人柄写心家は、本当にその人をそのまま写せる写真家だった。
私にとっては写真と心の先生の一人でもある、人柄写心家のTSUGU。
この度出版に向けたプレゼンに挑戦されるとので、応援のために練習風景を覗かせて頂けることになった。
本番まで残り数日とのことで、最終資料も提出し終わり、練習もかなり積み重ね自分の言葉に近づいているところだった。
自分の欠点を受け入れて、無邪気に生きる
これが彼を選ばれる彼に仕立てたポイントであり、彼の撮影を受けながら変化していったお客様の特徴でもあるとのこと。
私はこの言葉の意味を、そのプレゼンの場で部分的ではあるが、実感させられることになる。
同席しているスタッフが褒めの言葉や壁打ちにぴったりの言葉を繰り出す中で、私は批判的だったり、厳しいと思われても仕方がないような言葉ばかりが出て来てしまう。
あくまでも自己分析の中ではあるが、分析的に物事を捉えたり、論理の矛盾を見つけるのは割と得意な自覚がある。
その一方で、相手のいいところを見つけたりするのはあまり得意ではない…。
やっぱりよくないだろうなぁとは思いつつも、これが私だから仕方ない、どんなに着飾ろうとしても、きっと正直なことしか言えないから。
半ば諦めの気持ちを持ちながらも、
私は私を貫いた。
正直どう思われているかは分からないし、もうちょっと優しく対応できるように気をつけようという気持ちはあるが、日頃から意識してみる他はない。
それでも萎縮して何も言えないよりも、少しは本人の力になれたかもしれないし、もしかしたら良い方向へ進むきっかけにもなっているかもしれない。
そんな反省をよそに思い出すのは、過去TSUGUに撮ってもらった写心たち。
私が撮ってもらう写真に写るのは、ただ単なる可愛らしさだけではないように自分には見えている。
写真を見た他の方々は”かっこいい”という言葉を使ってもらっているが、優しさだけではない厳しさを持つのが私なんだろうなと感じる。
欠点は目を瞑るべきところではなく、無理に改善すべきところでもなく、個性のひとつとして認めていくところなんだ。
写真はそういったことを教えてくれているが、それは実生活でもそうなんだなと改めて感じた。
光と影があるのが人間というものだ。
それを素直に写し出せるカメラマン。
その才能と努力は凄まじいものだと感じる。
だからこそ彼の撮る写真と、被写体となるお客様の変化がより世間一般に広がっていって欲しいとの願いを込めて…。
人柄写真家TSUGUが書いた本を本屋さんで見られる日を楽しみにしている。
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