 貴志の顔と言っても、前髪で鼻まで隠れているので、その素顔を見たことはほとんどない。だけどそばにいて、貴志の姿を視界に入れているだけで、何だか元気になるのだ。しかし肝心の貴志との距離は一向に縮まらない。
 北村貴志が好きだ。だけどチェーンの切れた自転車を漕いでいるように、空回りだけが続いている気がした。
 瑞穂はそんな心情を、つらつらと裕に語りかけている。そして時々申し訳無さそうな顔つきになる。
 裕の告白を断って失恋の傷を負わせた本人が、その相手に恋の愚痴を漏らすのだ。裕の擦りむいた心に塩を塗りつけているみたいで、瑞穂は居心地が悪くなった。
 それでも裕は黙って話を聞き続けていた。いつものような冗談も挟まず、瑞穂の想いを頷きながら聞いている。
 
 まっすぐに貴志を想っている瑞穂が好きだ。想いを一人で抱えきれずに吐き出してしまう瑞穂が好きだ。
 時々心の中に抱えきれずに、口から漏れ出てしまった好意を、貴志本人にぶつけてしまう瑞穂が好きだ。
 それでも切ない胸の内を、すべて貴志にさらけ出してぶつけるような真似は、怖くてできない瑞穂が大好きだ。
 この恋を応援したい。貴志のためにも。瑞穂のためにも。そして…自分自身のためにも。

「タオル貸してくれたのは嬉しかったな」
 成績が飛躍的に伸びて、雨の校庭で躍った謎のダンス。濡れた体を拭くように、瑞穂にタオルを手渡したのは貴志だった。
 首にかけたままのタオルを、瑞穂は愛おしそうに、両手できゅっと握った。

 初めて会った時も、壊れた自転車を直してもらった。あの日、どうして北村くんは工具を持ち歩いていたのだろう。
 雨の中、傘も差さずに踊るなんて奇行を予想できるはずもないのに、どうして今日はタオルを持っていたのだろう。
「アイツのカバンは異次元に繋がってるからな」
 頭がハテナマークでいっぱいだった瑞穂に、裕は冗談をぶつけてみた。
「いや、それ、猫型ロボットやないかい!」
 ツッコミを入れてみると言い得て妙だった。確かに北村くんは猫みたいな人だ。
 そっけない態度なのに、いつもそばにいてくれる。だからといって近づけば、ジト目でこっちを睨みながらジリジリと離れていく。
 瑞穂は想像の世界で貴志の頭に猫耳を描き足してみた。結構似合っていてかわいい。瑞穂の妄想の世界で貴志が「にゃあ」と、か細く泣いた。
 
 くすくすと笑う瑞穂を微笑ましく見守りながら、裕はぼんやりと貴志の心情を想っていた。
 貴志が自分から女子と二人になったのを、裕はほとんど見たことがなかった。
 それは貴志が王子様と呼ばれていた頃から変わらない。変わったとしたら、坂木紗霧に対してだけだ。
 修学旅行中に高島理美と話したのは例外中の例外。あれは理美の懺悔を聞くために二人になっただけだ。
 入学早々から学校中の女子に取り囲まれる。そんなあり得ないもて方をしてきた分だけ、貴志は女子への警戒心が強い。
 アイドル的な扱いに辟易していた貴志を、等身大の少年として見てくれたからこそ、貴志は紗霧を好きになったのだ。だけどそれは長く続かなかった。

 坂木さんがいなくなってから、貴志は心を閉ざしてしまった。
 そして今のように憎まれ口を叩いてはクラスの爪弾きとなっていったんだ。貴志は女子たちを憎んでさえいる。だけど…。
 瑞穂は知らない。貴志は女子と二人になりたがらないなんてことを。
 そして恐らく、貴志自身気づいてないのだろう。
 無意識にでも瑞穂と二人の時間を、貴志自身が積極的に設けている事に。
「瑞穂…ひょっとしたら脈が生まれたかもしれないぞ」
 ポツと呟いた裕の一言は、貴志の猫化を妄想して楽しんでいる瑞穂の耳には届いていなかった。
 お願いだからオレといるときくらいは、オレの声も聞いてくれよ。

 貴志の顔をした黒猫が、膝の上で丸くなっている妄想に、瑞穂は脳が溶けそうなくらいめろめろになっていた。
 遠くで裕の呼ぶ声がする。
「あっ!ごめん、裕…。
 今頭の中でね、猫化した北村くんを愛でまくってたんだよ」
 オレにそれを言うのは残酷だと思うぞ。オレは瑞穂を諦めたとは言ってないんだからな。
「じゃあさ、オレも犬化させて愛でてくれよ」
 瑞穂が貴志を好きなのはわかっている。それでも隣で機嫌よく尻尾を振るからさ、たまにでいいから…。
 そんな言葉は告白の夜に置いてきた。だけど、それでも。
「裕を中途半端に愛でると、かわいそうなことしちゃうから」
 裕からの告白は瑞穂にとって、とても嬉しいことだった。自分自身、裕を好きなんだと思っていたから。
 だけど実際に裕から告白されたとき、頭をよぎったのは貴志の事だった。
 裕に告白されなければ、今もひょっとしたら貴志を好きだなんて気持ちには気づかずにいたのかも知れない。
 だからこそ裕の前でだけは、貴志への想いを誤魔化したりしたくない。
 ごめんね。好きな気持ちに応えられなくて。 
「くぅーん」
 裕は切なげに犬の鳴き真似をしてみせた。
「おおぅ、レトリーバー」
 瑞穂がボケを被せると、一瞬の沈黙の後で、二人は顔を見合わせて大笑いするのだった。

 日がとっぷりと暮れても外は雨。暗闇の中、静かに霧雨が世界を濡らしている。街明かりが濡れた窓からぼんやりと光を届け、幻想的な地上の銀河を形成している。
 明日は勉強会だ。放課後も貴志の側にいられる。明後日は土曜日だ。さすがに手土産くらいは持っていこうかな。
 気がつけば貴志のことばかり考えている。
 あの人の寂しそうな瞳は、誰のせいなの?どうしてあんなにも悲しそうな顔をしているの?
 梅雨の降り止まない雫が、瑞穂には貴志の涙に見えた。

 裕の言ってくれるように、貴志が二人で会う女子はほとんどいない。
 瑞穂と、理美の二人だけ。
 修学旅行で見た貴志と理美の抱擁はなんだったんだろう。
「けっきょくサトちゃんには誤魔化されたままだし、北村くんも答えてくれないんだよね」
 二人は本当にただの友人なのか。サトちゃんは北村くんをどう思っているのか。
 北村くんにとってのサトちゃんはどんな存在なのか。
 北村くんが遠くを見つめる時、空の向こうに誰を見ているのか。
 みんなは昔の貴志を知っているけれど、瑞穂は知らない。
 どうして北村くんはあんなにも優しいのに、酷い人のふりをしているの?
 ねえ北村くん…私ね、話だけなら聞けるんだよ。私の膝の上で泣いてくれたって良いんだよ。
 そんな事で嫌いになったりしないから。
 例えば北村くんが誰を想っていても、報われなくても、私は北村くんの事が凄く、すっごく好きなんだよ。

 ベッドの上で膝を抱えて呟く瑞穂の声は誰にも届かず雨音にかき消されていった。
 その頃貴志が自室で静かに、雨にも負けない量の雫を瞳から降らせていたことを、瑞穂は知らない。 

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