【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第23話-春、修学旅行1日目〜紗霧①

 修学旅行で訪れたよこはま動物園ズーラシア。そのシロフクロウの柵の前で、紗霧は班から離脱した。
「ごめんなさい、フクロウ大好きで…。集合時間には合流するから」
 あまり話さず、自己主張もしない坂木紗霧からの申し出。班員もどう絡んで良いのかわからない彼女は、彼らにとってもいないほうが楽らしい。反対する者は一人しかいなかった。
「何言ってるんだよ、班行動だろ。どうしてもって言うなら、一人はいけないから僕も残るよ」
 男子が一人食い下がる。他の生徒は苦笑いを浮かべてため息を漏らしていた。どうやら毎度のやりとりらしい。
「いいよ、篠崎くんはみんなと楽しんできて。私は一人が良いから」
 静かな声だが、語気は強い。声が少し震えているのは気のせいだろうか。
「前に言ったよね。私は男の人と、二人にはなりたくないの」
 しゅんとしていた篠崎の顔が一瞬だけぱっと明るくなる。「男の人」と見られていることに喜んだらしい。子犬のように尻尾を振るのが見えるようだった。その表情もすぐに曇る。結局二人になろうとした彼の目論見は不発に終わってしまったのだ。
 彼女の嫌がることはしない。それが彼のポリシーだった。篠崎は班のメンバーと一緒に、園内の散策に向かうのだった。彼が子犬なら耳が垂れ下がってしまうのが見えただろう。そんな寂しそうな表情で去っていくのだった。

 一人になった紗霧はシロフクロウを静かに見つめていた。動物たちに何か影響があるといけないので、ミントタブレットは我慢している。あれがないとため息が苦くて落ち着かない。制服の上着からハンカチを取り出す。大切そうにハンカチに包まれていたのは、フクロウの木工細工だった。初恋の人が好きだったフクロウ。
 そのフクロウを握りしめていると、まるで彼が一緒にこの柵の前にいるような気分になれた。
 まさかつい数分前まで、その彼がこの檻の前にいたなんて知る由もなく、彼女はシロフクロウを見つめていた。フクロウの瞳の中に林間学校の光景が流れ始める。彼女は一人の時間を、フクロウの瞳に写る風景の中で過ごし始めるのだった。

 林間学校のスケジュールは意外にも忙しかった。郊外の町からなので現場となる施設は近い。近いと言ってもバスで1時間半は移動していた。到着し点呼を取るとすぐにテント設営が始まった。全グループがテントを建て終わるまでに時計の長針が二周半回っていたのだった。
「結構みんな苦労してるなぁ」
 貴志が周りを見回しながら言ったのは、自分たちのテントを建て終わり、荷物を放り込んだ後だった。5人用のドームテントに3人川の字で横になる。
 設営はあっという間に終わってしまった。貴志が説明書を見ている間に、裕はすでにテントのフレームを組み始めていたのだ。いつもの勘で、構造はだいたい把握しているらしい。裕の指示により設営は滞ることがなかったのだった。

「取りあえず女子の設営を手伝うか」
 裕の言葉に頷いた貴志が外を見ると、同じ班の女子たちもテントの設営を終えたところだった。貴志の肩が落ちるのを見て、裕の顔がほころんだ。
「坂木さんの手伝いができなくて残念だったな」
 それはお前だろ。そう言いたいのをこらえて、貴志は立ち上がった。荷物の搬入はしっかりと手伝う。
「山村くんの指示を横で聞きながらやったから、早かったんだよ。
 あと、動画サイトで予習もしたし。
 班長さんの負担、減らしてあげようって思って」
 他の女子からは不満の声が挙がっている。貴志に手取り足取り教えてもらおうと思っていたらしい。目論見が外れたようだが、そもそもテント設営は、手取り足取り教えるものではない。
 貴志も予習はしてきたが、中央にポールを立てるタイプの設営しか見ておらず、なんの役にもたてずにいた。
「仕方ないよ、班長さんとして色々なこと考えてくれてたんだもん」
 貴志の顔をまっすぐに見つめて紗霧が微笑んだ。そこでようやく、紗霧が自分の負担を減らすためにテント設営を予習してきたのだと理解して、貴志が赤面する。頭から湯気を出しているのが見えそうだと思って、紗霧に背中を向けてしまった。
「王子様でもできないことがあるんだね。
 なんか安心したよ」
 貴志がもう一度紗霧に向き直る。貴志としては紗霧に良い所を見せたかったのに、残念な結果なのだが。それよりも…。
「王子様って言うの止めてよ」
 紗霧にだけは王子様と呼ばれたくなかった。放課後に二人で話をする回数を重ねるたびに、紗霧が貴志の事を「王子様」と呼ぶことが増えていた。周りからの王子様扱いを揶揄されているようで、辛かった。
「もし王子様じゃなくなったら、その時は送ってもらおうかな」
 初めて放課後に話した時、日が暮れそうだから送ると言ったら断られた。その言葉が、頭の中に何度も再生された。
 坂木紗霧が貴志を「王子様」と呼ぶのは、拒否の証のように感じるのだった。
 紗霧は彼を拒否しているわけではなく、むしろ…。紗霧は俯いてしまう。貴志には聞き取れないように小さく、小さく呟いた。
「だったら早く王子様じゃないって、みんなに言えばいいじゃない」
 少し口を尖らせている。貴志が「ん?」と聞き返す素振りを見せる。
「外回りの設営が残ってるよ、王子様!」
 王子様の所に力を入れて、紗霧が微笑んだ。そのまま背を向けてキャンプ椅子を組み立て始める。
 向かい合って立つ男女のテントの間に、裕と坂本がタープを張っていた。裕の目がジトッと貴志を見つめている。
「クラスの女神様とお話するのは、仕事を終わらせてからにしてもらおうか?」
 坂本からの一言が飛んで、男子三人が一斉に笑う。
「ごめん。普通に今が林間学校だってこと忘れてたよ」
 その涼しい笑顔を見て、女子二人がきゃあと歓声を上げた。同じ班だといつもよりも近い距離で王子様の笑顔が見れる。これは設営を頑張ったご褒美なんだと、騒ぎ始めていた。
 紗霧は一人、黙々と貴志の分のキャンプ椅子を組み立てていた。
「そういうところだよ」
 また口元を尖らせて、誰にも聞こえないように、小さな声で呟いた。
 貴志はキャンプテーブル二台を組み立てて、調理道具を並べるのに忙しく、紗霧の呟きが聞こえていなかった。男子二人はタープを固定するため、ペグ打ちに忙しく、女子二人は騒ぐばかりでそもそも聞いていなかった。
 その後も速やかに作業を片付けていき、貴志たちはクラスのどの班よりも早く設営を終えた。
 
 設営を済ませて軽食を摂ると、施設の工房で木工体験が待っている。木工体験を終えると、夕食準備までが自由時間となるのだ。他の班を手伝うことは禁止されている。これも自主性と自己学習を重んじる校風によるものだった。
 工房でインストラクターが軽く説明を済ませ、各々が作業に取り掛かった。
 裕は竹ひごを使ってやじろべえを作っている。弟と妹が好きなのでお土産のためらしい。紗霧は焼杉にハンダゴテで絵を書き込んでいる。
 貴志は手のひら半分くらいの杉の端材で彫刻を作っていた。表面を艶が出るまで滑らかに磨き上げていく。丸みを帯びたフォルムに彩色し、ニスを塗り上げ完成したのは、フクロウのキーホルダーだった。裕たちが工作を続けているのでもう一つ作ってみることにする。丹念に顔を掘り上げ、羽模様を掘り上げ、丁寧に色をつけていく。
 父から知恵の象徴と教えられたフクロウが、貴志は大好きだった。その大好きなフクロウを丁寧に作り上げ、眺めて満足気に頷いた。フクロウの表情も笑っている。
「坂木さん、班長の仕事手伝ってもらったお礼…。受け取ってくれる?」 
 誰にも気づかれないように紗霧を呼んで、机の下でフクロウの木工細工を手渡す。手のひらの上に乗せられたフクロウは笑顔だった。
 紗霧は目を丸くして、「手伝った覚えなんてないけど?」と小さく返事をする。
 しかしその手はキュッと握られて、フクロウを絶対に離すまいと、強い意思が込められていた。
「資料のチェックしてくれたでしょ。あれで自信を持ってみんなに配布できたんだ。
 だから、お礼。
 これなら王子様じゃないでしょ?」
 他の女子に気付かれると騒ぎになるかもしれない。紗霧はジャージのポケットにそっとフクロウを、入れると小さく頷いた。
「隠れて渡さなきゃいけない時点で、王子様だよ」
 小さくツッコミを入れたところで、裕が顔を上げた。二人で話しているのに気がついたらしい。貴志と紗霧が同時に立ち上がって、作品をインストラクターに披露しにいく。
 仕上げた履歴が記録され、作品は個人の持ち物となった。
 全員が作品を仕上げたところで、貴志は女子二人からのプレゼント攻撃を受けた。紗霧はテントで自分の作品をそっと片付けて、キャンプ椅子片手に川沿いへと歩いていった。
 青空の下、水の流れる音を聞きながらの贅沢な読書。至福の時間を満喫する間、その手にはずっとフクロウの木工細工が握られていた。

 フクロウの柵を眺めながら、手元のフクロウと見比べる。茶色に彩色された木工細工のフクロウは笑顔。でも目の前のシロフクロウは少し険しい顔に見えた。
 集合時間ギリギリまで、貴志が大好きなフクロウを、紗霧はずっとずっと見つめていたのだった。


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