見出し画像

「わたし」は細胞膜に「受信」されている。

自分の投稿で、わたしはよく「内側」という言葉を使います。
noteでのみなさんとのつながりは、「内側」からのつながりだなあ、と。
外見とか立場とか、そういうものが最初のアプローチとなる「外側」からのおつきあいとは少し違って……わたしはそれが好きだなあ、と。

その「内側」って、実際はどこにあるのでしょうね。

自分の心、価値観、思考、記憶……そういう、「わたしの中身を成すもの」すべてをひっくるめて、わたし自身は「内側」という言葉を使います。
でも実は、「内側」は、わたしの内側にあるわけではない……と、ちょっと禅問答のような、言葉遊びのようなことを、思ってもいるのです。

少し前の投稿、「わたしの風邪は、『いま、治ってるとこ』。」という記事で、愛読書のひとつである「思考のすごい力」(ブルース・リプトン著/西尾香苗訳/PHP研究所)という本を紹介させていただきました。
今日は、前回とはまた別の角度から、いまいちどこの本について、話を展開してみたいと思います。

著者のブルース・リプトン氏は、著名な細胞学者です。本の中にも、細胞についての興味深いお話が、あちこちに散見します。
なかでも、細胞膜についての記述は、示唆に富んでいます。

例えば、原核細胞について。
原核細胞には、わたしたちのような脳の仕組みがありません。でも、ちゃんと生きるための「知性」はあります。
シンプルな体の仕組みの原核細胞の、それはいったいどこにあると思いますか?

原核細胞の知性は、細胞膜にあるのです。
詳細は、ぜひご紹介した本で読んでいただきたいのですが、生き残っていくために、外部から得た情報を瞬時に判断するのは、生物として必要な行為です。ですから、体の最も外側にあたる細胞膜に脳の機能がある、というのも、あながち不思議なことではありません。

そして、内容をかなり簡略化しながら話を先に進めると、リプトン氏は、わたしたち人間の思考や記憶も、やはり細胞膜に存在する──もう少し正確にいうと、細胞膜が「受けとっている」と主張されています。

すべての細胞膜は、レセプターを持っています。レセプターとは、細胞が外部の情報を受けとるための受容体です。
原核細胞が生きるために細胞膜を脳として機能させているように、わたしたちの細胞も、細胞膜を通して、体液等から多くの情報を得ています。ですから、情報を受けとる機能が細胞膜に備わっていることそのものは、自然の摂理です。
興味深いのは、体液からの体の情報のみならず、わたしたちの思考や記憶、感情、いいかえると「人格」そのものを、この細胞膜のレセプターが受信している、と、リプトン氏が主張していることです。

もう少し丁寧に説明していきましょう。
そもそも、人の記憶や感情は、データとしてあまりに膨大過ぎて、物理的な脳の中には収まりきらないとリプトン氏は考えています。
ではどこにあるのか。
なんと、「世界のいたるところ」、だと、リプトン氏はいうのです。

わたしたちの身のまわりには、目にはみえない様々な周波数の電波が飛び交っている、ということは、周知の事実です。
一定の周波数の電波を受けとれるように設定されたテレビは、空中に飛び交うその電波を受けとり、それを映像として画面に映しますよね。
同じように、「わたし」や「あなた」や「A子さん」や「B男くん」……それぞれの人格を保有した「独自の周波数をもつ波」が、目にはみえないけれど空中を飛び交っている。そして、「わたし」の周波数の波を「わたし」のレセプターが、「あなた」の周波数の波を「あなた」のレセプターが受けとることで、「わたし」の体は「わたし」に、「あなた」の体は「あなた」になる。
それは、「わたし」というタイトルの番組を「わたし」のテレビが受信することと、それほど大きく違わないのです。

実はこの考え方で説明できることがあります。
臓器移植の手術を受けたレシピエントが、移植後、ドナーの記憶や性格まで受け継いだ、という事例を耳にしたことがあるのではないでしょうか。レシピエントとドナーには、一切の面識がなかったにもかかわらず、です。
これは、「移植した臓器の細胞膜が、亡くなったドナーの周波数のレセプターを保有し続けていた」と仮定すると説明できます。

さて、ここまでのところを簡単に要約すると、こうなります。
「わたしたちの『人格』は、実は空中に波として存在していている。わたしたちの体は、その受信器である」。
ちょっと簡単にまとめ過ぎでしょうか。

本来、著者が何百ページも言葉を割いて導きだしていく結論なので、この短い説明で腑に落としていただくのは難しいかもしれません。
ひとまず、「そういうことも、あるのかなー」と、緩く受けとめていただけたらありがたいと思いますし、ここから先は、リプトン氏の説を踏まえたうえでのわたしのオリジナルの理論(というほどでもありませんが)なので、どうぞ氣楽にきいてください。

チャネリングについてです。
唐突にきこえるかもしれませんが、わたしたちの肉体が、空中に漂う波を受信しているのだとしたら、それほど飛躍した話ではないように思います。

瞑想や、スピリチュアルなことに関心のある方なら、肉体の外側に層になって重なる、いくつかの目にみえない体について、おききになったことがあるのではと思います。
エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体……などと呼ばれる「目にみえない体」が存在するといわれていますが、ここでは便宜上、何層に重なっているか、ということは置いておいて、肉体の外側に、もうひとまわり大きな「みえない体」が存在する、とイメージしてください。
そして、その「みえない体」も、全身にレセプターを持っている。

そのレセプターが受けとる波の周波数は、肉体のものとは少し違っています。「みえない体」の周波数に応じた波を受けとることになりますので、肉体が受信している「わたし」からみると、別の「誰か」の人格、あるいは「誰か」からのメッセージを受けとったように感じられます。
とても簡単にいうと、それがチャネリングです。

チャネリングというと、特別な感じを持たれる方が多いかもしれませんが、案外誰でも──文章を書くことが好きだという方なら特に、経験していることではないかと思います。
よく、アイデアが「降ってくる」という言い方をしますよね。たぶんそれは、まさに「空中に漂っている波」を体が受信した状態。
もちろん肉体が受信することもあるわけですが、突然空から「降ってきた」ように感じるものは、「みえない体」が受信していることが多いように思います。文章を「書かされている」ような氣がするときも同様です。

そもそも、チャネルは、チャンネル。英語ではどちらもchannelで、全く同じ表記です。「周波数にチャンネルをあわせる」というのが、チャネリングのもともとの言葉の意味だと解釈することもできるわけです。
チャンネルを合わせることで、肉体は「わたし」を、「みえない体」は別の「誰か」を受信します。

一般に知られているように、チャネリングの形態は様々です。ビジョンをみるという形でメッセージを受けとったり、音できこえたり、自動手記という方法であったり、肉体そのものを別の「誰か」が一時的に使用したりします。
原理は同じで、「みえない体」が空中から情報を「受信」しているのです。

同時に、「みえない体」が受けとった情報を、肉体が共有するための通路が開けている必要があります。視覚、聴覚、インスピレーションなど、受けとり方は、その人が保有しているレセプターの性質や、そのときの体の状態でかわってきます。

とてもざっくりしたものですが、チャネリングについてのわたし自身の捉え方を述べさせていただきました。もう少し詳細なことについては、また別にお話できる機会があればと思います。

最後にひとつだけつけくわえるとしたら、「みえない体」の存在を感じて過ごす、そういう日常の楽しさについてです。
時計の音が氣になりだしたとたん、それが大きく耳に響いてくるように、「みえない体」を感じることを習慣化すると、その存在について、よくわかるようになります。
あ、もちろんその前に、肉体にも、大いに氣持ちを向けてあげてください。
そこが大切にされてこその、次のステップです。
みえるほうも、みえないほうも、まず自分の体に関心を向け、大事にする。
全身のレセプターが受けとる自分を、大切に慈しむ。受けとってくれる体に心から感謝する。

そして、空中に存在する自分の情報が、どれほど世界と一体化したものであるかに思いを馳せると──わたしたちは決して孤独ではありえないのだと、晴れ晴れした嬉しさがこみあげるのです。


追記
こちらの記事に、二週にわたって、計3つのコングラボードが届きました。スキをくださったみなさま、本当にありがとうございました!↓↓↓

この記事が参加している募集

人生を変えた一冊

学問への愛を語ろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?