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堕ちて出逢えた「無色」の自分

中学校の終わりくらいの歳になってからだっただろうか。誰かの目に映ることを極端に恐れるようになった。一方で、「何者か」にはなりたかった。自己表現したいけれどうまくできない、そんな曖昧な思春期を送っていた。

そんな中、自分を表現する唯一の手段があった。それはバドミントンだった。

暑さ40度を超える体育館の中、乾いた床にシューズが甲高く擦れる音。わずか8センチにも満たないシャトルを打つ音。ぶっ倒れる寸前まで走り込み、コートの傍で汗を拭いながらキンキンに冷やしたポカリスエットを飲む。

何か、生きている実感がした。このスポーツに打ち込むことで、楽しさも、辛さも肌で体感でき、プレーで自分を表現できる。だからこそ努力をしたし、試合で勝つたびに努力が報われている感覚がして気持ちよかった。

私は、「努力の神様」がいると信じていた。絶対にできないと思うことでも、努力をしている姿を見てくれていて、頑張った分だけ願いを叶える存在がいると思っていた。バドミントンでも、絶対に成果を出そうと朝も夜も走り続けた。その結果、引退をするまでに県でも上位の成績を残せるようになった。

その成功体験から、さらに努力という言葉を盲信した。大学も、バドミントンの強い大学に進学することを決め、受験の準備をはじめた。だが、目指す大学は、到底自分の学力で到達できる大学ではなかった。

「大丈夫。自分には努力の神様がついている」

その言葉を唱えながら、朝から晩まで勉強を続けた。部活を引退してから勉強を始めたため正直かなり出遅れていたが、努力をすれば報われるという言葉を信じ続けた。

塾にも通い始めた。現役生用の校舎と浪人生向けの校舎が併設された塾では、夏季講習などの際に浪人生と一緒に授業を受ける。その際、浪人生の暗い顔を見て、努力をしなかったからこそ浪人になったのだ、なんて惨めなのだ、と心の中で馬鹿にしていた。

今だけ集中して勉強を頑張れば、バドミントンがまたできる。バドミントンさえしていれば、自分は自分でありつづけ、輝けるのだ。その一心で勉強に励んだ。

受験の当日を迎えた。連日の勉強を通じ、俺はがんばったから報われるべきなんだ。あとは神様が頑張りを認めて夢を叶えてくれる。本気でそう思っていた。

結果は、惨敗。

頑張れば報われるんじゃなかったっけ。脳裏に言葉が反芻する。人生で初めて努力が報われなかったことで、自分のアイデンティティが失われた気がした。その瞬間、「何もない自分」に出逢った。

それからしばらく時間が空いたが、その期間何を考えていたか覚えていない。引きこもりがちだったけど、生活のリズムを整える目的も兼ねて、4月からかつて自分が嘲笑した浪人生専用の校舎へ通いはじめた。横浜駅から塾へ向かう人混みが嫌いで、誰かが笑ったり、咳をしたり、イライラしていたりしようものなら、それは全て自分に向けられたものだと思っていた。駅から塾までの道は、ずっと下を向いていた。

しばらくしてから、浪人クラスの受講票をもらった。自分の顔写真をつけ校内で携帯しなければいけない、受講生であることを証明する一種の身分証みたいなものだ。

その日の帰りのバスで窓越しに空を見上げる。雲一つない青々とした空に、春の風に乗って桜が舞う。バスの中では、無職の男が逮捕されたというニュースが流れていた。不意に、青空を見上げながら、もし自分がいま事故などでニュースに取り上げられたりしたらどうなるのだろうと考えた。

「俺、もしいま事故ったら、職業、浪人生ってニュースに表示されるのかな…」

と、受講票を見ながら考えたが、すぐ我に返る。浪人生なわけないだろう、無職に決まっている。脳内で一通りツッコミを入れたあと、自分の頭の中によぎったそのどうでもいい問答に笑ってしまう。

そして、ふいに無職って「無色」と同じ語感だなと気づく。その瞬間、なぜか全てのことがどうでもよくなってしまった。そうか、無色なのか。無色であるならば、これから無色の自分に色をつけていけばいいや。そのうちいろんな色がついて、何者かになっているだろう。これまで無理やり何者かになろうとしていた自分と向き合えた気がした。

次の日から、横浜駅の人混みの中を歩いても誰の視線も感じなくなった。駅で誰が笑っていようと、その笑われている対象が自分ではないことに気づいた。なぜなら、今の自分は「無色」だから、きっと誰からも見えないのだ。自意識のノイズが消えた気がした。

坂口安吾の堕落論では、正しき道を堕ちきることで、再発見に繋がるといった趣旨のことが書かれている。ただ堕ちている最中、当人にとって絶望しか感じない。しかし一度堕ちた後は、空の広さを知るには十分な深さまでたどり着いていた。

レールを外れてみることで、初めて見える景色がある。何もない、無色な自分。アイデンティティを失ったときに、初めて自分自身と対面できた気がした。

これからどんな色を塗っていこうか。一回、世界を広げてみようか。何かに挑戦してみようか。浪人という時間を使って自分を見直していこう。そう考えたら、これから起きる事全てが楽しみになった。色々な可能性にトライする前に、まずは大学合格という目標に向かって努力しようと、もう一度自分を信じてみることにした。


バスの窓越しに青空を見上げるたびに、そんな浪人時代の無色の自分を思い出す。あの時無色であった自分は、今は何色だろうか。窓に映る自分の表情は、太陽と青空が反射し、蒼く晴れやかな色を帯びていた。

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