見出し画像

世界が輝いて見える『2023.10.4』

「世界が輝いて見える」
今日は二回、そのワードを口にした。

私は、面倒くさがりの度を越していると思う。

これくらい出来ていればいいや。
ここまで終わればいいや。
なんでもいいや。
大体この三つの感情で生きている。

「ちょっともう限界だわ」

いつもはコンタクトを付ける私。
外出しない日は、度の強い眼鏡を掛けている。
その眼鏡を母親に奪われ、洗われた。

眼鏡を通した目が見えないほど汚れているからだ。

渡された眼鏡を掛けた。
「あらー世界が輝いて見えるわ」

世界はキラキラだった。

目の前にあるTVに映る芸能人は、いつもより何倍も美しく見えた。
いつも目にしている母親も、なんだか魅力的に見えて、
ただの数字の羅列だったカレンダーすら、これから待ち受ける楽しい未来に見えた。

眼鏡が綺麗になるだけで、世界が変わった。


「面倒くさがり」とは良い名前で、それだけで仕方がないと思わせることが出来るし、自らも洗脳されていく時がある。

前職はシフト制で、連休なんて無かったし、連休があったとしても遊びに出掛けたり一日寝ていたりと、いつも暮らしている物や場所に目を向ける事がなかった。

まあ、面倒だっただけだ。
案の定、私の部屋は誰もが驚くほどのゴミ屋敷だ。

ゴミ屋敷ほどではないけど、来客は無理だね。
と母に言われ、
絶対に一緒には暮らせない。
と幼馴染の綺麗好きから言われているほどの部屋。

だってさー、でもさー。
生きられればそれで良かったんだもんな。私。
私が生きる上では、私の部屋のスタイルくらい私に決めさせて欲しい。

でも掃除をした後、掃除の最中に気付くことがある。

「掃除をすると、世界が輝いて見えるな」

今まで見えていなかったテーブルの柄だったり、
たくさん積まれていた物が無くなって奥の景色が見えるようになったり、
自由に動ける場所が広くなったり、
収納していく楽しみを感じたり。

部屋は綺麗な方が良いな。
いつも気付かされる。

でも気付いたらパラレルワールドになっていて、自分でもなぜかよく分からない。

人は不思議なものだと常々思うが、その中でも自分が一番不思議だと感じる。


断捨離のタイミングはここではないかと感じ、「今」要らない物はシャコシャコとゴミ袋に入れていった。

物って案外要らない。
ニートになれば、尚更要らない物ばかり見える。

要らない物を収納するために、要らない物を買っていたことに気付き、人は愚かだと感じる。

一番愚かなのは、またまた自分なのだけれど。

収納と断捨離に力を注いでいたせいで、掃除機まで辿り着かず夜になってしまった。
一踊り、一ストレッチ、一体操出来るくらいのスペースは確保出来た。


さて、踊るか。
輝く部屋と、輝く眼鏡を掛けた私の門出を祝って。

この記事が参加している募集

#今日やったこと

30,889件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?