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小説『もう醒めない』


 視界が赤かった。それは信号の止まれであり、渋滞中の車のテールランプであった。夜の街には赤色が唯一の光のように思えた。 
  私は屋上にいた。闇の中にいたせいで、ここがどこか分かっていなかった。でも、ここはビル街であり、気付いていなかっただけで明かりはたくさんあった。都会の夜は明るいのだと思った。 
  室外機の上に座っていると、隣からカップルと思しき二人組の歓声が聞こえた。広い屋上には五組の男女が寄り添い立っている。浴衣を着た女性が多い。今日は夏祭りなのだと思い出す。私は一人で花火を見に来たのだった。 
  花火が始まるまではここにいよう。カップルの中に一人でいるのは悲しくなったが、彼らは私のことなど眼中にない。お互いを見つめ合い、二人の世界に入り込んでいる。 
  いつの間にか私の横に女の子が立っていた。何処から現れたのか、もともと気付いていないだけでそこにいたのか定かではない。女の子はショートパンツに黒いフードを被ってすっと立っている。脚も腰も折れてしまいそうな細さなのに、まっすぐふらつくことなく私の隣にいた。白い脚はスラっと伸びて、どこかの光を反射している。 
  綺麗だと見惚れていると彼女は迷うことなく歩いていく。この場所に詳しいのかもしれない。 
  彼女は、手すりにもたれながら話しているカップルの後ろに立ち止まった。 
  気付いたら私の視界は赤かった。 
  思い返すと、彼女の腕は伸びていたはずだ。黒い袖の中にあるはずの腕は伸び、柔らかく神社の前で拍手をするような動作をした。二人の頭はそんな手の中でパンッと弾けた。 
  彼女は汚れなど気にせず歩いていく。その先にはまた別のカップルがいる。うろたえる暇もなかった。 
  パンッ 
  パンッ 
  パンッ 
  恐ろしいほどに美しかった。 
  私はそれを見ながら、眠りについた。 

   

  気付いた時にはジェットコースターに乗っていた。自分は闇に包まれているのに、その先には光があった。そこに発射される。いや、その光に吸い込まれるようだった。私はこんなこと望んでいなかったのにもう降りることは許されない。 
  動き始め、風が強くなる、と思ったときにはもう闇は消え去り、青空の下であった。頬がそがれ、眼球の水分は吹き飛び、目を閉じることすらできない。チープな表現としては、ぐおおおおっと言った感じだろうか。風に襲われ、風に歯向かざるを得ない。その唸りは風の怒りだと思った。 
  ガタガタガタガタと大きく揺れるのは、木製だからだと気付く時には私の体は垂直を向いていた。落ちるための上昇の時間。ゆっくり、ゆっくりと上がっていく。誰も乗っていないコースターに私は一人。悲鳴すらもかき消される。 
  心臓はもう正しい脈を打つことを放棄した。息も続かない。体が大きく自分の意志と関係なく動く。速くなっては遅くなる。早く終わってくれと思うと同時に、頂点から見た世界は水色に包まれていて綺麗であった。空も青く、海のど真ん中に私はいた。 
  落ちた。 
  それはドンドンと速くなり、海の中に向かっていく。レールはもう見えない。水の中を突っ切り、溺れて死ぬ。そう思い瞑った眼を開けると、そこには生まれ育った街が広がっていた。小学校の通学路をコースターはぐんぐん進む。そこにはケンカしたあいつもいた。みんなが黄色い帽子をかぶり、傘で戦っている。心臓がギュンっとした。 
  天は地となり、地は天となる。そんな悠長なこと考えつくぐらいにはもう私は慣れてしまったようだ。レールに合わせて私の体は一回転した。高校が頭の上に見えた。ぐるりと回り切った時に、雨が降り出した。冷たいそれが私の体を刺す。私はそのまま眠りについた。 

   

  君に誘われたから献血に来たというのに、なんでドタキャンするのかな。 
  一人で血を提供するのは少し虚しい。そもそも献血ルームでの献血は初めてだった。だから当然不安も多い。しかも、こんなに綺麗だとは思っていなかったから場違いな気がしてむずむずした。早く帰りたい。でも、せっかくなら君のためにあの特典をもらってあげたい。君の好きなアイドルのクリアファイルを上げたら少しは私のことを好きになってくれたりしないかな、しないね。 
  それにしても献血というのは人が少ない。スタッフもいなくて、私は一人でフカフカな椅子に座っていた。 
  受付もした覚えがない。なのに、名前が呼ばれた。第六診察室に来てください。疑問を感じたけど、私はその部屋を探す。真っ白の廊下を歩いてドアのプレートを覗いていく。一二九号室、四九〇号室、三号室。それは不規則に並んでいた。ドアノブをガチャガチャやっても開くことはなかった。 
  うーむ。 
  とりあえず歩くしかなさそうだ。どこまでも続くように思えたその廊下は、やはり終わりが見えなかった。戻って誰かに聞いてみようかと思って振り返ると、壁があった。それなら進むしかない。進行方向に進んだつもりが私はまた壁に阻まれた。 
  ありゃ。 
  横にあったドアが開いて人が入ってくる。はい、お座りくださいね、と言われて椅子などないじゃないかと抗議しようとしたら、私はもう座っていた。 
 チクッとしますよ。 
  白衣に身を包んだ男はまるで私に見せつけるかのように注射器をかざした。もうすでに腕にはチューブが巻かれている。黄緑色の液体が注射器を満たしていた。針が私の皮膚に突き刺さる。冷たさを体の内側で感じた。血液にあの液体が混ざっていく。それは全身を駆け巡り、私の体を沸騰させ、そして凍らせた。踊るように立ち上がった私は、そのまま眠りについた。 

   

  手足が動かなかった。なんなら頭も胴も動かなかった。私はベッドのようなものに縛り付けられているらしい。しかも厳重に、大の字で、私は全裸だった。 
  眼は動くからきょろきょろするが、見覚えのない場所だった。どこかの廃墟のように思えた。太い柱と野ざらしのコンクリート。心霊映像の特番とかで見たことあるようなそれだった。 
  水の匂いがした。森の中だろうか。雨の日の独特な湿り気を毛穴に感じた。 
  足音がした。こちらにやってくる。顔をすべて覆う仮面をつけた男が私の顔を覗き込む。その手にはムカデが掴まれていた。ソイツがもう一方の手で人差し指を二回ほど動かすとどこからか手下と思しき人間が現れる。奴等は私の動かない足を押さえつけて、固定した。抗おうとしても無駄なことはわかったが、このままではいけないと振り払おうとしてもやはり逃げることなど出来ない。 
  男がムカデを手で弄びながら私の股に近づく。体が硬直する。 
  恥ずかしいなんて感情はなくなっていた。そっと触れられる。そしてこじ開けるようにして、ムカデが私の尿道を進んでいく。痛みはもはや私の感覚の手に負えるものではなかった。 
  叫ぶ。 
  叫ぶ。 
  しかし、その声すら自分の鼓膜には届いていない。 
  仮面をしていて表情なんて分からないはずなのに男がニヤニヤしているのが分かった。私の顔を覗き込んでいる。苦しい。私の足は解放されたが、動かすことは不可能に思えた。痛い。 
  男はどこかからムカデをもう一匹出してきた。やめて、と叫んでいるはずなのに手下に頭を押さえつけられ、口を塞がれて言葉は無に帰する。 
  ムカデが鼻の中を進み始めた。噛み破られる感覚が私を襲う。ムカデは一所懸命に私の体の中でうごめく。呻くこともできない。喉を通っているのがわかった。男が笑っていると感じた。手下に部屋に帰るように言い、広い廃墟に私と二人きりになった。 
  私の食道はそこにあったのだな。ムカデの歩みを感じた。息が吸えなくなる。胃に到達したとき、私は全てを吐瀉した。視界が歪み、眠りについた。 

   

  何か痛い気がして、腕を見ると左手の手首から先がなくなっていた。私は慌てふためいて周りを見るけれど、どこにも落ちていなかった。 
  高層ビルが立ち並ぶ都会で私は自分の手を探していた。人は当然多いというのに、誰も私のない手を気にかけるものはいない。 
  さあ、私の手はどこにあるのか。 
  とりあえず、何故かそこにあったクリスマスツリーの下を探してみた。沢山のプレゼントをひっくり返してみたけれど見当たらなくて、そうだ、と思って私は木を登り始めた。クリスマスツリーを登るという経験は初めてだったけど、走るように登ることが出来た。それにしても、右手が痛い。痛いなぁ痛いなぁと思っていたら、ツリーの先端に辿り着いた。星の代わりに私の手が置いてあるかと思ったのに、そこにはただの星があった。 
  ぼーっと大阪の景色を眺めていたけれど、痛みが襲ってきたからジャンプで飛び降りた。体がふわっと浮いて、そのまま駅のホームに着いた。これは夢だと思った。もっと飛べばよかったな。 
  私はそのまま電車に乗って家に帰ることにした。血があふれだしてきたから、シートに置いてあった新聞でぐるぐる巻きにしてみた。白いTシャツが血で汚れてしまったのをみて寂しくなった。早くおうちに帰りたい。 
  ガタンゴトンと揺れるのが気持ち良くて目を閉じた。風が私の頬を撫でた。ふと、目を開けると私は河原にいた。夕方の空を水面が映すのを眺めていると後ろの山のほうから学校のチャイムが聞こえた。 
  キンコーンカーンコーン 
  キーンコーンカーンピーーーーーーーーーーーーーー 
  チャイムの音と切り替わり何かが聞こえた。心臓がギュンとした。 
  痛い痛い痛い。 
  手の代わりにつけた新聞紙は真っ赤に染まっていて重くなっていた。私は急いで外した。私の手の断面はギザギザでまるで下手な鋸で切り落としたようだった。 
  早く、早く手を見つけなくちゃ。 
  草をかき分けても、ない、ない。血が垂れて、緑を汚していく。どこかで試合終了のホイッスルが鳴っている。 
  足がもつれて私は土の上で滑った。膝からは血が流れていた。痛い。痛い。 
  もう嫌だ。 
  キーンともポーッとも言えるような耳鳴りが私を襲う。痛みに耐えれなくて頭を抱え込み、その場にうずくまった。痛い。 
  あっ。 
  対岸に一つの手が落ちていた。そう、それは私の手であった。真っ赤なネイルが見える。ああ、やっと見つけた。 
  私はすぐに水につかって泳ぎだした。その川は冷たかった。じわじわと私の体を冷やす。血は水に混ざりあって、薄くなっていく。 
  それに比例するように体の感覚が薄れていく。痛みが消えていた。 
  泳ぎ切り、私はやっと手を手に入れた。息は上がり、体は重く立ち上がることは出来なかった。私は眠りについた。もう醒めない。 

                                      完
 

授業での課題でした。
『夢文学』というお題のもと書いたものになります。

どのように受け取って貰えたでしょう?

これは、ある少女の夢です。
彼女はオーバードーズ(薬を大量に摂取して)での自殺を試みて、病院に運ばれています。
意識が混濁した状態で、彼女は深いリストカットをした、そのときの血の海が彼女が見た最後の景色でした。
病院でたくさんの処置が行われます。点滴をして、排尿を促す。胃を洗浄する。尿道カテーテルで尿に解けた薬を強制的に出す。そんな中、彼女が最後に聞いた音は、自分の心肺が止まったという宣告の心電図の高らかな音でしょう。

そんな状況の少女が見た夢。
そう思って読み直して貰えたら幸いです。

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