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謝ることに慣れる怖さがあるんです

日本人は「謝り好き」。
コロナ禍を経て
謝らせ好きに加わっているのは
いつも「謝罪を求める」かな。
逆に謝れば許してくれやすい。

謝るとはこちらが悪い場合が全て
ではないですよね。
謝ることで「解決に進む」からあえて
謝る場面が多い気がします。
特に日本の場合。

でも海外の場合は少し違います。
主張と謝罪は相いれない。
つまりこっちが正しければ謝る必要がない。
謝ればこっちが悪いと認める。
習慣と思っていたけど少し暮らしていると
それは恐らく「教育」なんだと。

日本に帰国した時に感じたのは
謝り慣れているなと感じます。
いや、謝るという「逆ギレ」が
なんと多いことか。

謝ればいいんでしょ

言葉にしなくても態度にはそういう
本音がきちんと「主張」している。
でも今日のタイトルは少し違います。
謝り慣れている。
慣れると「何が怖い」かです。

冒頭の「謝れば許して」くれる。
これです。
許してくれるけどそれはあくまで
表面的なこと。
根に持っている相手はたくさん。
だから謝って許してもらうことが
問題のゴールではなく。
問題の解決が「ゴール」なら謝るからこそ
ゴールに進めない」こともあるからです。
日本人の場合、ここが曖昧になること多め。

自転車業界で日本一失敗をした私ですから
もちろん「謝罪も日本一」かも。
でも問題を全く解決出来なかったシゴトは
ないし、むしろ「ゴルゴ13」のように
解決のためにとことんやります。
謝るとゴールがブレることが
多いなって改めて思うと
謝ることに慣れることほど怖いものは
ないかな

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