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ランナーが走れなくなった時

5年前ほど前に走り始めてからというもの、毎年地元のレース、ハーフマラソン、マラソンに出て、ランニングを楽しんで来た私。

途中何度も怪我をした。膝痛、疲労骨折、腱鞘炎、シンスプリント、股関節痛などなど、ランナーがなりがちな怪我は割と経験して来たと思う。その都度、できる治療をやって来て、数週間、あるいは数ヶ月、ランニングを諦め、ウォーキングやバイク、ステップマシンに切り替えたり、ディープウォーターランニングのクラスに行ったこともあった。食事を切り替えて治ったこともあった。

その甲斐あってか、去年ごろから、ようやく怪我しなく練習できるようになって来た。念願だったボストンマラソンに走れる資格も得て、翌年のボストンマラソンに向けてトレーニング中の頃、そう、現在まで続いているコロナ渦に突入。

それからが大変だった。まずエンターテイメント系の会社を経営する、私と夫は失業。長くてもほんの数ヶ月かと思ったのがすでに1年になろうとしている。失業と同時に保険も失った。体調が悪くても保険も収入もないので、気軽に医者に行けなくなったのだ。ニューヨークの医療費は日本の十倍はする。体のメンテナンスとして機能していたヨガ教室やスポーツクラブも閉鎖。そんな時、運動不足解消のため、使用し始めたstealth nationというプランクの台を体幹を鍛えようと、数週間使っているうちに肩と背中を負傷。あまりの激痛に毎日辛かったが、しばらく使用をやめて様子を見ることにした。ところが、痛さも軽減せず、だんだん肩の可動域が無くなって来て、いわゆる50肩の症状が出て来たのである。それがなんとほぼ1年経つ今でまで続いている。流石に痛みはかなり軽減してはいる。そんな中、唯一の心の拠り所として走り続けた。ところが12月ごろから、急に膝の後ろに激痛が走るようになり、様子を見ながら走れるときは痛みを感じながら走り続けていたが、ある日、ラン友とスピードを出して走った時に激痛が走り一歩も走れなくなった。

1月に入り、収入激減のため、とうとう政府の保険を使えることになって初めて整形外科医に相談した。医者の診断では、私の予想通り、坐骨神経痛だろうと。そこから膝に痛みが来たのでは、ということであった。そして主に坐骨神経痛用の体操などをして様子を見たのだが、一向に膝の痛みがなくならない。走れないので、主にたくさん歩くことで体力をなるべく落とさないように心がけていた。鍼に通ってある日膝の後ろの痛みが引いたので、ランニングを再開。ところがたった3回で、今度は膝の前と腓骨あたりに激痛が走り、また走れなくなった。それをドクターに相談すると、それはランナー膝(腸脛靱帯炎)なので、フィジカルセラピーで治るはずだ、という診断だった。MRIをして欲しいと頼んだら、必要ないけど、一応やっても良いという許可をもらった。それからだんだん膝も痛く無くなって来たので、MRIの前日はランニングクラブのみんなと一緒に4マイル(約8km)ほど走った。彼らは6マイル(約10km)走ったのだが、私はランニングを休んでいたので、途中で心肺が付いて行けなくなったのだ。でも4マイルだけでも一緒に走れたことは結構良かったと一安心して、翌日、MRIも一応、という気持ちで検査してもらった。

ところが、結果は予想外に散々だった。膝や腓骨が何箇所も疲労骨折していて、かなり浮腫もある。軟骨が損失している部分もある。医者も驚いていた様子だったが、とにかく2週間は安静に。歩く時は松葉杖を使うように、という指示を出された。

前日元気に4マイル以上走り、その前後の2マイルはジョグと歩きで移動して、痛みもなかったのに、この結果にはショックを隠せなかった。ま、松葉杖で移動?正直もっともっと激痛の時もあったのに、本当はずっと前から疲労骨折していたのに、誤診のために、走れる時は走っていたわけだ。そのせいで悪化してしまったのだと思うとショックを隠せない。12月に痛くなった時にこれが分かっていたら、すぐにランニングを全面的にやめていたわけで、そうすると1月、少なくとも2月には復帰できていたと思う。それが無駄に長引かせる結果になってしまったのだ。

保険の関係もあり、医者のマニュアルでは、まずレントゲンをとり、診断。その診断にしたがって、理学療法士に患者を回す。それでもよくならない場合に、MRIで診断、ということになっているようだ。しかし最初と2回目の診断で誤診をしてしまった場合、取り返しのつかないことになる可能性もある。私もここまで何箇所も疲労骨折が出ているのは、診断では、走れる時は走っても良い、という診断だったので、本来なら歩くのさえ、控えた方が良い症状にも関わらず、様子を見ながら走ってしまっていたので悪化してしまったのだ。

もう春のマラソンは諦めるしかない。いくつか入れていたハーフマラソンなどのレースも全て出れなくなっていた。これからしばらく歩くのも控える状況だと、心肺機能も初心者の時よりも衰えるし、筋力もかなり落ちることになる。この後、普通に歩いたり、走ったりできるようになり、走れるまでに体力と筋力を回復させ、その後、またマラソンに出場できるようになるのだろうか?正直なところ、今回、そこまでレースに出たり、走行距離が極端に多かったわけでもないのに、疲労骨折を起こしてしまっていたというのは、何か他に原因があるのかもしれない。色々考えると、私がランニングをこれからずっと続けて行けるという保証は全くないのだ。

この5年、ランニングを通じて培ってきた友達、ランニングクラブの仲間たち、レースの楽しみ、マラソン旅行、など、私の生活の軸となって来たランニング。一生走り続けるのが本望だった。ただ、私がランニングを始めたのは40代後半。そして今50代前半で、ちょうど更年期真っ只中でもある。ランニング人口は5年ごとに半数淘汰されて行く。例えば45〜49、50〜54、55〜59と年齢が上がるに従って、半分ずつ減って行くのだ。それを考えればその減る人に自分がなるかもしれない、というのは容易に想像できたのにも関わらず、私はずっと走り続けられる、と信じていたのだ。しかしこうなってみると、実は走り続けることは想像以上に大変なことなのだろう、と実感する。周りには自分と同世代や年上でも素晴らしいランナーがいて、どんなに走っても怪我知らずな人もいる。ただそれは特殊な例なのかもしれない。そこに自分も入れることを切望していたけど、もし走れなくなったら?もちろん、これが回復して、リハビリして再スタートを切りたいと今は思っている。ただ、ランニングができなくなったその次の人生も考えなければいけない。その時は何を趣味にするのか?生活の軸はどうするのか?生きがいと言えるものは?どんなエクササイズに切り替えるのか?課題は山積みである。この機会に真剣に検討しようと思う。

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