うたごころで歌うということ
新年が始まって、
もうすぐで10日が経とうとしています。
今年に入ってから、歌いましたか?
歌ってますかー?
そもそも
歌を歌うという機会は身近でしょうか。
それこそ人それぞれですよね。
鼻歌でも、一日の中で
歌ったりすることってありますか?
生活の中で、身支度をしたり仕事をしたりと、
作業としての動作が多い中で
意識的に身体の動きに気づく時間って
どれだけあるのでしょう。
朝食はスマホ見ながら箸を動かして
口に入ってきたものを咀嚼しながら
今日一日の予定を考えて…
なんて、マルチタスクが常である
現代人の生活。
ただ、空を見上げて綺麗だなーと感じて
気持ちよく身体を伸ばす、とか
ただ、誰かのことを想って祈る。
ただ、床を雑巾で拭く、なんて。
ただひとつのことに集中していることだったり、
無我夢中になって時間を忘れる状態だったり…。
ただ、対象に意識を向けていていながら
心と身体が一致しているという
あの感覚は、誰もが知っている
心地のよいものだと思います。
本来は、それが自然な状態なんだけど
そんな自然な状態で生きることが
難しい現代における日常生活。
どれだけ自分が一致していると
感じられているだろう。
歌って、まさにその心地よさが
瞬時にして感じられる楽しみそのものです。
◆
わたしは、個人スタジオと
出張レッスンなどの対面レッスンが
主な活動になりますが、
オンラインでもレッスンをしています。
今回は、オンラインで
ボーカルレッスンを受けてくれている
ジャーナリングアドバイザーkanaさんが
公開してくれている感想を
紹介させていただきます。
こうやって文字にして
公開して感想を伝えてくれていて
すごく嬉しかったので
是非みなさんと一緒に読みたい!
以下に抜粋しつつ紹介していきます。
◆
ちなみに、書く瞑想とも呼ばれている
ジャーナリングのプロであるkanaさん。
歌を通して感じたことを
こんな風に綴ってくれています。
面白いもので、何事も上手くなろうとしていると
上手くならないんですよね。
わたしはよくそういう体験をしてきました。
というか、上手くなろうとして歌っていると
「上手くなろうとして歌っている」
という表現が現れるだけなんですよね。
自分自身が一致していくと
結果として上手くなっている、っていうのが
歌だと思っています。
今回はkanaさんの感想のシェアですが、
自分の心と向き合うことのプロでなくても
レッスンを受けてくれている方々みなさんが
そのように変化していっています。
レッスンを通して自分と対峙する。
葛藤する。
大切な何かを見つけて愛おしむ。
そんな瞬間が必ずあります。
kanaさんは更に、
こんな赤裸々な想いも綴ってくれています。
黒歴史。
これまで、歌にまつわる記憶
苦い思いをしたっていうことは
誰しもがあるんじゃないでしょうか。
そこまで強烈なものではなくても
真剣に歌ったのに笑われてしまった、だとか
心無い言葉を受け取ってしまった、とか。
他者からのものではなくて
自分自身で、自分の歌が想像したものと
かけ離れていてガッカリして嫌いになった、とか。
歌いながら嫌な気分になってしまう、
ということだったり…。
大なり小なりはそんな経験ってあると思います。
わたしは、他者から受けた言動で
傷ついたことはあまり無いですが、
自分の理想とする歌声や表現と
自分の出すものが違っていて嫌になった経験は
たくさんあります。
自分が自分を受け入れ難い、といった
ところでしょうか。
きっと、誰でも「こうやったら失敗しない」
「これをやったら絶対ダメ」といった
暗黙のルールを持っていると思います。
しかも、それが無意識に働いてくれている。
もう、過去の失敗の二の舞を踏まぬようにと。
余計なお世話、のようで
実は自分を守るために過保護気味に
勝手に働いてくれている、
そんな働きが無意識に起きています。
でも、失敗しないように歌う歌は
「失敗しないように歌う歌」という表現が
現れるということなんです。
それって…
ほんとうに自分がしたいことなのかな、
ほんとうにそれを求めて歌いたいのかな、
と気づいていくと
自ずとルールからの囚われから放たれて
ほんとうの自分の歌声が出てきます。
歌うことはその状態になることから
始まっていきます。
◆
以下、kanaさんの感想より抜粋
そうなんです。
ただ、丁寧に集中できるように
作業を減らしていく。
作業ではなく、心から溢れたもので
動かされているのに気づく。
丁寧に歌いましょう、なんて
わかっていてもできないことだから
できるだけ細分化してフォーカスしていき
自分はどのように歌っているか気づいていく。
自分が何をしていたのかに気付けるようになると、
次は自分はほんとうは何がしたいのか、と
気付けるようになっていく。
ただ、そこで善悪の判断をつけたがる
エゴが邪魔をしてくるので
あくまでジャッジや反省や改善したいという
思いは横に置いてもらう。
これが一番の肝なんですよね。
歌う中での。
歌ったあとにジャッジする分にはいいけれど
歌いながらジャッジしていたら
もう、そのジャッジしている瞬間の音は
死んでしまう。
歌っている人が、歌っている間
音のすべてに意識を注いでいなければ。
そこまで自分のすべてが
音に溶け込んでしまっていると、
上手くやろうとか上手くできたかどうかとか
ジャッジのある二元的な世界ではなくなっていく。
自分が自分のしていることに気づく。
そして、自分はどうしたいのかに気づく。
自然に出てくるものを止めずに歌う。
そうすると…
思考ではなく、感覚。つまりうたごころが動いて、動かされて歌っているので「頑張ったー!!やったぞー!!」という手応えもない。
だから、頑張ったことへの報酬もない。
むしろ、こんな頑張らなくていいのか…と俯瞰している自分にも気づいていく。
残るのは心地よさや満足感。むしろ何もわからない、けど何だか気分は良い〜、くらいの感じ。
うたごころで歌うこと。
それは作業的にこなすこととは違って、
「歌になる」といったところでしょうか。
kanaさんは実直に自分を知りたいという
探究心の強い方なので、
レッスン内でもこのような気づきが
たくさん起こりました。
自分を知りたいという想いが無いと
「自分の癖があるのはわかったけど、だから何なの」「歌って、何かを知ったところで何になるの?」
なんて思う方もいるかも知れません。
でも、歌うことって
ほんとうの自分の声を聴くことなんです。
声を出す、っていう一方的なものではなく
もっともっと自分の声が聴きたい、
そんな想いがあると
ほんとうの声は溢れてくるものです。
その声を聴いたときに起こるもの、
それは素晴らしい歌手の歌を聴くことよりも
遥かに美しく、深い感動です。
kanaさんは、歌いながら
たくさんの気付きがあって自分の中に
禁断の扉を見つけたのだそうです…!
是非、この感想の全文を
kanaさんのnoteから読んでみてください。
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