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「働くひとの芸術祭」はじめます⑧-「働くひとの芸術祭」が拓く未来-

 「人は『働く』『生きる』を自分の作品として価値生成できるのか」という問いを立てて書いた大学院の修士論文をかみ砕いてお伝えしている本連載。最終回は、その総括と今後の展望について綴って(一旦の)締めくくりとしたい。

総括

 まず、「人は『働く』や『生きる』をアート作品のように価値生成できるのか」という問いを立て、第二次大戦後の日本における働き方の推移や新型コロナによって加速した変化に直面する働くひとの現状を明らかにした上で、俯瞰的な「鳥の眼」と文脈的な「魚の眼」からの考察を行った。また、社会との関係性を創出するソーシャリー・エンゲージド・アート(SEA)の動向を踏まえ、1968年と2022年の社会状況に即した実践事例から、アート的な「人と人との関係性」「社会との関係性」の価値生成について考察した。その上で、国内外の芸術祭の変遷を辿りながら、「『働くこと』と『生きること』を問い直す、あるいは新たな問いを立てる試みである」取り組みとしての「働くひとの芸術祭」の構想と試行実験について綴って来た。
 
 しかし、社会実装としての「働くひとの芸術祭」は、その表紙がつくられたに過ぎない。今後は、芸術祭をさまざまな角度と手法で実験すると共に、その実践を通じて「これからの働き方や生き方はどうなるのか」の探求を以下のように深めて行きたい。

 第一に、労働や働くこととの対価が金銭による「交換価値」となっていることの限界性が指摘されるいま、代替案(オルタナティブ)としての「贈与」や「経験価値」についての考察が必要となる。

 第二に、「つくること」の実践。実は、私は人並外れて不器用を自認している。いつからそのようになったり、思うようになったりしたのかはわからない。この芸術祭が、身体性を取り戻すことで自らの「働く」と「生きる」をつくり直す試みだとすれば、私自身が身体を使って「つくり続ける」ことが最も必要なことだ。

 第三に、この芸術祭をテクノロジーとの掛け合わせで実験・考察する必要がある。いま、ブロックチェーン技術によって、ウェブ空間は「Web3.0」へと進化しつつあり、それに伴って「DAO(Decentralized Autonomous Organization=分散型自律組織)」と言われるコミュニティが生まれつつある。そこには全体を統制するリーダーは存在せず、誰もがオーナーシップを持ちオープンソースと共創が重んじられる。そこでの働き方も、誰かに命じられるのではなく、自律的に「コミュニティに貢献しているか」が重要だとされる。リアルとバーチャルの違いはあるが、ルアンルパとDAOの在り方や価値観には「自律性と協働性の共存」をはじめとした多くの共通点がある。また、両者は共に「見えにくい」という点でも共通している。今ここで見ることができるアート作品やプラットフォームとは異なり、ルアンルパやDAOが生成するものは「プロセス」であり、それによって人々の心の中に生み出される「新しい価値観」なのかもしれない。

 第四に、理論面での研究事例としたデヴィッド・グレーバー、実践面での研究事例としたルアンルパやWeb3.0に通底する思想となっている「権力による強制なしに人間がたがいに助け合って生きてゆくことを理想とする」アナーキズムについての考察を深めて行きたい。

「小さき人々」の作品

 新型コロナ、ウクライナ侵攻・・・歴史的な事件が国内外で勃発し、それによって様々な分断や格差が露わとなった。働くことは「生活のため」と「自己実現のため」に分裂し、仕事は「金銭という対価を生むもの」と「金銭ではない何かを与える(贈与する)もの」とに分裂し、「生きること」と「働くこと」の分裂は大きくなっていった。また、アートは依然として「つくる人(主体)」と「観る人(客体)に分かたれている。「働くひとの芸術祭」は、こうした状況を魔法のように解決するものではない。だが、分かたれた両者の間に様々な選択肢があり、その選択権や主権は働く人の手に委ねられていることを、働く当事者が「思い出す」役割を果たすことをめざす。
 
 最初の数年は、私が地道に取り組みを続けながら賛同者を増やして行くことになるだろう。開催場所は、ある時は地域の食堂であり、ある時は企業の会議室や社員食堂になるかもしれない。基本形は守りつつ開催場所、参加者や開催形態などのバリエーションは広がって行く。それは開催者や参加者に委ねられる。
 
 第2回のパイロットワークショップ参加者のひとりは、アンケートにこのようなコメントを残してくれた。
 
「生きるって楽しいなと、嬉しくなりながら帰路につきました。働くという
 と、誰かに使われるとか疲れ果てるとか、マイナスなイメージを持ちがち
 なのですが、何かのためにすり減るのではなく、共有しあって豊かになっ
 ていくのだと思うと、すごくワクワクします」 

 
 芸術祭で「つくる」「はなす」「たべる」を楽しんだ後、翌日から少しだけ仕事に「楽しむ」が生まれて欲しい。その体験が少しずつ広がることで、どこかで「Tipping point(物事が一定の閾値(いきち)を超えて一気に広がって行く分岐点)」を迎える。それによって、様々な分断や格差の「融合」や「融解」が生まれて行くことになる。そして、働く現場にアートがある風景が当たり前のものとなって行き、市井の人々が生み出した造形を通じて生まれる「言葉」もまたアートになって行くことだろう。ムーブメントは、日本の片隅から全国へ、日本からアジアへ、やがて「近代合理主義」と「ブルシット・ジョブ」が発祥した欧米へも広がって行く。
 
 最後に、ある作家の言葉を紹介したい。名前はスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ(Svetlana Alexandrovna Alexievich、1948-)。ウクライナに生まれ、ベラルーシ人の父とウクライナ人の母を持つ彼女は、旧ソビエト圏で暮らす人々の声をすくいげた数々の著作で2015年にはノーベル文学賞を受賞した。彼女は、耳を傾ける対象を「小さき人々」と呼ぶ。ドフトエスキーをはじめとするロシア文学に登場する概念である。アレクシューヴィチは自分の作品についてこのように述べている。

「歴史は『小さき人々』によって支えられています。私は執筆を通じて、こ 
 の『小さき人々』を認識し研究してきたとも言えますし、これこそが私の
 人生と世界観を形作っている主要なモチーフなのです。今、起きているこ
 とや歴史というものを知るためには、私たちは『小さき人々』の声に耳を
 傾ける必要があります」

 
 今なお、大きな声を発する者が声高に「大きな物語」を語る。しかし、小さき人々がその働き方や生き方を「作品」とした時に初めて未来は拓かれる。それを実践することが、私のライフワークとなりそうだ。

つづく

 第1回 「働くひとの芸術祭」はじめます①(旅のおわり、旅のはじまり)|sakai_creativejourney|note
第2回 「働くひとの芸術祭」はじめます②(妄想と当事者研究)|sakai_creativejourney|note
第3回 「働くひとの芸術祭」はじめます③(あなたには「創造性」がありますか?)|sakai_creativejourney|note
第4回 「働くひとの芸術祭」はじめます④-「虫の眼」「鳥の眼」「魚の眼」で世界を観る-|sakai_creativejourney|note
第5回 「働くひとの芸術祭」はじめます⑤-アートの力で「Horizontal」な世界をつくる-|sakai_creativejourney|note
第6回 「働くひとの芸術祭」はじめます⑥-つくる、たべる、はなす-|sakai_creativejourney|note
第7回 「働くひとの芸術祭」はじめます⑦-誰のものでもない“造形”と“語り”が「作品」になる-|sakai_creativejourney|note

#働く #キャリア #芸術祭  

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