「働くひとの芸術祭」はじめます①(旅のおわり、旅のはじまり)

   私は2019年3月31日に35年間務めた広告代理店を定年退職し、翌4月1日に株式会社(と言っても個人事務所のようなものだが)を設立した。会社の名前は「クリエイティブ・ジャーニー(the creative journey)」。創業の理念を“創造的な人生を、すべての人に。”とした。日本の社会では「クリエイティブなものは広告代理店のクリエイターのような人が持ち合わせている特別なもの」とでもいうべき空気(社会通念)がある。しかし、定形的な仕事がAIなどによって代替されて行こうとしている中、すべての人間が、本来創造性を持ち合わせていることを思い出し発揮する必要性がある、と考えた。そして、それを自ら実践しなければいけないという想いから、起業と同時に無謀にも美術大学の大学院に入学した。

   無謀にも、と書いた理由は2つある。退職・起業という人生の大きなターニングポイントで更に大きな冒険に踏み切ったこと。もうひとつは・・・実は私は人並外れて“不器用”
なのだ。商品のパッケージのシールをはがすことひとつとっても、見かねた妻から「手伝おうか?」と毎日のように言われる始末だ。その不器用な私がよりにもよって美大に入学するのは、無謀以外の何物でもなかった。

 入学したのは、武蔵野美術大学の造形構想研究科 クリエイティブイノベーションコース。美大のノウハウをより広く社会に実装するために新設された大学院だ。入学した当初、予想以上の自分のダメダメさにショックを受け、私は軽い「五月病」になった。それほど強烈な体験だった。もうひとつ、自分の無知を告白すると、大学院は「研究の場」だということに入学してから気が付いた。

 しかし、ムサビでの2年間はかけがえのない刺激と経験を私に与えてくれた。実験的なカリキュラム、個性があり過ぎる教授陣、何よりも得体の知れない?立ち上がったばかりの大学院に飛び込んで来た私同様、無謀な同級生との切磋琢磨。そして私は、研究活動として、イノベーティブな人財が生み出される要因をUXのメソッドを用いて抽出し、個人と組織の双方に創造性が発揮されるメカニズムを提案した。しかし、どうにも消化不良感が残った。創造的な個人や組織を生み出すためには、社会全体の構造を変えなければ実現できないのではないか、それを更に探求したいという想いが強まった。そして「キュレーション」という言葉が思い浮かんだ。

 「キュレーション」とは、もともと「博物館や美術館の学芸員や管理者が展示物を整理して見やすくること」という意味だが、インターネットの浸透に伴って「インターネット上の情報を収集しまとめること」というIT用語の方が世間的に広まっている。しかし、私は美術界における「キュレーション」に、さらなる探求のヒントを感じた。特に印象深かったムサビでの授業が「キュレーション」だったからだ。それは、架空の美術展を企画しプレゼンテーションするという内容だった。テーマも開催場所も開催期間も自由。その授業を通じて、本来のキュレーションは「構想を描き、カタチにするプロセス」だと理解し、それこそが私の問題意識に応えてくれるものだと感じた。2021年3月にムサビの大学院を卒業した翌月、私は新たな美大の門を叩いた。

 入学したのは、京都芸術大学大学院の後藤繁雄ラボ。ある方とのご縁でご紹介頂き、現代アートとキュレーションの研究を通じて「創造的な人財と働き方を生む社会のメカニズム」の探求に踏み出した。その新たな学びの旅も終わろうとしている。同時に次の旅の幕開けにもなりそうだ。

 後藤ラボに入学した2021年春からの2年間は、日本も世界も正に激動の時を迎えた。2020年に発生した新型コロナ感染拡大という異常な状況下で、2021年の夏には東京オリンピックが開催され、閉幕直後に菅内閣は退陣し、岸田政権が誕生した。2022年2月にロシアによるウクライナ侵攻が勃発し、突然、世界は第3次世界大戦の危機に直面することとなった。7月には安倍元首相銃撃事件が起こり、思わぬ日本の暗闇がさらけ出された。また、2022年はWeb3元年とも言われ、リアルとバーチャル空間との境目はいよいよ失われつつある。連続する未曽有の事態に直面し、企業は事業変革に踏み出し、働く人たちには、いよいよ「自立のための真の自律」が迫られている。最初の大学院での研究を終えた時の「企業や組織内に留まる変革では、物事の本質的な解決にならないのではないか」というモヤモヤとした感覚は、急速に現実味を増した。いや潜在的なものが露になった、と言った方が正しいかもしれない。

 2回目の修士論文のタイトルは「『働くひとの芸術祭』が拓く未来」だ。現代アートやキュレーションを学ぶ意味は、それらが文化人類学、社会学、哲学、歴史学・・・といった多様な領域への「入口」となっていることだ。また、アーティストは、作品やその制作プロセスを通じて、自分そのものを「作品」のように価値生成する。現代アートという眼鏡を通じて自分を含む日本人の働き方や生き方を検証して行った時、「働くひとの芸術祭」という出口が姿を現した。その内容をできるだけ平易にかみ砕きながら、研究の過程で何を考えたのか、その試行錯誤の様子も交えながら綴って行く。そして、この研究や活動に共鳴頂ける方々との運動体をつくりながら、その体験や思考プロセスを記録・発信して行きたい。

「働くひとの芸術祭」はじめます。


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