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鎖国のアルバニア ~バルカン半島で聞いてみた②

今回は「バルカン半島で聞いてみた」シリーズの第2回目。時期は2019年の春、最初に入国したアルバニアで聞いた話を。

みなさんはアルバニアがどんな国かご存じでしょうか。

と問いかけてみたものの、アルバニアについて語りはじめたら止まらない!というほど詳しく知っている人はそれほど多くないと思うので・・・、まずは簡単に国の紹介から。

地理的にはヨーロッパとトルコの間

アルバニアとは

アルバニアは、冷戦が終結するまでバリバリの共産主義国家だった。共産主義国家とは、経済活動を社会で共有して、国民に貧富の差がない平等な生活を実現しようという理念の国。

その国家の中で、ホジャという人が第二次世界大戦の時代から、亡くなる1985年まで、永らく独裁政権を敷いていた。

ホジャは筋金入りの共産主義者。そのため、他の共産主義/社会主義国家に対して次々と「軟弱だ!」と批判してはケンカして、断交することを繰り返して・・・

最後はとうとう鎖国した。

ほんの30年ほど前まで鎖国って。そのせいで、経済が今でもとりわけ遅れている。

そのあたりの歴史について、アルバニアの首都ティラナの博物館で、説明員の人が教えてくれた。60才くらいの女性。

独裁者ホジャ

博物館の説明員(以下、アルバニア人女性)
「ホジャは、当時のソ連の独裁者スターリンが大好きだった。アルバニアのありとあらゆる場所にスターリンの銅像を建てさせ、学校や地名や公共施設などにスターリンの名前が冠せられた。

だから、お隣の社会主義国家だったユーゴスラビアがスターリンと仲が悪くなったら、ホジャはそんなユーゴスラビアが許せないと言って、ユーゴスラビアと断交。スターリンが死去した時には、ホジャは膝をついて弔意を表したくらい心酔していた」

いちおう補足しておくと、スターリンは第二次世界大戦当時のソ連の指導者で、苛烈な圧政の逸話は数知れず。収容所送りにしたり処刑した人数は、合わせて数千万人とされている人です。

アルバニア人女性
「スターリンの死後にソ連の指導者になったフルシチョフは、公にスターリン批判を行った。そしたらホジャは、スターリンを悪く言うことは許せないと、ソ連と仲が悪くなった。

そこで次にホジャは、共産主義国家の中国へ接近。毛沢東と仲良くなり、アルバニアは中国から多額の援助を受けるようになったんだ。アルバニアの子供たちはみんな中国から大量に送られてきたパンタロンを履くようになって、そして毛沢東語録の赤い本が各家庭に配られた。中国人もたくさんアルバニアにやって来て住むようになった。私の夫の友人でも中国人がいるよ。

しかし、中国が1970年代にアメリカと接近して国交を持つようになると、資本主義の権化アメリカと国交を持つなど軟弱だ、とホジャは中国を批判して断交。結局鎖国することになった。

そして鎖国中は国境が完全に閉ざされて、国民は監視されることになった」

ちなみに、つい最近の9月のこと。「アルバニアがイランと断交」というネットニュースをみた。イランがアルバニアにサイバー攻撃をしたから、それに抗議するため。アルバニアは昔も今も、断交がお家芸らしい。

*首都ティアナの風景 ↓

アルバニア人女性
「鎖国時代は、学校で週一回5時間、アメリカが攻めてくる前提で軍事練習を行っていたんだよ。生徒にはカラシニコフ銃が配られて、5秒に一発ずつ銃を撃つ、という練習を子ども達が真剣にやっていた。ホジャってパラノイア(誇大妄想)でしょ。

そして鎖国時代は徹底的な監視社会。家族の誰か一人が国家について批判的な事を言ったら、刑務所へ入れられた。そしてその家族も強制収容所へ収容された。

牢屋では、わずか2m×2mくらいの場所に3人が投獄されたんだ。でも、次から次に国民を収監していったから、最後はそのわずかなスペースに最大18人まで詰め込まれて収容された。立つスペースすらなかったよ」

4㎡に18人って・・・、どんな状態だったのだろう。

他のアルバニア人も同じようなことを言っていた。彼は20才台半ばくらいの男性。

アルバニア人男性
「かつてこの国は、鎖国された刑務所みたいな国だった。そして、共産主義時代は、自分の子供さえ信用できなかったんだ。例えば、国家の悪口を言って逮捕されるとするだろ。そしたら、その人が釈放される際には、国のエージェント(密告者)として当局に協力することが条件として要求された。協力しなければいつまで経っても収容所から出られないから、断れない」

*共産主義国っぽさが溢れる外観の国立歴史博物館 ↓

以降は時系列に沿って話を進める。アルバニア人女性とアルバニア人男性には別々に話を聞いたけど、トピックごとにそれぞれ登場してもらいます。

独裁の終わりと民主化

ホジャは1985年に死去して、彼による独裁が終わりを告げた。さらにその4年後にベルリンの壁が崩壊して、他の社会主義・共産主義国家も次々とドミノ式に倒れていき、アルバニアも1990年に共産主義政党の独裁が終わった。

アルバニア人男性
「もともとホジャは『無神国家』を宣言して、アルバニアの中で宗教の存在を一切認めていなかった。その一方で、国の権力のピラミッドの中でホジャは自らを『神』と位置付けて、崇拝させる思想を国民に植え付けてきたんだよ。だから彼が死去した時に、国民は途方に暮れたもんだった。『神が死んだなら、世界の終わりなのか?次はいったい何が起こるのか?想像もつかない』って」

そしてアルバニアは資本主義に移行して間もなく、またも国家的な悲劇に見舞われる。

国民の三分の一が破産

*この事件については現地の人から話を聞いたわけではなく、本やネットの情報です。すみません。

1990年代にアルバニアの全国で、ネズミ講が流行。

今の若い人たちは、ネズミ講って知っているのかしら・・・。

簡単にいえば、胴元が何らかの会や組織を立ち上げて、会員を集めて、入会者は出資金を払う。会員を増やしている間は、新たな入会者の出資金を分配して、先に会員になった人たちは配当金を受け取ることができる。

どんどん新規会員を増やして出資金が入ってくる間はいいんだけれど、人口には限度があるから、このシステムはいつか必ず破綻する。

「連鎖販売取引」と呼ばれる方式で、昔はよくあった詐欺の手口。ねずみ算式に会員が増えていくことが名前の由来になっている。

で、アルバニアでは資本主義経済に移行してから間もなく、このネズミ講が急速に広まっていった。

ただアルバニアの場合は、そうやって集められたお金がビジネスとして使われていたから、最初はちゃんと出資者へ配当金が還元されていた。

どんなビジネスか?胴元は集めた資金を元手に、紛争が多発するお隣のユーゴスラビアへ武器を密輸して利益を挙げていた。つまりは武器ビジネス。

しかし、そのうちにユーゴスラビアの紛争がいったん沈静化。それによって1997年に武器ビジネスが成り立たなくなり、利益の源泉がなくなった。すぐに配当が行き詰まってネズミ講が破綻。それによって、実にアルバニア国民の三分の一が全財産を失って破産するという事件が起こった。

なぜ国民ぐるみで詐欺まがいの手口に引っかかったのかというと、アルバニアは当時まだ資本主義経済に移行した直後で、国民が資本主義経済の知識がなかったからと言われている。多くの人が疑うことなく、儲かるという話に乗って、このネズミ講に投資したらしい。「資本主義はお金がお金を産むんだよ」とかなんとか言ってたのかな。実際、それはウソではない。

現在も残る共産主義社会の体質

アルバニアはそんな困難を経験しながら民主政治・資本主義社会を立ち上げていったが、そう簡単に社会の体質が変わるものではない様子。

アルバニア人女性
「独裁政権が終わったときは、民主政治へ変化を求める人が7割くらいいたから、民主主義国家へ移行した。けれども、この国は今でもあまりに汚職がひどい。今の政権も制度としては民主政府だけど、昔の政府と何も変わっていない。いまだに政府には共産主義の血が流れていて、汚職にまみれている」

補足しておくと、本来の共産主義・社会主義国家は、理念としては国家主導で国民の平等を実現するシステム。だけど「権力は腐敗する」の言葉どおり、原理に忠実であるほど社会に汚職が蔓延するのが常。

アルバニア人女性
「そんな状態だから、今は民主主義政党と共産主義政党のどちらがいいか、という比率は、半々くらい。国民の多くは、政治制度としては民主主義が好きだが、現在の政権が嫌い、と感じている。年寄りの中には昔の共産主義時代に対するノスタルジーを持っている人もいる」

アルバニア人男性
「アルバニア社会には共産主義が染みついてしまっていて、本質的に社会は何も変わっていない。いまだに旧体制の人たちが政権を牛耳っていて、彼らにお金が集まるようになっている。

例えば僕は最近大学を卒業したけど、大学では教授が神様。彼らの思うようになんでもできる。特権階級の地位にない人たちは、彼ら特権階級の人たちに従う他に選択肢がない」

*首都ティアナの街角で ↓

そして現在でも依然として経済的に苦しい、という話へ。

苦しい経済

アルバニア人女性
「共産主義時代のアルバニアは、平均的な月給がわずか400円だった。そして今でも経済的に大変苦しい。体制側にコネがないと、仕事に就けないんだ。幸い自分は仕事を得ることができたけど、夫は無職。そんな状況だから、国民は海外へ出稼ぎに行く人も多い。実際、私の姉がカナダのトロントに住んでいて、仕送りしてくれている。その仕送りがなければ生活できないね。

あと困るのが、お金がなくて病院にすらいけないこと。でも実はお金の問題だけではなくて、そもそも病院には設備もなければ技術もないから、手術なんて受けられないんだよ」

*首都の八百屋さん。さすが元共産主義の国、店名さえ描かれていない素っ気なさ ↓

アルバニア人の「人生の優先順位」

という苦しい歴史を教えてもらった後で、そんな経験を経てきたアルバニア人たちの「人生の優先順位」を聞いてみた。


「アルバニア人たちが人生で大事にしていることは?」

アルバニア人男性
「本当は家族を一番大切にしたいけどねー。でも、まず何よりも『サバイバル』だよ。なんとか金を得て、家族を養って生きていくことだけで精いっぱい。というのも、職場にいて働いていないと、簡単に首を切られる。だから仕事をおざなりにできない」

この『サバイバル』という答えを聞いたのは、欧州最貧国のモルドバに続いて二ヶ国目。

両国とも、自国内で経済を回すことができず、海外へ移住したり、出稼ぎ先からの仕送りで本国に住む多くの国民の生活が成り立っている、という点で共通している。

政治がおかしくなると、最後にツケを払うのはやっぱり国民やね。。。

ということで今回の記事の主題は「アルバニア人に聞いてみたら、人生はサバイバル」だった訳だけど、それに至る背景を説明しないと伝わらないので、長々と書かせてもらいました。ここまで長文を読んでくださった方、ありがとうございました。

*首都の中心の広場。複雑で困難な国の歴史を反映してか、世界のどこかよく分からない雰囲気 ↓

バルカン半島で聞いた話シリーズ、次回も続きます。

by 世界の人に聞いてみた

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