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経営学グッドフェローズ⑤:世代を代表する経営組織論の旗手


神戸大学大学院経営学研究科
松嶋登教授

1. 電気羊の夢から覚めた後に
 経営学者も経営者も、どこかでテクノロジーの発展に夢を抱いている。
 

 いずれは、機械が労働力に代替される。
 

 情報収集と分析、意思決定がコンピューターに代替され、経営者の思い込みや判断ミスによる経営の失敗はなくなる。
 

 新たなテクノロジーが組織も産業にイノベーションを引き起こし、好景気とともに私達を新たな世界へと導いてくれる。

 でも、現実はどうだろうか?
 

 テクノロジーで経営は変わったか?
 

 テクノロジーで社会は変わったか?
 
 コロナ禍の下でテレワークの導入することさえままなない世界で、僕たちは21世紀の日本で生活している。
 なぜ、テクノロジーで経営も社会も変わらないのだろうか?
 テクノロジーで変わった会社と、買われない会社の違いは何なんだろうか?

 技術と経営、科学的管理法によって経営学が始まって依頼の、王道中の王道のテーマに挑むのが、神戸大学の松嶋登先生です。

2. 現代の組織論のトップランナー
 松嶋先生は、2015年に発表した『現場の情報化:IT利用実践の組織論的研究』で、経営学史学会賞と日本情報経営学会賞をダブル受賞した気鋭の経営学者です。

 『現場の情報化』の第5章は今もなおテレワーク研究の最高の到達点であるだけでなく、社内での情報共有システム、病院での電子カルテの共有を調査対象とした情報技術の導入といった事例から、テクノロジーと経営の関係を経営情報論から経営組織論全体の問題意識をカヴァーするだけでなく、技術の社会構成主義、ギデンズの構造化理論、アクターネットワーク理論と技術社会学、技術哲学まで組み込むことで、新たな知見を切り開く重厚な学術書です。
 経営組織論の研究者を志すなら、まずこの一冊を読まなければならない。僕は、『現場の情報化』は、そういう水準の本だと思います。

 この本で、松嶋先生は「現場の情報化」という、耳慣れない用語を提唱します。
 
 我々の働き方は、テクノロジーによって規定されている。それは機械によって生産量や作業方法が規定されるだけでなく、私達の働き方やアイデンティティそのものも規定していく。
 じゃあ、テクノロジーを変えれば、企業も社会も変わるのか?
 実は、テクノロジーそのものが、企業や社会を変えるわけではない。新しい技術は、既存の技術に入れ替わり生産性を上げるだけで、私達の働き方やアイデンティティを必ず変えるわけではない。
 だから、テクノロジーで「変わる」ときは、テクノロジーと人が付き合う中で働き方やアイデンティティまでも変わる時である、と松嶋先生は企業や病院での綿密な調査から明らかにしていきます。

 私達のアイデンティティは、かかわり合いの中で生まれる。それは親子や友人関係だけでなく、文化や宗教みたいな抽象的な存在、更には道具や機械といった物理的な存在との関係からも生まれる。
 初めて携帯電話やパソコンを触った時のワクワク感、初めて自動車のハンドルを握った時のドキドキ感、そこから、自分の人生が変わるのではないかという期待、みなさんも感じたことがありますよね?
 確かにIT技術は人々のアイデンティティを生み出す。でも、それはすべての人に同じ形でもたらされるわけではない。そこから個々の人間が見出すアイデンティティと、その実現を目指す組織的な行動によって、IT技術が可能とする生産性の向上以上の「意図せざる結果」が組織にもたらされ、経営も社会も変わる。
 だとしたら、IT導入による組織変革を期待するのであれば、それこそIT技術に思わぬ願望を持ち、想定外の利用方法を試みる人たちを排除するのではなく、彼らを受け入れ従来の機械に縛られた働き方そのものを見直す契機とし、組織変革への力として積極的に利用していくべきだ。それが、「現場の情報化」であると松嶋先生は提唱しています。

 新技術を入れたら大丈夫!
 ITを入れても変わらないのは、従業員が無能だからだ!

 そう考えてしまう経営者にとって、自らの経営のあり方そのものを問い直せ!
 そのためにはまず、テクノロジーと経営の付き合い方そのものを見直せ!
 その先に、変革と新しい未来が訪れる!
 
 そういう力強いメッセージが、『現場の情報化』という本には込められています。

3. 経営学のあり方そのものを問い直す
 この『現場の情報化』の一冊だけでも、松嶋先生は世代を代表する研究者になったのは、間違い有りません。しかし、松嶋先生、同年に桑田耕太郎先生、高橋勅徳先生と共著で『制度的企業家』を発表したことで、日本の経営学全体に衝撃を与えました。

 1990年代から欧米では経営学での新たなフォーマットとして主流となっていた制度派組織論の最新動向に基づいて、日本における事例分析を行った500頁近い大著です。この本の出版以後、日本の経営学で制度派組織論を取り入れる研究者が増えた、といって過言ではない一冊です。

 『現場の情報化』で、我々は技術に拘束されつつも、そこで獲得したアイデンティティによって社会を変える力を有している、という松嶋先生の議論から、『制度的企業家』を手掛けた彼の意図を考えてみましょう。

 我々のアイデンティティは、テクノロジーだけでなく文化や宗教によっても生み出される。制度派組織論はこの文化や宗教を、自明視された社会的事実として定義し、制度と呼びます。そして我々研究者が生み出す理論もまた、自明視された社会的事実として、人々のアイデンティティを生み出します。いわば、文化も宗教も理論も、社会を作り、社会を変えていく存在である、と言えます。

 いわば、制度とは組織化のためのテクノロジーそのものであり、経営学者は理論を担う司祭として、経営に、社会に積極的に介入していく技術者であるというのが、『現場の情報化』と『制度的企業家』を同時出版した、松嶋先生のメッセージになると思います。

 この2冊の発表だけでも、日本経営学の世界に大きな貢献をしたといって過言ではない松嶋先生ですが、まだ歩みを止めていません。そう。経営学の理論を担う経営学者として、社会に介入していく仕事が残されているからです。

 その第一弾が、2017年似発表された『計算と経営実践 : 経営学と会計学の邂逅』となります。

 経営学者は、理論で何を生み出しているのか。経営者や労働者の意思決定の基準となる、価値評価のツールです。経営学者達が生み出してきた、会社の資産、労働力の計算方法、商品の背印材的価値を事前に知るためのマーケティング手法が、いかに経営者や労働者の意思決定に介入し、市場や現場を作り出してきたのか。価値評価研究という新たなフィールドに踏み出していくことで、御用学者やコンサルもどきではない、研究者と社会との関わりに新たな局面を作り出そうとしているのが、松嶋先生が今目指していることだと思います。

 その著書は重厚かつ難解、解りやすい啓蒙活動を展開されていないため、松嶋先生は一般には知られていない研究者であると思います。しかし今、日本の経営学の世界で、この瞬間に最も影響力を持ち、次の研究動向に目の離せない経営学者であるのは確かです。テレワークのあり方が全国民の関心事になりつつある今こそ、松嶋先生が、広く一般の方々にも発見されるべき時である、と強く思います。

 経営学の新たなイシューである価値評価研究については、2019年に松嶋先生が責任編集を務めた日本情報経営学会誌「特集 価値評価研究」に、最新かつエキサイティングな論文が掲載されていますので、ご一読をおすすめします。


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