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幸せは、“偶然”手に入ったもので形作られる。哲学者・近内悠太が贈る「所有=幸福」に囚われる現代人への処方箋

私たちはこんなにも便利で快適な社会を生きているはずなのに、いつまでも心が満たされないのは、どうしてだろう。何かに追われている気分になったり、幸せを感じられなかったり。

CQプロジェクトでは、旅を通じて地球環境と向き合う「サステナブルツアー」を重ねてきました。

印象的だったのは、参加者からは「地球をもっと大切にしたいと思った」という感想のほかに、「自分の本当にやりたいことが見つかった」という感想が届いていること。

都市生活から離れ、自然と触れ合うことが、なぜ私たちを満たしてくれるのか。

今回は、サステナブルツアーにも参加してくださった、哲学研究者の近内悠太さんに、私たちが環境課題を通じて、自分自身に向きあう「ケア」のあり方について教えてもらいました。

近内 悠太(ちかうち・ゆうた)
1985年神奈川県生まれ。教育者。哲学研究者。慶應義塾大学理工学部数理科学科卒業、日本大学大学院文学研究科修士課程修了。専門はウィトゲンシュタイン哲学。リベラルアーツを主軸にした統合型学習塾「知窓学舎」講師。著書『世界は贈与でできている―資本主義の「すきま」を埋める倫理学』で第29回山本七平賞 奨励賞を受賞。

僕らは地球から「受け取って」生きている。コントロールできるものじゃない。

ーー近内さんは、「都市生活から離れ、自然と触れ合うこと」が私たちに何をもたらしてくれると思いますか?

近内さん:
まず、自分たちの「烏滸(おこ)がましさ」を突きつけられるというか…。

都市生活はすべて人間のために作られていて、「これは人間が〇〇するためのもの」という「意味」で満たされている。

だから、全部自分の思い通りにコントロールできると思い込んでいるけど、地球環境という大きな生命の循環は、人間の力でどうこうできるものじゃない…ということに気付くと思います。「地球をコントロールしよう」と思うことが烏滸がましいんだ、って。

ーーすると、私たちはどんなマインドで地球に接していくのがいいんですかね?

近内さん:
自然の持つ「流れ」を邪魔しないことが大事なんだと思います。水や大地、空気もそれぞれ循環する流れがあるから、その流れさえ邪魔しなければ、自然は少し傷ついても、また自らの力で回復できるはず。

以前、サステナブルツアーに参加したときに見た里山の暮らしは、「自然を邪魔しない暮らし」だと感じたんですよね。

近内さん:
もちろん、上山には車や道路もあるから東京と同じ「都市」ではある。田舎/都会という対比ではなく、自然/文明という対比の、広い意味での文明としての「都市」ということですけど。

でも、そこでは人々が自然のサイクルに則って生きているんです。僕の目には、そんな暮らし方自体が、「自然に対するケア」に映った。

だから、地球のために新しいことを始めるというよりも、「今まで自然の流れの邪魔になってきたことを、今日から少しだけ控えてみませんか?」と呼びかけてみるとか。

僕らはもう文明なしには生きてはいけないけれど、「地球環境にお邪魔させてもらっている」という、自然に対するリスペクトが必要なんじゃないかな。

ーー近内さんはケアを「その他者の大切にしているものを、共に大切にすること」と定義されていますよね。

そんなケアに繋がる「自然に対するリスペクト」が芽生えるきっかけとなるのが、「都市生活から離れ、自然と触れ合うこと」なんですね。

近内さん:
そうですね。やっぱり都市のなかで生きていると、自分の目の前にある物事が、「どこから来て、どこへ行くのか」を知ることができないと思うから。

ーーどういうことですか?

近内さん:
食べ物も水も、生活のなかにあるものはすべて何かしらの経緯をたどって、僕らの手に届いているけれど、都市生活ではその「経緯」が見えないじゃないですか。

パックに詰められたお肉は目にするけど、その手前にある食肉加工の場面や、食べたあとのゴミの行方は知らないですよね。

ある程度知識としては知っていたとしても、日常の中ではそういったものを想像することをはスキップというかカットしてしまっています。

生活のなかで切り取られている部分の手前と後、つまり「誕生と死」を知ることで、自然から受け取っている贈与に気が付くことができるんじゃないかな。

ーーあぁ、たしかに普段の生活だと実感しづらい部分かもしれません。

近内さん:
普段は企業や専門家に任せている部分を自分の力でやってみることで、すべてが自然…いや、自然だけじゃなく他者によっても「与えられているもの」だと気付けると思います。

僕らはさ、自分の人生を自分の能力だけで切り開いていると、思い込んでいるんですよ。さまざまなものを与えられて、生かされているという感覚がない。

小学生のときから、僕たちは自分の持ち物に名前を書いてきたでしょ? そうやって、名前を書くことで、自分の持っているものは全部自分の「所有物」なんだと思い込んできた。

でも、自分が持っているものはすべて、作ってくれた誰かがいるから、ここに存在する。

僕らはそういう「他者からの贈与」と「他者への贈与(ケア)」があって、かろうじて生きられている弱々しい種なんだってことを、自然と触れ合うことで改めて認識したいよね。

「所有」から抜け出すために、「消費」ではなく「浪費」を

ーー先ほど、「所有」のお話がありましたが、「所有」という意識は、環境課題の原因の1つでもある、「大量生産・大量消費」にも繋がっていますよね。

近内さん:
現代社会では、「より多く所有することが善であり、幸福である」というメッセージがまことしやかに語られています。そのほうが、ものがたくさん売れて、市場経済が回るから。

今はインターネットやSNSによって、芸能人や富裕層の生活が可視化されるようになったこともあり、「あの生活を手に入れなきゃいけない」「それこそが幸せである」と無限に不安になっている状態なんです。

「足るを知る」という言葉があるけど、みんな足りていないんですよ。

ーーたしかに、SNSでキラキラした生活を送っている人と自分の生活を比べて、落ち込むことはよくあります…。

近内さん:
でもさ、自分の本当に求めているものや、生きるうえでの優先順位もわからずに、SNSや広告に煽られて、「これが欲しい」「これが足りない」「こうじゃないとバカにされる」って思うなんて、自分の人生を他人に預けちゃってません?

ーーうっ、耳が痛いです…。

近内さん:
そういう人は、「浪費」と「消費」を分けて考えてみてほしいんですよ。國分 功一郎さんの書籍『暇と退屈の倫理学』では、「浪費」と「消費」の違いについて解説してくれています。

その解説によると、浪費とは「必要な贅沢」で、身体的な限界があるもの。例えば、高価なお寿司を食べたいと思ったとき、お金を払ってお腹いっぱい食べることはできるけど、1人でそのお寿司を100人前食べるのは物理的に無理ですよね。

一方で、消費には際限がありません。「高価なお寿司をお腹いっぱい食べたい」のが目的ではなく、「Aというお寿司屋さんが流行っているからAに行き、次はBというお寿司屋さんが流行ったからBに行く」ことの繰り返しが消費です。

所有することやまわりに見せつけること自体が目的になるから、無限に買いつづけなきゃいけない。だから、消費は僕たちの欲望を煽りつづけるんです。

ーー現代人が抱えている「焦燥感」や「渇望感」の原因は、そんな「消費」や「所有」にあるのかもしれませんね。

近内さん:
所有から抜け出すためには、自分の身体や自分の心が、深く深く訴えてくるものだけを購入したり、そういう時間を過ごしたりする浪費をしましょう、という話なんですよ。

そして、浪費をするには、「自分にとって本当に大切なもの」を知らなきゃいけないんです。

シグナルを感じて、「自然のなりたい姿」を知る

ーー「自分にとって本当に大切なもの」は、どうすれば知ることができるんですか?

近内さん:
「偶然性」に気が付いてもらうっていうのは、1つの方法かもしれないね。

たとえば、身の回りの物事を「あったら嬉しいもの」と「なかったら困るもの」に分けるとするでしょ?本当に大切なものは、「なかったら困るもの」のほうだと思うんですよ。

贅沢な食事や、便利な生活用品はあったら嬉しいものだけど、友人とのかけがえのない時間や家族との団欒は、なかったら困るものだと思います。

飲み水とか清潔な環境といった身体的、生理的欲求による「なかったら困るもの」じゃないけども、いわば「私の魂にとって、なくてはならないもの」のことです。

でも、そういう大切なものって、自分の努力やお金との交換で手に入れたわけではなくて、偶然手に入ったものじゃないですか?

ーーたしかに、友人や家族との関係性は、自分の努力というより、たまたま手に入ったものですよね。

近内さん:
そうそう。僕らが本当に大切にしているものは、偶然誰かから手渡されたものなんですよ。そして、偶然手に入ったものは、人生をもう一回やり直したら、もう手に入らないかもしれないもの。そういうものって、「守らなきゃいけない」と思うよね。

ーー「守りたい」という気持ちは、まさに近内さんのいう「ケア」である気がします。

近内さん:
自分の本当に大切なものがわからないなら、自分は何を守らなきゃいけないと感じるのか、これまで自分は何を守ってきて、何に守られてきたかを思い返してみるといいんじゃないかな。

ーー近内さんは冒頭で「自然を邪魔しない」ことが自然へのケアだと教えてくれました。これまでのお話を通じて、私たちは今後自然と関わっていくうえで、改めてどうすれば自然に対するケアができると思いますか?

近内さん:
「自然を邪魔しない」ということは、言い換えれば「自然のなりたい姿」を知ることだと思います。

たとえば、山は土砂崩れを起こすけど、それは山が崩れることで、地形を変えてバランスを保とうとする自然の働きなんですよ。それはつまり、「安定」な状態なんです。

それを人間が無理やり、コンクリートで固めたり、重機でコントロールしようとしたりすることで、自然環境はますます荒廃してきたんです。

だから、人間の価値観で無理に押し込めるのではなく、自然の作用で地球環境が安定するように配慮することができれば、地球環境と人間は共存できるはず。

ーー「自然のなりたい姿」とは、どうすればわかるのでしょうか?

近内さん:
自然からのシグナルを感じ取れるようになることが重要だよね。「うろこ雲が出ると雨が降る」とか、昔から人は自然からのシグナルを感じ取って、生活してきた。

でも、都市生活では、そんな自然からのシグナルを受け取る感覚が弱まってくるから、シグナルの受け取り方をトレーニングしなきゃいけない。

その1つの方法として、CQのサステナブルツアーで出会う人々のように自然とともに暮らしている人に出会って、シグナルの感じ取り方を学んでみるのもいいかもしれないね。

人間も自然と同じようにシグナルを出しているものだから、自然からのシグナルを感じ取れるようになれば、まわりの大切な人や、自分が出しているシグナルも感じ取れるようになるはず。

その積み重ねで、自然も人も、そして自分も、ケアできるようになると思います。

(取材・執筆=目次ほたる(@kosyo0821)/編集=いしかわゆき(@milkprincess17)/(撮影=深谷亮介(@nrmshr))

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