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「働くひとの芸術祭」はじめます⑥-つくる、たべる、はなす-

 「人は『働く』『生きる』を自分の作品として価値生成できるのか」という問いを立てて書いた大学院の修士論文をかみ砕いてお伝えしている本連載。今回からは、働くことについての日本の推移や世界的潮流、あるいはアート/アーティストの価値生成という、これまでの考察を踏まえた“実験・実践”としての「働くひとの芸術祭」の提案をしていきたい。

なぜ「働くひとの芸術祭」なのか?

 まず、芸術祭の世界的動向と共に日本における芸術文化振興の歴史を辿りながら「なぜ祭りという形態をとるのか」「“芸術”とは何を意味するのか」について考察する。
 
 国際的な芸術祭は、1895年より開催されて来た「ヴェネチア・ビエンナーレ」に端を発する。その最大の特徴は国別参加形式と授賞制度で、参加国はまず自国のコミッショナー(展示責任者)を選出し、次いでコミッショナーが展示テーマやコンセプトを決めて、それにふさわしい自国の代表アーティストを選出する。こうした制度的特徴から、さながら芸術のオリンピックや万国博覧会とも称されて来た。この「ヴェネチア・ビエンナーレ」とは対極的な位置づけにあるのが1955年より開催されている「ドクメンタ」である。これは、第二次世界大戦期にナチスによって弾圧された退廃芸術の名誉回復を目的として始まった。その出自を反映し、特徴はテーマ性や問題提起を強く打ち出すために芸術祭全体を統括する一人(あるいはグループ)のディレクター(芸術監督)を選出し、すべての権限を委ねていることだ。
 
   地域活性としての芸術祭の始祖はドイツの地方都市ミュンスターを開催地として1977年より始まったミュンスター彫刻プロジェクトである。同プロジェクトは市の全体を会場に見立て、スタンプラリーを実施するなどの街おこしやツーリズムの要素を導入している。その後1980年代から90年代にかけて、米ソ冷戦構造の崩壊とマルチカルチャリズムの台頭によって、第三世界のアーティストが注目を集め、多くの国際展が誕生した。上記の世界的な潮流を受けて、日本でも2000年に「大地の芸術祭」という地方型の芸術祭が、2001年に「横浜トリエンナーレ」という都市型の芸術祭がそれぞれ誕生した。
 
 では、このような芸術文化を振興する「アート・プロジェクト」には、どのような価値があるのか。加藤種男著『芸術文化の投資効果』(2019年)を参考として、その意義と価値を探ってみたい。
 

   まず芸術文化が美術館やコンサートホール、劇場といった既存の文化施設からはみ出す意味は、文化を囲い込むのではなく、社会に開いていくことであり、それによって従来のカテゴリーに収まらない「創造的破壊」につながる、正にプロジェクト(投機)だとした上で、その画期的な理由を以下のように挙げる。第一に、既存の施設にあることが絶対的普遍的価値となるような芸術観・芸術史観の束縛から「芸術文化は人々が生活する場で暮らしの中に存在したものだった」という本来あるべき場へと解き放ったことである。第二に、従来のように自分の想いを自分で表現することに加え、他者の発案を具現化することにも、アーティストが全力を傾け、市民の参画によって協働の創造体験が実現されたことである。また、それによって専門的な表現手段を持たない市民もアーティストの力を借りて表現手段を回復することも指摘している。
 
 上記の背景として、2000年前後に「自分たちの社会は自分たちの責任においてつくる」という新しい市民社会が、芸術文化の変化を促したことを指摘している。それによって「芸術文化はさらに市民一人一人の自己表現に着目し、それを互いに認め合う自己表現の社会化を担う」ようになり「双方向のコミュニケーションの上に、つくり手と受け手の完全な流動化を図る芸術文化が出現した」と加藤は指摘する。その上で、こうした特徴を「祭り型の芸術文化」と名付ける。つまり、すべての人がつくり手であり、みんなでつくってみんなで楽しむ。それによって少数のつくり手を頂点とする近現代のヒエラルキー型の芸術文化からの転換が図られるとする。そして、この「祭り型の芸術文化」がコミュニティの要となることも挙げている。
 
 では、この「働くひとの芸術祭」における「芸術」とは何か。ここでは、鶴見俊輔(1922-2015)が提唱した「限界芸術」という概念を参考としたい。

    鶴見はその著書『限界芸術論』(1967年)の中で芸術を3つに区分する。第一は、つくり手としての専門的芸術家と、それに親しみを持つ専門的享受者によって構成される「純粋芸術」、第二は、専門的芸術家と企業家が合作し、それを大衆が楽しむ「大衆芸術」、そして第三が非専門的芸術家によってつくられ、非専門的享受者によって享受される「限界芸術」である。そして、この限界芸術の意義を

「すべての芸術家が特別な人間ではない。
   それぞれの人間が 特別の芸術家なのである」

と説明している。また『限界芸術論』では、祭りの歴史的な意味も明らかにしている。「言語にかかわりのあるなしを問わず、あらゆる種類の限界芸術が、オールスターキャストで出そろう」のが祭であるとした上で、文化人類学者の柳田国男(1875-1962)が提唱した「小祭」の意義を提示する。祭りが演じる者と見る者とに分離してしまったことから大正・昭和期における祭の衰退がもたらされたとする柳田の指摘を踏まえ、鶴見は「一種のショー的な大衆芸術になった『大祭』ではなく、村や町でその土地の人びとだけを目当てにこっそり行われる『小祭』のみが限界芸術としての働きを保っている」と指摘する。
 
 こうした考察を踏まえ「働くひとの芸術祭」の存在意義を以下のように定義する。多様な人々が協働的な創造体験を通じて「『働く』をアート作品のように価値生成できるのだろうか」ということを問い直す試みである。その際、いたずらに規模を追わない「小祭」としての在り方を目指すことが必要となる。

「働くひとの芸術祭」とは何か?

 「働くひとの芸術祭」とは「働くこと」「生きること」を問い直す、あるいは新たな問いを立てる試みであり、生きることと働くことは「つくる」行為を通じて融合されていく。デヴィッド・グレーバーが「ブルシット・ジョブ-クソどうでもいい仕事の理論-」が提起した問いの本質は「なぜ、人々は自分の仕事を“クソつまらない”と思うようになってしまったのか」「私たちは、自分の労働と何を交換しているのか」である。本芸術祭では、つくる行為を通じて、自らが生み出す価値を自己認識し、その交換手段の在り方を再定義する。それによって「仕事は、仕事それ自体を超えた何ごとかを達成する」ものとなる。
 
 ここで、もうひとつの問いを付け加えたい。それは「誰のために働くのか」である。現在、社会において改めて問い直されているのは「何のために働くのか」だが、それはともすれば金銭を主とした交換が目的となったり「自分のため(自己実現)」が主になったりする。それによって、仕事は「投機」的となる。だが、人は働くとき、自分のためであると共に「誰かのため」に働いている。人は、ひとりで生きることはできないし、完全に人との関係性を断って働くことも難しい。誰かが笑顔になったり幸福になったりすることで、働く意義や生きる意義を見出す側面を見逃してはいけない。
 
 「働くひとの芸術祭」はソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)でもある。結果として出来上がった作品だけでなく、そのプロセスあるいは制作過程、誰とどのような形で協働しどのように社会と関りを持ったのか、あるいはそこから持続的な何ごとかが生まれるのかも、芸術作品としての重要な構成要素となる。

どのように開催するのか


   本芸術祭は、大規模な会場でプロの作家の作品を非芸術家が受け身的に鑑賞するものとは真逆の形態を取る。小人数規模の協働の場を様々な形で開催し、それが織り合わされて全体としての「芸術祭」となる。ここでは、すべての参加者が等しく「つくり手」となって主体的に作品づくりに取り組む。そこに芸術家と非芸術家の区分は無い。
 
 「つくる」と共に、この芸術祭を特徴づけるものが2つある。1つ目は「はなす」。造形化(可視化)されたものだけではなく、その制作過程あるいは作品を見て心の中に沸き起こったものを言語化すると同時に、互いに感じたことを共有することで「働くこと」への価値観の違いを学ぶことになる。2つ目は「たべる」である。私たちは「食べる(生活する)ために働く」「働かなければ食べて行けない」と比喩的に表現するが、仕事時間における「食べる」には無頓着になっている。食べてはいるが「味わって」いない。しかし、ランチタイムの食事や仕事を終えた後の食事は、働く時間の中で最も「生きていること」を実感できる時間かもしれない。普段、我々が意識することの少ない「働くとは」という問いを身体を通じて意識化する媒介(メディア)として、この「たべる」という行為を芸術祭の中に取り込む。つまり「つくる」「はなす」「たべる」の3点セットが本芸術祭における「作品」となる。
 
 開催形態は開催場所や参加者によって柔軟に設定されるが、以下のようないくつかの最低限守るべきルールを設ける。

1.   参加者は、ひとしく「働くこと」の作家であり、互いにリスペクトを
     持って接する。
2.   出来上がった作品の良し悪し、美醜を「評価」しない。
3.   対話の場では互いを尊重する。
4.   その場を「楽しむ」

 
 開催の基本的な形態は以下の通りになる。参加者は「働くこと」をテーマとして作品を制作することを求められる。素材は自由だが、小サイズを基本とする。某月某日、会場に参集し決められた時間の中で造形に取り組む。制作の場で、プロの芸術家が非芸術家にアドバイスやちょっとした手助けをする場面があっても良い。逆に芸術家が非芸術家のアイデアや造形方法からヒントを得るかもしれない。作品づくりが終わると互いの作品を鑑賞しつつ食事をとりながらの対話の時間になる。食事は食堂で供される時もあれば持参したり調理したりする場合もある。互いの作品をながめ食事をとりながら、ゆったりと「作品をつくりながら考えたこと」「作品をつくって改めて“働く”について考えたこと感じたこと」「互いの作品をギャラリー的に見渡して“協働する”こととは何か」あるいは「働くひとが協働する、ありたい社会の姿とはどのようなものか」などについて話し合う。その場の出会いや気づきによって、参加者同士の新たなコラボレーションが生まれるかもしれない。そして、制作した作品やそこで語られた言葉はアーカイブ化して行く。
 
   次回は、この構想に沿って開催したパイロットプログラムの様子をお伝えしながら「働くひとの芸術祭」という試みの可能性について綴っていく。

第1回 「働くひとの芸術祭」はじめます①(旅のおわり、旅のはじまり)|sakai_creativejourney|note
第2回 「働くひとの芸術祭」はじめます②(妄想と当事者研究)|sakai_creativejourney|note
第3回 「働くひとの芸術祭」はじめます③(あなたには「創造性」がありますか?)|sakai_creativejourney|note
第4回 「働くひとの芸術祭」はじめます④-「虫の眼」「鳥の眼」「魚の眼」で世界を観る-|sakai_creativejourney|note
第5回 「働くひとの芸術祭」はじめます⑤-アートの力で「Horizontal」な世界をつくる-|sakai_creativejourney|note

#働き方 #キャリア #コンテンポラリーアート #芸術祭



 

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