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起業するまでのお話。

今日は、私が6年前の2014年に起業する前にどんなことを考えていたか、どんな仕事をしていたか、お話したいと思います。

2度の起業未遂事件


実は起業する前、何度も独立したいと思い「独立する!!」と言って周囲の人に言って本当に困らせたのに、起業しなかったことが2回あります。(ご迷惑をおかけしたみなさん、ほんとうにごめんなさい。)

1度目
28歳の時、新卒(22歳)で入社したコントラクトフードサービス※大手の「グリーンハウス」を辞めて、生まれの神奈川県秦野市に近い、伊勢原でフランチャイズの焼き鳥屋を開店しようと思い、両親にも相談し、物件候補の内覧まで強引に連れて見に行きました。

フランチャイズ本部や銀行、父親は、社会人経験も浅い私の計画に猛反対。結果的には、当時流行した、鳥インフルエンザの影響もあって断念します。

鳥インフルがあったことは大きな要因ではありましたが、いま思い返すと、内心、自分には起業が向いていないのでは?と臆病な気持ちが大きかったようにも思います。判子を押せば、開業できてしまう直前で、躊躇する自分がいて、自分の身の丈以上のリスクと借金と背負う気に慣れず、尻込みをしてしまった、そんなところが正直なところです。

その年に結婚、知り合いの誘いもあり同業の「LEOCグループ」に転職。「もう一生、独立しない!」と決めて、転職した記憶があります。そして同時にマイホームも購入。起業する資金もマイホームの購入資金にあてることで起業への未練が残らないようにしました。

※一般企業にある食堂運営などを委託契約(コントラクト)されて行う給食事業のことです。病院の入院患者に対して行う院内給食事業の受託の場合、特にメディカルフードサービスと言われます。

2度目
1回目の起業未遂から7年後、35歳の時、LEOCで九州転勤の辞令が出ます。
それまで、自分のチームのスタッフが辞める時は、次の仕事を見つけてから辞めた方が良いと言っていたのに、疲れていたのか、まだ若かったのか?辞令を伝えてきた上司に不満があったのか?家族にも相談せずその場で上司に「九州転勤であれば辞めます」と言ってしまいました。

その頃、私は店舗開発の全国を統括する立場の部長職(その当時、全国で広域エリアは私一人)であった為、私のPCや携帯には重要な情報が入っており、役員の方からはその場でそれらを机の上において、とりあえず今日は退社するようにと言われました。

その時は気が付かなかったですが、それはその上司の優しさでもあった気がします。実際私はその半年後、同業に転職したのですから、その時にPCや携帯を置いていかなかったらあとで面倒なことになっていたかもしれません。

数日間、結局出勤する事なく。まるで悪いことをしたかのように引き継ぎをする事もできず、周囲の方も動揺していた記憶があります。

綺麗な辞め方はできませんでしたが、LEOCを退職後、半年間、次の仕事をすることなく、日本全国(沖縄・岡山・広島・山口・福岡・宮崎・鹿児島など)やイタリアへ旅行し、楽しみました。

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そんな様子をSNSに投稿すると最初は皆さんが暖かいコメントをいただいていたものの、だんだん「そろそろと働け!」とクレームをいただくようにまでなりました。笑 

実は、この時、腹の中では起業しようと心に決めていたので、それなら一生分遊んでからにしようと考えていました。

起業するための事業計画書も出来、銀行の融資も販路(病院給食の受託)も決定していたのですべてが順調でした。

そんなある日、二宮(神奈川県)にあった自宅前の海を見ながら、いろいろな感情が交錯しはじめます。

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「本当にこれが会社を辞めて自分で借金をしてまで、するべき事なのか?」
「本当にこれが、自分がしたい事なのか?」
「自分が独立起業に成功して、自分自身満足になるのか?」
「借入は本当に返せるのか?家のローン支払いができるか?」
「奥さん・家族・親戚に迷惑かからないのか?」

そんなことを考えていたらそれまで考えていた起業に疑問を持ち始め、結局また、起業することを辞めてしまいます。

自分の気持ちが変わらないうちに、今度は、マイホームの繰り上げ返済をしてまいました。そして、商社に勤める知人の紹介で、福岡に本社をおく、「トータル・メディカルサービス」(医薬に関わる総合的なサービスの提供をしている会社です。)のフードサービス部の部長として転職する事となりました。しかも、九州と関東担当になった為、結果的にはLEOCで転勤を命ぜられた九州に行くことになります。

一生起業はしないと決めたのに


新天地の福岡と自宅のあった神奈川を毎週末往復し、40歳を目前に、わき目も振らず仕事をしていましたが、周囲の知り合いが独立したなどの話を聞くたびに、やっぱり自分もこのままサラリーマンを続けていていいのか、という感情に苛まされます。

一方で、その頃の私には、先にお話したように、住宅ローンの繰り上げ返済もしためお金もありません。過去に起業しようと考えていたときに比べ、資本的にも年齢的にも条件としては厳しいものでした。

いまになって考えれば、そもそもお金と時間があれば、起業しようと思わないのかも知れません。もしくは、チャンスというのは、こちら都合のチャンスのタイミングではなく、一番お金のない時や条件が揃わない時に訪れるものなのかも知れません。

そして2年経ったある日、自分の思った通り、思ったことを事業にしたい、そんな気持ちがついに自分の限界点を超え「いまチャレンジしなかったら一生後悔する、失敗するにしても絶対にやるんだ」と決心します。

次回に続く


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