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最近の自分🏃‍♀️🏃‍♀️

思考や記憶を文章に起こすと
自分を客観的に見る事ができる気がします。
頭が整理されて本当の自分の考えが
分かっていくその感覚が好きで
小学生の時はよく作文や物語を書いて
地域の発表会やイベントで発表していました。
2年前の秋、
高校2年生だった私は
最初は新しいことの連続で
毎日が新鮮だった高校生活にも慣れ始め
『最近何となく同じ様な日常を繰り返している気がするな〜』とふと感じていました。
人は変化を求める生き物らしいのですが
私はその欲求が人一倍強い気がします。
それからは、先生や親の友人・外国の人と
自身の考えを
共有しあっている時が
ただ話をしているだけなのに、心がワクワクして仕方なくてそれまでとは
全く別の刺激がそこにはありました。
自分の知らない知識を知る事ができる
新しい可能性を見つけたり
今より広い世界を感じる事ができる楽しさから
もっと意識を高校生活よりもこっちに
集中させたいと強く思うようになりました。
『何となく同じような日常の繰り返し』よりも
『毎日が新しく新鮮な日常の繰り返し』の方がもっと楽しいに決まってる。
そう思った私は高校を辞めることを決意し 
今よりもっと新しい発見・学び・創造
そして成長を求めて海外へ語学と文化を
学びに行くことを決意しました。
選んだ場所は東南アジア
タイ東北にあるウドンタニ
熱帯に位置し、年間を通して気温は高く
マイペースで優しい人が多く
物価は日本に比べ安い上に食べ物は
とても美味しい。とても。とても。
それまでの人生でタイ語を勉強した事は
なかったので、
読めない書けない聞けない話せない言語を
学びながら、ゼロから人間関係を築いていくのは確かに大変だったけどそれ以上に
その何十倍も本当に毎日が刺激的で
常に発見と成長の連続でした。
学校が休みの日は、一人バックパックを背負ってスラムと呼ばれる場所や軍の基地・壮大な自然美など
様々な地域や国を見て回り
思考がすぐに具現化する毎日に当たり前の事だけど私の人生は私自身が創るものなんだな、と体感し
『あの時、思い切って行動してよかった。』と
毎晩布団の中で改めて確信する程、貴重な体験ができた毎日でした。
気づけばタイでの生活も半年が経ち、
日常生活にも慣れてきた頃
自分の心と向き合う時間が多ければ多いほど
新しい扉は開き続け、本当の意味で満たされた人生を送れることを知った私は
『自分自身』についてもっと詳しく
理解すべきだと考えました。
私は人と討論したり対話をする事が
好きなのですが、
それを母国語が違うもの同士で成立させるには
言葉やフレーズをたくさん覚える前にまずその国の文化的背景を知る事が大切だと気づきました。
どの言語にも、その言語を使って生活している人たちの生活や文化が必ず反映されているものです。
例えば、
日本語は本音と建前 謙虚さや礼儀を大切にする言語で会話の相手によって
語彙や表現を適切に使い分けたり、
思っている事を明確に言わなくても相手がこちらの真意を汲み取ってくれる事を期待し、
それを前提としながら会話を進める
『察しの文化』や
はっきり断ることや断られる事を嫌う
『拒絶を嫌う文化』があり
間接的な言語だと言えます。
これにはいい面と悪い面があるのはもちろん事実ですが、思いやりという精神がその背景にはあると考えればやはり素晴らしい国民性だと思います。
ですが、現代使われている日本語が間接的な主な理由は日本は島国で海に囲まれ、村々は
山や谷に囲まれていました。
人は隔離されたコミュニティで生きていて、
一度周りの人達に嫌われると『村八分』に合うことや、戦後の経済成長を支えるために必要だったのは自分の意見を主張する労働者では無く意見を述べず黙々と作業する画一的な労働者でした。
だからこそ、人々は他人と意見を合わせ、
自分の意見を言わず、他人との衝突を避けようとしていました。
でも今、私達は自由に山を越え谷を越え、
外国にだって行く事ができます。
しかし自分の意見を主張するのでは無く人に
合わせる事が美しいとされる日本の教育方法は未だに変わることはなく
社会に出たら上司に従う毎日。
人と合わせることばかり偏って学び
今の日本国に必要な肝心の『自分の意見』を
言う機会はほとんどありません。 
その結果、日本の労働生産性は1970年代以来
ずっと、先進国中最下位の座にあります。
付加価値が低く、労働集約的な日本のビジネスの方法は現在多くの労働者が抱える問題です。
世界でグローバル化が進み大量の情報や問題の対策を日常的に知る事ができる様になった今
より良い日本をより良い世界を築いていくために礼儀や思いやりの心・相手への配慮の気持ちなど日本語ならではの
美しさとアイデンティティを大切にし、
尚且つ今の日本の文化に足りない部分を補い
多様化していき世界に通用するグローバルな
人間になっていきたいと思いました。
そこで、日本語が間接的な言語なら直接的な
言語を学ぶ事で自分の考えを発信する力を
身に付け、様々な文化的背景や習慣を持った人々と触れ合いながら日本の美しさを発信する事ができると考えた私は
直接的な言語という理由から世界の共通語になっている英語を学ぶためにカナダに渡航を決意しました。
たくさんの学びや人生のターニングポイントとなる素晴らしい経験をさせてくれたタイ国に
感謝し、ビザや入国手続きの準備のため
日本に一時帰国した時
世界中でコロナウイルスのパンデミックが
起こりました。
帰国してから二週間後には、世界182カ国が日本からの入国制限や留学生のビザの取り消しを声明。
国内でも都市閉鎖や外出自粛などの対策が挙げられました。
最初は、想定外のパンデミックに戸惑い予定通りに計画を進められないことに焦りを感じ空回りしたりネガティブ思考になることも多くありました。
ですが、今思えばここ数ヶ月
あまりに目まぐるしい毎日に夢中になりすぎてゆっくりする時間がなかったので
この自粛期間は空いた時間で今一度、
今までの自分を振り返り経験してきた事を
慢心で無く自信として理解し
失敗した事は同じ失敗を繰り返さないように
もう一度分析する事ができました
頭をスッキリと整理する事ができたし何より
大好きな家族とゆっくり過ごす事ができた
休憩時間だったようにも思います。
ウイルスの感染予防のため不要不急の外出や
人と直接会う事・関わる事が非常に難しくなり
人々が不安と恐怖でいっぱいになりながらも
今までの様に直接触れ合いその不安を
共有する事ができない
『当たり前で無い当たり前』の毎日に
改めて人と関わる事の重要性や
人との触れ合いが如何に心の支えになっているかを痛感し、自分がそういう場を提供していきたいという思うようになりました。
インターネットやVR・リモート・SNSが
普及している今だからこそ
従来の実際に見て・触って・関わって・共有して・広がって行く
その人と人との繋がりの輪を
私が持っている最大のポジティブな感情で
広げていきたいと思っています。
私の母はこの地球のほとんどと言ってもいいくらい本当に沢山の場所に行った事がある人で
小さい体で言語なんて分からなくても
お構いなし、ガンガン過酷で辺鄙な場所にも
突っ込んでいきます
根っからの商売人で交渉している時のスイッチの入りようにはいつも驚きます。(笑)
多才というか鬼才でたくさんの異なるジャンルの仕事を難無くこなしている母に職業は何?と尋ねると必ず 
『 種まく人 』と。
一瞬 ポカン となりますが
遠く離れたアフリカに今も存在するある遊牧民族達は自分達が拠点に決めた場所を離れる時に
来た時以上の作物を咲かせ立ち去るそうです。それには素敵な物語があり彼らはそうすることで命は巡り地球が豊かになることを知っているからです。
自分が大切にしている思いを丁寧に丁寧に
行動に移し替えていく
そうしたらそれが自然と仕事になっていく。
大切なのはどんな名前の職業に就くかでは無くその行動の本質に何を思うかだと母は教えてくれます
そんな母に育てられた私もきっと、この先たくさんの場所に行き色々な仕事をしていくんだろうな〜、と 。
何をしていても本質には『ゼロから作っていく』私は私のできる事で『種をまき花を咲かせる』
この世界は私達の頭で考える事ができる最大よりもっとずっと大きく
可能性は無限に溢れているものです。
今も世界中でバイオテロや戦争・差別や自然破壊など不安や恐怖の原因となる問題が起こっています
何事もまずは0から1を生み出し
1から始まっていくものです。
一人一人が何を思うのか何を行動に移すのか
その少しの力がいつか世界を良い方向に変える大きな力に変わる時が来ると信じて
自分が正しいと思う道を歩んで
いきたいと思っています。

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