蓋をしてきた祖父母両親の人生に向き合う

青森県弘前市出身で、現在富山在住の私。
実家の母はアパートの2階で独り暮らしだったが
骨粗鬆症から腰椎圧迫骨折になり、昨年末から2度続けて入院。
それをきっかけに、母の認知症が急に進んでしまった。

もう独り暮らしは無理というケアマネさんの判断で
アパートは退居することに決まった。

母のいないアパートで、一人、母の転院準備をしていたら

棚に私の七五三の写真が飾ってあった。
63年前だから白黒だけど、着物が豪華なのは分かる。


そういえば小学校低学年までは
私ってお嬢様だったわ🤣

でもなんか、
孤独で窮屈でつまらなかった記憶しかない
昭和30年代って、商売人の家では、お手伝いさんが普通にいて
津軽では「あだこ」と呼ばれる、シッターさんもいたのだ。
小さいころの記憶は、そのあだこのおねえちゃんと静かに遊んでいたことしかない。

おまけに、今でいうDVもいくつかあったし。
最近になって、あれらってDVだったんだ
って分かったので、

家の中に立ちこめていた
どんよりした空気の原因がひとつ見えて、

まあ、今は良い時代になったもんだ


その後私が20歳の時  家が破産して
6人の家族はバラバラになり、

私はめでたく独り暮らしとなった。

玄関もトイレも共同でお風呂は無し
こもった臭いのする昔の間貸し。

家賃6千円くらい?

大学は地元の国立大で
学費は奨学金で自分で支払った
1年間で36000円だった
その後値上がりしたものの、調べたところ96000円だったようで
そういえば、4年の時は授業に出ずバイトを増やした記憶がある。

生活費も親からの仕送りは無く、全てバイトでまかなった

親には頼れなかったし
頼りたいとも思わなかったな

よくパンの耳とか食べてた。
あと当時ラム肉100グラム60円で、好きだったな。

そのころの私は、貧乏の辛さより解放感の方が強く
それなりに学生生活を楽しんでいた🥰

でも、成人式にも卒業式にも出ずに、
捻くれてたな、わたし🤣



退去する母のアパートが、ちょうどその大学の近くだったので
当時の事がしずかによみがえってくる

さらに、今度入る母の認知症病棟のある病院も
自分が通った中学の近くで、自然に
蓋をしていた記憶の扉が開いていった。

自分のルーツに触れ
富山とは違う故郷の文化に触れ

今ここにいる意味と
自分のちょっと変わった行動特性のバックグラウンドを
故郷の空気の中で肌で感じ

さまざまな事に対し
なるほどな…と腑に落ちたのでした。

こう思えたのは
去年、直感に従って受講した
マインド&ウォーキング&外見力の講座のおかげ

蓋をして閉じ込めていた記憶は
意識の奥で腐敗して

正しい認知ができなくなり
結果、表層意識まで曇らせてしまっていた。

本来は人が好きなのに
深入りできないとか
もう一歩変われなかったのが

闇の部分に光が差し込んだ感覚。

これは実は雑妙のタイミングだったんだわ。
時間的にも経済的にも、かなり無理したけど
今日は自分のインスピレーションに感謝しよう。



見ないようにしてきた家族それぞれの人生を
これからは大切にして

ご先祖様、じいちゃんばあちゃん、父母に感謝して

愛と感謝に満ち
これからも豊かであろう今の幸せに手を合わせて

過去のすべてをこれからの人生に活かしていこうと思う。

#人生
#実家
#帰省

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