【ショートショート】冷たい雨の日に君を想う
私ははっと目を覚ました。
同時に絶望感が胸を侵していく。
時刻は午前6時59分。
スマホの液晶の光で目がしょぼしょぼした。
あと1分。
そう思った瞬間、けたたましいアラーム音が狭い自室に響く。
柄にもなく舌打ちが溢れた。
乱暴に手を叩きつけて、スマホのアラームを止める。
スマホを握りしめた手を壁に向け大きく振りかぶったが、理性で衝動を抑えた。
物に当たろうとするなんて、私らしくないや。
頬を張って気合いを入れる。
じわりと涙が滲んだのは痛みのせいにしておこう。
身支度もほどほどに、朝食も取らず「いってきます」も言わないまま、私はバイトに向かう。
今日は雨だった。
凍てつくような冷たい雨。
頬を伝う雨粒に混じる温かいものに、気づかないふりをして私は黙々と自転車を漕いだ。
バイト先に着くといつものように心を無にして、手を動かした。
すぐ側で飛び交う「あの人たち」の声に、肩がびくりと震える。
大丈夫。大丈夫。
君がいてくれるから、大丈夫。
心の中でそう唱えると、君の声がした。
「よづき、今日も頑張ってるね。」
君はもう、私の側にはいないけれどでも確かにそれは君の声だ。
私には君がいるから、大丈夫。
他の人から仕事を押し付けられても、陰口を言われても、レジのお金を盗ったと嘘を振り撒かれても、店長に邪険にされても大丈夫。
私には君がついているから。
「あの人たち」がまた、何か言っている。
くだらない声に私は心を塞いで、足元に山積みになった商品を黙々と陳列棚に並べ続けた。
山のような商品の品出しをやっと終えた私は、バックヤードで1人、値引きのシールを張っていた。
私のすぐ隣では、「あの人たち」が井戸端会議に花を咲かせている。
その花の養分となっているのは、主に私だ。
好奇の目、軽蔑の目、憐憫の目。
私はそんな視線に気づかないふりをして、ひたすら手を動かした。
外ではまだ冷たい雨が降っている。
しとしと、しとしとと。
冷たく静かな雨が。
それは私の心模様と同じ。
心が凍りつく前にと、私は君との思い出を見る。
君はいつも私を助けてくれた。
コミュ障の私をいつだってフォローしてくれたし、車に轢かれそうになった時は身を挺して守ってくれた。それから体調が悪い時は背中をさすってくれた。
イヤホンを片方ずつして、音楽を分け合ったり手を繋いで散歩に行ったりした。
私を引き連れた君は、「俺の嫁」なんて言って歩いて回ったこともあったっけ。
君は単なるおふさげのつもりだったのだろうけれど、私は悪い気はしなかったよ。
そんな君との時間はあっという間に過ぎていき、私は引越しをすることになった。
「ばいばい。」
別れ際、君は表情の読めない顔で私に小さく手を振った。
あまりにも淡白な別れに、私はあっけに取られたけれど、それも君らしいや。
引越をし、君との交友が断たれてからは会ったことは1度もない。
電話をしたのが、たったの1度だけ。
そんな君は今じゃ私の心に住んでいる。
耳障りな高ら笑いが耳につき、私は我に返った。
私と目が合った、あの人たちの中の1人が小馬鹿にしたように鼻で笑った。
私が腐ったこの店を辞められないのと同じ。
君はずっと私の心から出られない。
ずっとずっと私のそばで。
肩下まで伸びる長い黒髪が美しい君はこちらを振り返り、ニヒルな笑みを浮かべた。