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香川県琴平町から小豆島、そして豊島へ。地域と向き合う人々に出会う旅で考えた、「働く」ことの意味。【CQ×TRAPOL】

使命感を持って働いてる大人ってカッコいい。

それなのに、私といえば、いつも「働くのがしんどいな〜」なんて思ってしまう。

実際、この記事を書いている今も、次の原稿の締切のことを考えてしまい、胃がキリキリと痛んできた。

実現したいことがあったり、目の前のことに夢中になったりして働いている大人はいつだって輝いている。

今回、2024年4月17日〜19日にかけて開催されたCQ×TRAPOLのサステナブルツアーでも、そんな楽しそうに働く人々とたくさん出会った。

彼らのようになるには、どうしたらいいんだろうか。その答えを探しながら、旅の思い出を振り返っていきたい。


“こんぴらさん”の麓に広がる「琴平町」で、街を愛する人々と出会う

旅は、琴平町(ことひらちょう)から始まった。香川県の中央部に位置するこの町は、金刀比羅宮の門前町として栄えてきた場所だ。

「こんぴらさん」の愛称で親しまれる金刀比羅宮は、象頭山という山の中腹部にあり、毎年全国からたくさんの参拝客が訪れる香川が誇る観光スポットだ。

琴平町にある日本最古の芝居小屋・旧金毘羅大芝居

高松空港から車に乗り込み、40分ほど走ったところで、琴平町が見えてきた。こんぴらさんに続く参道は、昔ながらの風情が漂う土産物屋やうどん店が軒を連ねているのが見える。

この日も琴平町は、参拝客や修学旅行生で賑わっていて、街全体が優しく明るい雰囲気に包まれているのが印象的だった。

今回、私たちが琴平町を訪れたのは、観光だけが目的じゃない。あるワークショップを通じて、琴平町の未来について考えるために来た。

それが、CQプロジェクトと、琴平との関わりが深い旅の会社・TRAPOLとTABIPPO、そしてZ世代を代表する企画会社・僕と私と株式会社が3社合同で開催した、こちらのイベント。

「琴平がサステナブルな観光地になっていくためにはどうすればいいのか?」

そんな問いを、地域のみなさんと地域外の視点を持つツアー参加者が、一緒に考えるイベントがスタートした。

地域内外の視点を取り入れ、「琴平町をサステナブルな観光地にする」ワークショップを開催

会場は、築50年の廃ビルを改装して作られた文化の拠点「HAKOBUNE」。

会場には、地元の経営者や高校生、町長や町議会議員など、琴平に縁のある人々が40人以上集まった。

まずは、イベントのテーマである「琴平がサステナブルな観光地になっていくために、どうすればいいのか?」という課題を解決するために、会場にいた全員で意見交換。

地元に暮らす人々が話すのは、「ゴミ問題」だ。琴平町は香川屈指の観光地であるため、たくさんの観光客が訪れる。街はいつも賑わいを見せている一方で、飲み物や食べ物、お土産を買うと、必ずゴミが出てしまう

その結果、琴平町では、人口が減少しているのにも関わらず、住民1人当たりのゴミの排出量が増えているそうだ。

観光地はこうしたゴミ問題に瀕しやすい傾向にあるため、まずは琴平町でゴミ問題を解決できれば、全国のゴミ問題を抱える観光地でも解決の糸口が見えてくるのではないかという話に。

4〜5人でチームを作り、琴平町のサステナブルな未来について、意見を出し合う。すると、

・街のアクティビティをかけ合わせて、ゴミ拾いイベントを開催する
・こんぴらオリジナルボトルを作って、街の1番目立つところに給水所を作る
・サステナブルを意識するきっかけになるシェアハウスを作る

など、アイデアがたくさん出た。

さらに、ゴミ問題だけでなく、サステナブルに旅を楽しんでもらう方法や、琴平に長く滞在してもらうための魅力発掘など、琴平の魅力とサステナブルをかけ合わせる、新たなアイデアが次々に発表された。

イベントを通じて驚いたのは、参加している地元の人々の熱量だ。その場にいた誰もが「琴平の魅力を知ってほしい」「もっと琴平を盛り上げていきたい」という気持ちに溢れているのが、言葉にせずとも伝わってくる。

地域外からの参加者たちも、そんな地元の人々の熱量に感化されて、琴平の未来について真剣に考えていた。

この街に暮らす人々は、街を心から大事に思っている。東京に生まれたからか、あまり「故郷への思い入れ」がない私にとって、その姿はとても眩しく思えた。

五人百姓の池さんの案内で、一生に一度は行きたい「こんぴら参り」へ

イベントを終えて、琴平町を離れる前にこんぴらさんに登ることにした。

朝6時から道中を案内してくれたのは、ローカルフレンドの池 龍太郎さん。彼は、五人百姓と呼ばれる役割を与えられた家系の1つである「池家」の28代目だ。

金刀比羅宮に続く長い階段のうち、69段目で「五人百姓 池商店」を営み、小槌で割ってご利益をお裾分けする伝統のお土産「加美代飴(かみよあめ)」を製造販売している。

生まれも育ちも琴平町の池さん。そのこんぴらトークは、「一度聞いたら、誰かに教えたくなる」と評判らしい。

実際に案内してもらうと、そう言われる理由がわかった。階段の段数や建造物の歴史に至るまで、こんぴらさんに関することだったら、知らないことはないのではないかと思うほど、びっくりするほどの知識量があるのだ。

しかも、そんな話を階段を上がりながら、息を切らさずに止めどなく話してくれる。
金比羅宮に続く階段は785段。さらに奥社まで行くとなると1,368段もあるのだ。それを、軽快なこんぴらトークに花を咲かせながら、軽々と上っていく様子に正直ビビった。

「この階段は生まれたときから上っているから、もう慣れましたよ」と笑う池さん。そういう問題なのだろうか。

こんぴらトークも、きっと訪れる観光客に何度も話しているだろうに、まるで今日初めて話すかのように楽しそうに語って聞かせてくれる池さんの姿は、私の憧れる「いきいきと働く大人」そのものだった。

話すだけで、池さんは琴平町に愛があるのだと伝わってくる。だから、池さんと話すと、誰もが琴平町のことをもっと知りたくなるのだ。

そして、琴平町を愛しているのは、池さんだけじゃないことが、今回のワークショップを通じて感じられた。

きっとこの美しい町並みと、観光客を歓迎する優しい雰囲気は、ここにいる人たちが大事に大事に守ってきたのだろう。

この「守る」というキーワードが、楽しそうに働く大人を紐解くキーワードになる気がする。そう思いながら、名残惜しくも、琴平町を後にした。

150年の伝統を守り続けるヤマロク醤油の挑戦

次に向かったのが、香川県の離島「小豆島(しょうどしま)」だ。オリーブの栽培で有名な小豆島は、温暖な気候と豊かな自然に恵まれ、地中海を思わせる美しい景観を楽しむことができる。

今回訪れたのは、そんな小豆島で江戸時代から続く「醤油蔵」だ。醤油といえば、日本では日々の食事に欠かせない調味料の1つだが、そんな醤油が危機に瀕しているという。

フェリーで小豆島に降り立ち、車で30分ほど走ったところに見えてきたのが、立派な日本家屋。よく見ると、大きな樽のようなものが置かれている。建物に近づいてみると、香ばしいお醤油のいい香りが漂ってきた。

こちらは、小豆島町で約150年続く老舗の醤油メーカー「ヤマロク醤油」の醤油蔵。江戸時代から代々続く「木桶」を使った製法で、醤油を作りつづけてきた。しかし、伝統的な木桶仕込み醤油は、もう絶滅しかけているという。

なぜ、木桶の醤油が減少しているのか、ヤマロク醤油の五代目・山本康夫さんが、醤油蔵を案内しながら、その理由を教えてくれた。

ヤマロク醤油の五代目・山本康夫さん

山本さんに続いて醤油蔵に入ると、高さ2〜3mはありそうな、巨大な木桶がずらりと並んでいた。

木桶をよく見ると、表面におがくずのようなものが付着している。長く使われているから汚れているのかと思いきや、これこそが醤油作りに欠かせない「発酵菌」なのだそうだ。

木桶の表面に付着した「発酵菌」。

発酵菌が染み出してきて、蓄積するまでにかかる歳月は150年。まさに、ヤマロク醤油が積み重ねてきた歴史と伝統が、ここに詰まっている。

山本さんによると、木桶仕込みで作った醤油は、木の持つ微生物が発酵に力を貸してくれることで、複雑で深みのある風味が生まれる。まろやかで奥行きのある独特の味わいが実現できるのだ。

一方で、現在販売されている醤油は、そのほとんどが「ステンレスタンク」で作られている。

ステンレスタンク仕込みでは、温度や湿度の管理が簡単なため、発酵速度をコントロールしやすく、一定の品質の醤油を短期間で大量に生産できる。

そんなステンレスタンク仕込みに比べて、木桶仕込みは熟成の度合いをチェックしながら、人の手によって細かく管理されるため、手間と時間がかかり、コストが高い。

大規模生産には不向きとなり、コスト効率を重視する現代の食品業界では、敬遠されがちなのだそうだ。

その結果、現在国内で流通している醤油のうち、木桶仕込みで作られている醤油の割合は1%に満たない。伝統的な木桶仕込みの醤油が、窮地に立たされているのだ。

CQでは、これまでも「大量消費・大量生産」社会に対して、どのように向き合うべきか取材を重ねてきた。

しかし、そんな社会の在り方が、私たちが普段当たり前に口にする醤油にまで影響を与えているという現実にショックを覚えた。

そんな木桶仕込みの醤油を守ろうと立ち上がったのが、ヤマロク醤油の五代目・山本康夫さんである。

木桶製法を守るために、大きな壁になるのは「新しい木桶の供給が途絶える」ことだ。プロの職人の手によって作られた木桶は、150年ものあいだ使うことができる。

しかし、長く使えてしまうからこそ、木桶職人の収入は途絶え、廃業する職人が後を絶たなかった。現在、醸造用の木桶を製造する職人は日本に1社しか残っていないのが現状だ。

そこで、山本さんは2011年から、木桶職人復活プロジェクトを立ち上げ、小豆島で毎年1月に新しい木桶を作る活動をはじめた。

全国から集まった食品メーカー、大工、料理人などと技術を共有し、新桶を作成することで、普段は別の事業で生計を立てている職人たちが、木桶づくりにも参加できるようになった。

この取り組みによって、木桶仕込みの醤油が少しずつ復活し、国内だけでなく、海外でも需要が高まっているそうだ。

日々の醤油づくりだけでも大変であるにも関わらず、山本さんは桶職人の仕事を増やし、伝統技術を次世代に継承することを目指すことに力を注いでいる。

現在の売上や事業成長だけでなく、未来を守るためにサステナブルな仕組みとビジネスを両立しているのだ。

蔵でも醤油の味見はできたけれど、実際にヤマロク醤油が作る醤油を料理に使ってみたくて、旅から帰ったあとに、自宅で試してみることにした。

考えてみれば、これまで自炊をするとき、醤油の風味や味にはあまり関心を持ってこなかった気がする。スーパーで手頃な値段の醤油を、なんとなく買っていた。

けれど、ヤマロク醤油の醤油を味わってみると、「醤油ってこんな味だったのか…!」と、醤油に対する向き合い方が変わる体験になった。

これまで使ってきた醤油にも別に問題はなかったが、明らかに香りの豊かさを奥行きが違う。味の濃度があまりにも高いから、ちょっと圧倒されてしまうほどだ。

単なる調味料としてだけでなく、「この醤油を使って、どんな料理をしようか」と想像しながら、醤油をメインとして献立を組み立てるようになった。

こうして実際に料理を楽しんでみると、ヤマロク醤油の山本さんは醤油を通じて、「人々の豊かな食卓」を守ろうとしているのだと気付かされる。

そして、それと同時に、自分がいかに生活の細かい部分を意識せずに暮らしているのかを実感する。

「何かを大事にしたい」という気持ちは、大事にしたいものと出会うための切実な視点や意識がなければ、生まれないのかもしれない。

豊島の自然と共生する、アミューズの「新たな島づくり」

小豆島から移動して、今回のツアーの最後に訪れたのが、アートの島として知られる「豊島(てしま)」。

自然、芸術、歴史を通じて、多くの観光客を惹きつける魅力的な島で、芸能事務所である株式会社アミューズが、日本の良さを再発見するプロジェクトを行っているらしい。自然豊かな島を車で進んでいくと、開けた土地に畑や水田が見えてきた。

ここが、アミューズの手掛ける豊島の拠点。「パーマカルチャー」と呼ばれる、人と自然とが共存し合える暮らしの設計方法を取り入れ、豊かな島暮らしを実現するために、社員自らの手で開拓してきたのだという。

陽の光に照らされて、青々と輝く畑の姿は目が離せなくなるほど美しい。深呼吸をするたび、畑で育てている植物や、瀬戸内海の穏やかな潮の香りが、体中に流れ込んできた。まるで、ここだけ他の場所よりも時間がゆっくりと流れているようだ。

島を案内してくれたアミューズのだいちさん

このプロジェクトのリーダーであるアミューズの社員・だいちさんに話を聞いてみると、「芸能事務所として、日本をもっと面白くしたい」というアミューズの代表の想いから、縁のあった豊島でプロジェクトがスタートしたのだという。

無農薬で作られている野菜。生えているままを千切って食べることもできる。

彼らはただ観光地を作るのではなく、実際に現地で暮らし、地元の人々と親交を深めながら、少しずつ開拓してきたのだと言う

畑だけでなく、高低差のある地形を活かして、水田や果樹園、さらには畜産なども手掛けているらしい。自然の循環のなかで、人々が豊かに暮らしていく仕組みを目指しているそうだ。

畑の先に広がっていた「神子ヶ浜(みこがはま)」と呼ばれるビーチ。

だいちさんは、豊島を案内しながら、こう語ってくれた。

「私たちはここで、日本の魅力を最大限に引き出し、本当の島暮らしを楽しめる、まったく新しい観光の在り方を見つけようとチャレンジしているんです。」

この島にはコンビニやスーパーもなく、島に暮らす人々はほとんど自給自足で暮らしている。

自分たちの手で魚をとり、畑を耕して野菜や果物を育て、余ったものを住民同士で物々交換するのが、当たり前の習慣になっているのだそうだ。

そんな島暮らしの文化を含めて、素朴な豊かさを旅にきてくれる人々に知ってほしい。新たな観光の仕組みを作り、豊島を盛り上げることがだいちさんたちの使命だという。

島に移り住み、自給自足をしながら、島に馴染むのには努力が必要だと思う。いくら仕事と言えども、大変なのではないかと思ったけれど、社員のみなさんは、琴平町や小豆島で出会った人々と同じ、使命を抱えたようなまっすぐな眼差しをしていた。

この日、人生で初めて足を踏み入れた豊島だけど、こうして豊島の魅力に向き合う人々と話していると、この土地の魅力がどんどん掘り起こされて、思わず「ここで暮らしてみたいなぁ」と呟いている自分がいた。

「守りたい」を知ることが、未来につながる仕事になる

こうして、2泊3日の旅を経て、私たちは香川で楽しそうに働くたくさんの人々に出会った。

彼らの仕事に対する姿勢を思い返してみると、「その土地の魅力を知っている」「守りたいものがある」「未来を見据えている」という3つの共通点があったように思う。

特に「守る」というキーワードが重要だと考えていると、以前哲学研究者の近内悠太さんにインタビューをしたときのことを思い出した。そういえば、彼も「守る」という言葉を何度も使っていたのだ。

“自分の本当に大切なものがわからないなら、自分は何を守らなきゃいけないと感じるのか、これまで自分は何を守ってきて、何に守られてきたかを思い返してみるといいんじゃないかな。”

自分が守りたいと感じるものが、自分にとって大切にしたいもの。そして、その大切にしてきたものは、かつて誰かの手によって守られてきたものだ。

香川で出会った人々は、これまで誰かに守られてきたものを受け継いでいた。

琴平町の人々は街と歴史ある文化を、ヤマロク醤油の山本さんは木桶による伝統的な醤油づくりの技術を、そしてアミューズの社員のみなさんは、豊島の自然と島暮らしを。それぞれが受け継ぎ、次の世代につなげようと努力していた。

自分にとって本当に大切なもの、守るべきものを見つけ、未来へ継承する。そんなことを考えて、仕事に向き合ったことは、今まであっただろうか。

彼らのように仕事に向き合えるようになるには、日々意識して、自分が何に価値を感じ、何に守られてきたのかを振り返ることが大切なのだと思う。

そうして見つけてきたものと、現在の自分とを照らし合わせることで、これからの人生をどう歩んでいくのか、仕事にどう向き合っていくのかが見えてくるのかもしれない。

「かっこいい大人になりたい」なんて言うのは、ちょっと気恥ずかしいけれど、自分の思うかっこいい大人の背中を見つめつづけることは、彼らが守ってきたものを受け取るきっかけになるはずだ。

(取材・執筆=目次ほたる(@kosyo0821)/編集=いしかわゆき(@milkprincess17)/(撮影=深谷亮介(@nrmshr))

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