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いくらネコがめちゃ可愛いからといって、我々は最近ネコに頼りすぎているのではないか

ネコはかわいい! だが調子に乗るなよ


インターネットは荒廃している。とにかく、荒廃している。

X(旧Twitter)では、日々インターネットならではの揉め事を見ることができる。とにかく、揉めている。

投稿した人が揉めてる相手をイイねとリポストで成敗することもある。逆に投稿者の方が悪くね? ってなることもある。一番揉めるのはどっちもどっちで微妙な時だ。酸素と水素が混じった時に一番爆発するみたいな、そんな感じだ。

とにかく揉めに揉めて荒廃している。インターネットが、とにかく荒廃している。

一方そんな荒廃を尻目に、可愛いワンちゃんネコちゃんの画像が、SNSを席巻している。いや、インターネットが荒廃しているからこそ、イヌやネコや海獣など可愛い人間的邪念のない生き物の挙措が求められているのかもしれない。

ところが、人間は時にそれに頼りすぎているように私は思う。

人間は、イヌやネコがあまりに可愛すぎ、そしてインターネットがあまりに荒廃しているため、イヌやネコに頼らざるを得ず、そして頼りすぎている。

今日はそれについて幾つかの事例から、note諸賢と一緒に考えてみたい。



ちょっとした図で、空いちゃった空間にネコ使われがち問題

まずこの図をご覧いただきたい。

公益財団法人資本市場研究会「NYダウ100年史に見る経済と市場の発展」 https://search.sbisec.co.jp/v2/popwin/info/foreign/market_report_fo210122_01.pdf

右下にネコがいるのがお分かりいただけるだろう。このネコ、この図のなかでなーんにも機能してない。

こーいう、隙間を埋めるために可愛い動物を挟む図表や広告が多すぎる。

この図はダウが長期的には指数関数的に伸びていくことを示すためのものだ。この目的のもとでは、ネコは全く不必要だ。なのに入っている。

しかも投資にはデットキャットバウンドという用語があり、余計わかりにくくなっている。なお、この図の時間幅ではデットキャットバウンドは確認しにくい。

これが私が人類がネコに頼りすぎと思う場面だ。他にも結構、こーいうのあるでしょ。


『夏への扉』の宣伝がネコに頼りすぎ問題

ロバート・A.ハインラインの『夏への扉』というSF小説ではピートという猫が登場する。物語の冒頭の象徴的な一文を担うこともあり、本作はネコSFとして紹介されることも少なくない。猫好きはぜひ! みたいな。

ところが、この小説確かにネコは登場するのだが、このネコは特に物語で本質的な役割を果たすわけではない。主人公と一緒にいることも多いのだが、なんというか、終始とってもネコらしくしている。それがまた情緒があり良いのだ。物語はSF的な仕掛けがいくつも連続するのだが、ネコは常にそのかたわらにいて、ネコらしく振る舞っている。

『夏への扉』はそんなふうにネコが可愛い小説だ。それは間違いない。ところがネコSFかというと、述べてきた通りそうでもないのだ。

こうした構造にもかかわらず、ハインラインの『夏への扉』の宣伝をするときにネコがめちゃくちゃPRポイントになりがちだ。もちろんネコが可愛いのだから完全には的外れにはならないのだが、的の中心からは完全に外れているように思う。

現代から見るとそれなりに牧歌的で、そしてハインラインらしい大衆的・娯楽的な、タイムワープを主軸とする物語の展開こそがこの小説の醍醐味ではないか。ネコはそのかたわらでたたずみ、小説に彩りをあたえる。

宣伝の手法としてネコばかりに目が行くように差し向けるは、ちょっとやりすぎな気がする。

そしてネコSFっていうのは、もっとなんというか『キャッ党忍伝てやんでえ』みたいなものを言うのだろうと思う。リアルタイム世代もどんな内容だったか忘れてしまうほどの暢気な物語『キャッ党忍伝てやんでえ』。実際ストーリーはあってないようなもの。こっちこそが構造的にネコSFの本流な気がする。

『夏への扉』のネコのピートは奇しくもこう言っている。

アオウ、クムオーン(てやんでえ)!

ロバート・A.ハインライン、福島正美訳『夏への扉』(新装版)、早川書房(ハヤカワ文庫SF〈SF1742〉)、332ページ、2010年

ネコどうし通ずるものがあるのだろう。


「じゃらん」の「にゃらん」問題

この「にゃらん」についてはもうそんなに述べることも多くないのだが、旅とネコはとても相性が悪いにも拘らず、公式キャラクターになっていることにいつも私は悩んでいる。

ネコを旅行に連れていくのは大変だ。たまに空港などでネコと一緒に旅をされる方をお見かけし、旅の大変さを思うことがある。

大抵の場合、準備をした上でネコを自宅に置いて行ったり、友人や家族に旅の間のネコの世話を頼んだり、ペットホテルに預けたり、そうした手段をとって人々は旅行に臨む。

「じゃらん」は旅行サイトだ。公式キャラクターがネコであることは、現代社会でネコと一緒に旅行することには困難があること、ネコを飼っている人が旅行に行く際には一工夫がいることをあまりに等閑視していないか。

「じゃらん」の「にゃらん」は、こうした構造ゆえ、ネコが可愛いということに頼りすぎているように思う。

旅とネコとの相性の悪さを差し置いて、あえてネコをキャラクターにしているところが、構造的にネコに頼りすぎている。

おわりに

古来からリアルにいるネコをキャラクターにしたりして、ネコをバーチャルに楽しむことは行われてきた。ネコはとっても可愛いからね。

ところが現代では、ネコの動画や画像があまりにあふれてしまっている。リアルに肉薄するバーチャルなネコが、かつてなく大量に生産され、そして消費されている社会を、私たちは生きている。

その歪みが、ネコとの関係にいかなる結果をもたらすのか。あるいは何ももたらさないのか。それは今を生きる私にはわからない。80年後とかの人類が析出するものだろう。

いずれにしてもだ。インターネットが、荒廃している。

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