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「上級国民」の「専制」を打ち砕け―同性婚訴訟と杉並区長選について

こんにちは。烏丸百九です。

本noteの読者の皆様なら既に周知かと思いますが、昨日20日、大阪地裁において同性婚を認めない民法や戸籍法の規定は「合憲」であるとする判決がありました。

同性婚を認めない民法や戸籍法の規定は憲法に違反するとして、京都府や香川県などの同性カップル3組が国を訴えた訴訟の判決が20日、大阪地裁であった。土井文美裁判長は、規定について「婚姻の自由」や「法の下の平等」を保障した憲法には違反せず、「合憲」だと判断。原告側が計600万円の賠償を求めた訴えを棄却した。同種訴訟は全国5地裁で起こされ、判決は2例目。昨年3月の札幌地裁は「違憲」としており、判断が分かれた。

原告側は訴訟で、婚姻の自由を保障する憲法24条は同性婚を禁じておらず、望む相手との合意があれば結婚は成立すると主張。同性婚が認められない影響で、法定相続人や手術の同意者になれないなどの不利益があり、「性的指向に基づく不当な差別を受けている」として、法の下の平等を保障した憲法14条にも違反すると訴えた。

一方、国側は、憲法24条が「両性の合意のみ」で婚姻が成立すると定めている趣旨について「男女を表すことは明らかだ」と反論。婚姻制度の目的は「一人の男性と一人の女性が子どもを産み、育てながら共同生活を送る関係に法的保護を与えること」であり、同性婚は該当しないとした。
また、憲法14条と立法不作為については「憲法が同性婚を想定していない時点で問題は生じない」とし、原告側の請求を棄却するよう求めていた。

上記記事より

特に上記強調部についてネット民から多数のツッコミが入っており、「子供の居ない家庭はどうすんの?」「養子に出す/養子を取ったらダメってこと?」「男女だと事実婚でも法的保護があるのは何故?」等々、枚挙に暇がありません。
憲法学者の木村草太先生も、以下のようにコメントされています。

いかに保守強硬派のネット右翼でも、「結婚したら子供を作るのが当たり前だ! 子供が出来ない夫婦は別れるべき!」みたいな主張をする層は少数派でしょう。今の日本は危機的な経済状況にあり、マトモに子供を育てられる夫婦が少ないことは、左右問わない国民の共通合意になりつつあるからです。

しかし、この国の主張を「結婚を単なる生殖の手段へと貶めるものだ」と素直に読むべきではないのでしょう。彼らの本当の主張は、選択的夫婦別姓反対と同じ論理―「家族の形の伝統を保守したい」です。

ただ、先述したとおり、若い保守派にも独身者や子供のいない世帯は広がっていると思われるので、「家族の形の伝統を守りたい」だけでは、ちょっと理由として弱いような気もします。
と言いますか、本気でそのような主張が正しいと考えているならば、何故ストレートに「伝統的家族観を守るべき」と裁判所は書かなかったのでしょうか。「差別ではない」という結論のためには、憲法上の解釈は「男女の婚姻」を前提としている、だけで押し通せるようにも思えます。

今更言うまでもないことですが、選択的夫婦別姓にせよ同性婚にせよ、国民の間には(アメリカの中絶反対派のような)草の根の反対運動や、国民からの激しい反発などは起きていないのであって、むしろ多くのアンケートは6~8割程度の国民が同制度の施行に前向き/どちらでも良いと考えていることを示しています。「保守強硬派」のイデオロギーが、現状を招いているのではないのです。

では、何故政府、というか自民党は、これほどまでに強硬に同性婚に反対し続けるのでしょうか。

答えは単純で、彼らにとっては「夫婦別姓」や「同性婚」には、明白な不利益があるからです。

また、吉田・麻生家と、岸・安倍家はいずれも、政・財・官にまたがる華麗な閨閥を形成し、つながってもいる。吉田も岸も、明治維新に大きな役割を果たした西南雄藩を選挙区としており、この二つのファミリーは、明治以後太平洋戦争をはさんで今日に至るまでに形成された近代日本エスタブリッシュメントの中核といっていいだろう。政治的立場は対立していたが、階級的には通じ合っている。よくいわれる麻生太郎と安倍晋三の盟友関係も、政治思想というより、階級としての同質性ではないか。
そう考えてみると、現代日本の政治地図に、明治以来の政治地図が反映されているようだ。2世3世議員は、減るどころかむしろ増えている。日本社会には政治的「血脈と地脈」とでも呼ぶべき、血筋と土地に根ざした人間の情念の伏流が存在し、選挙地盤として、後援会組織として、義理人情の蓄積として、脈々と受け継がれている。民主主義とはいうものの、日本の政治は、個々人の思想や主張よりも、その「血脈と地脈とその延長としての情緒」によって票が集められ、派閥が形成され、総理大臣が決められ、内閣が構成されているのだ。

THE PAGE - "自民党総裁選に見る「孫たちの政争」 「血脈と地脈」の日本政治"より
岸田文雄の家系図!四代続く政治家&親戚に総理大臣と社長!|にこスタ”より
岸田文雄の家系図!四代続く政治家&親戚に総理大臣と社長!|にこスタ”より

上の画像を掲載している記事でも書いていますが、現首相・岸田の一族の妻はほぼ全員が社長令嬢であり、特に旧財閥の一角でもある三菱グループとの繋がりは強固だと言われています。

他の首相について言えば、安倍昭恵は森永製菓創業者グループの家系出身ですし、麻生太郎は自身が麻生グループ・麻生セメントの元社長であり、妻の麻生ちか子は鈴木善幸元首相の娘です。
他にも、「優良な」血縁、婚姻、家系上の繋がりを挙げていけばキリがありません。自民党を中心に多い二世・三世政治家は、殆どがこういった「上級国民家庭」の出身なのです。

もちろん、田中角栄元首相のように、一代で「成り上がり」を果たした政治家もいますから、誰も彼もが「上級国民」だというわけではありません。
しかし、特に保守政治家が成功するためには、強固な「得票地盤」を必要とし、それが党派/イデオロギー的理由ではなく、「血脈と地脈」によって規定されている以上、妻の強制改氏を事実上無効化する夫婦別姓制度や、血のつながりのない親子関係の形成に役立つであろう同性婚が許可されては困るのです。主に男性が政略結婚によって政治権力を広げる、「伝統的な方法」が使えなくなったり、女性が同様の手法を用いる危険があるからです。

また、旧統一教会神道政治連盟など、宗教的理由から同性婚に反対している勢力に阿っている面もあるでしょう。ただ、彼らが本気でそのような右翼宗教を信仰しているケースは少ないと思われるので、やはり「(家父長的な)保守イデオロギー」は主たる理由ではないことになります。

要するに、日本とは「人民の人民による人民のための政治」(リンカーン)ならぬ、主に自民党を構成する「上級国民」達が、「自民の自民による自民のための政治」を、戦後ずーっと続けている国であり、少数派の専制主義を旨とする疑似民主主義国家なのです。彼らは自分たちの権益が守れれば、他の何が犠牲になろうとどうでも良いのであり、一般国民のために政治をする気など最初から全くありません。

専制政治では、身分が確立しており、統治者と被統治者が完全に分離している。支配者の地位は国民の支持ではなく、血統など別の理由によって保証される。そして専制君主によって国民の弾圧が行われた場合、それは身分を固定する手段としてなされる。

Wikipedia - "専制政治"より

ぶっちゃけた話、こうしたエスタブリッシュメント達「だけ」に注目すれば、日本はサウード王家が全ての権力を握っているサウジアラビアと大して変わりません。経済的には優秀なこと、親米国家なので色々な「お粗相」を許されていること、政体内部に異常な男女差別が存在することも同じです。
サウジと違うのは、専制政治に苦しむ大多数の一般庶民が存在し、またその多くが「専制」を「専制」と正しく認知出来ず、自発的に自民党を支持し続けていることです。一方で、「専制」は「独裁」とは違い、庶民の支持とは無関係に行われます。


今回サムネイルに引用したのは、週刊少年ジャンプの連載漫画「僕のヒーローアカデミア」に登場する悪役、【オール・フォー・ワン(直訳すると「全ては一人のために」)】です。

「僕のヒーローアカデミア」34巻より、オール・フォー・ワン。とっても怖い

このマンガでは【個性】と呼ばれる超能力が登場するのですが、このオール・フォー・ワンの【個性】は、「他の人から個性を奪って我が物にする」という実にラスボスらしいもの。【個性】はその名の通りその人のアイデンティティでもあるため、【個性】を奪われると、その人の意識もまた、オール・フォー・ワンの内部にコピーされます。彼はそれを、無理矢理押さえつけて意のままに操る……というわけです。

しかしながら、ネタバレになるので詳しくは言えませんが、最新34巻ではこのオール・フォー・ワンが大ダメージを受ける場面があります。それは大まかに言えば【個性】の「反逆」が起きたためであり、彼の「専制的権力」が阻害されたためです。

オール・フォー・ワンにせよ、「上級国民」の人々にせよそうですが、専制的権力を持った人々は、一見高圧的に振る舞いつつも、人々の「反逆」を異様な程恐れています
何故かというと、先程もチラッと書きましたが、ヒットラーのような独裁者と異なり、彼らは「多数派の支持によって権力を得たわけではない」ため、一度人々の不満を抑えきれなくなれば、容易く権力基盤が崩壊してしまう恐れがあるためです。そこが前提として大衆の支持を必要とする「独裁政治」と、そうではない「専制政治」の決定的な違いなのです。

同性婚訴訟が敗訴に終わったのと同日、杉並区長選挙の結果が発表されました。

無所属新人の岸本さとこ氏が、自民党の推薦を受けて圧倒的有利と言われた現職の田中区長を、わずか187票差で下し、新区長に当選しました。

田中元区長は元民進党で、特に保守強硬派というわけではないのですが、杉並区の再開発に反対する住民の声を無視して道路拡張計画を再開するなど、強引なやり方で広範に批判を浴びていました。

一方の岸本氏は、国際政策シンクタンクNGOのトランスナショナル研究所で研究員を務めた経験を持ち、海外の「水道再公営化」に長年取り組んできた根っからの市民派です。特に女性の投票率の伸びが高く、当選を後押ししたとも報じられています。

国家も法律もインフラも、本当は「そこに住む全ての人々のため」に存在するのであり、一部の「上級国民」や金持ちが使うためにあるのではありません。行政の全てが単なる「サービス」に堕してしまえば、それは近代国家の仕組みそのものを否定することに繋がりかねないでしょう。

法律や憲法解釈以前の問題として、強固な差別があり、それを無くそうという大多数の民意の声が聞こえるならば、国は直ちに制度の是正に動くべきであり、「我々が嫌だから反対」などと宣う権利は「上級国民」の側にはないのです。専制政治家は、たとえ公正な選挙で当選していても、真の意味での「民意」を背負っていないからです。

日本人が「自分が支持していたのは専制だった」と気づき、自民党が解体されるまでには、相当に長い時間が必要になることでしょう。ひょっとしたら私は既に死んでこの世に居ないかもしれません。しかし、「上級国民」が「下級国民」の声を無視し続けるなら、本当に「憲法に違反している」のはどちらの方なのか、ハッキリ白黒付けねばなりません。

参院選も近いですが、結果として自民党が勝つにせよ、何かしらの「キツい一撃」を喰らわせるべき時期に来ているな、と思っています。バニシング・フィストとか。

追記:
記事内容の一部にツッコミを頂きましたので、お返事がてら少し補足を書きたいと思います。

「上級国民」という言葉をワザと使用しましたが、別に「エスタブリッシュメントと繋がった財閥が共謀によって夫婦別姓等を差し止めている!」というような陰謀説を展開したいわけではないのです。
彼らには明確な「保守イデオロギー」などないのであり、あくまで「慣習」によって「専制政治」が続いているという状況がミソです。

「慣習」と一口に言っても様々なものが含まれるでしょうが、「中高年の伝統的家族観」も「慣習」でしょうし、「儒教的で家父長的な価値観」も「慣習」的に身についたものでしょう。
水は低きに流れると言いますが、何の政治的信念もなく、ただ利権関係だけで繋がった集団はひたすら「慣習」に従って駆動するしかないわけです。それが「血脈と地脈」で自己中心的な政治を続ける自民党の組織的限界です。

そしてこれは何も「専制政治家」達が独力で為し得ていることではなく、それを(知らずに)下支えする国民がいて初めて成り立つシステムです。

ウチの会社は先代からあの先生の世話になってるから、次の選挙も自民党に投票してくれ」と従業員に呼びかける経営者がいるとしましょう。彼には悪意や政治的イデオロギーはなく、何なら私生活では「リベラルな」人物かも知れません。しかし、彼は自分が無意識に「専制政治に手を貸している」事に気付かず、権力の再生産に加担してしまっています。日本のどこでも選挙前に繰り広げられているだろうこういう「慣習」が、専制政治の必要条件となっているのです。

日本人がやるべきは、こうした集団主義的な「疑似民主主義」をやめて、あくまでも政策や主張、本人の人品骨柄を見て投票先を判断することです。国民一人一人が個人として責任を持ち、自分の判断で自らの「代議士」を選ぶのです。

それは選挙運動が(今以上に)イデオロギー的な色合いを強く帯びることを意味し、時に国民の間で対立や分断を生むでしょうが、そうした困難を乗り越えていくことが議会制民主主義の本懐です。

それを拒否して「専制政治」を飲み込んでしまう社会は、そのうちロシアのように内部から壊れていくのだろうと思います。そして、「崩壊」は既に始まっているのです。

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