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【バイト奮闘記⑦】何やらせても上手いなぁ

もうこの店だけで働きてぇ

日曜日は臨時でA店の昼営業のバイトに行った。
基本的に寡黙なタイプの店長、研修がないため適宜説明をしてくれる。

だから、夜営業と同じだと思って接客を始める。
掃除して、伝票持って、丁寧に対応をする。

前回、せっかちだと言われてから、私に出来るのは丁寧に元気よく笑顔で対応することだけだと思った。
それしか出来ないんだ。
せっかちなら、できるだけ丁寧にすることでゆっくりと余裕を持つことが出来るだろう。
そう思っていたから。

でも、
「昼営業は速さ勝負だから、わざわざ出ていって対応しなくていい」
と言われて、モヤモヤが少し残る。

「伝票は書かなくていいから!」

私が伝票に記入していると、そう言われた。
ならそれを先に言ってくれよ。そう思うのはいけないことでしょうか。

一人目のお客さんが来るまで、結構な時間があった。いつもより暇かもしれない、と当人も不安に思うぐらいだった。
なら、その時点でそういう違いを教えてくれたって良かったのではないでしょうか。

なんて、モヤモヤが蔓延り始める。

いや、仕方ない。
店長は調理を全部一人でやっているのだから。
仕方ないです。

私はそこまで汲み取らないといけないんだ。

そう納得することにして、ランチを運ぶ。
ランチの副菜をよそう役割も昼営業は担わなければならないらしい。
1番初めにきたお客さんは、3人のお子さんを連れたお父さんであった。
注文が入ってから、どれに何を置くかを伝えられる。
たった1回で、覚えるには皿の量は多すぎる。
覚えますけども。
ボヤボヤと実態のないものを掴むような仕事をしなければならない。
確かに1回は提示してくれてはいる。

だけど、満席になる頃には、注文の量は沢山でてんやわんやだ。
軽くパッと言われただけの指導ですぐにやっているというのに、「落ち着け」なんて言われると「いや、落ち着いて対応するために皿を思い出してどれに何を置くかを思い出してるんですけど」なんて悪い私は思ってしまうのだ。

モヤモヤが残る。
気持ちよく仕事ができてないと感じている。
2時に上がるという予定で、私はそのあと家族と一緒に保護猫の譲渡会に行くことにしていた。

お客さんは帰り始めて、だいぶ余裕が出ていた。
2時になる。
皿を洗っている私。
今はもう何もしてない店長。
上がっていいのだろうか。
店長から「上がりで」と言われなければいけないのだろうか。どうなんだろう。
5分経過した。
「これ洗ったら、上がっていいですか?」
そう尋ねてやっと、「うん、賄いは?」と言う。いい人なんですが、なんですが……。
やっぱり、ちょっとだけ負担が大きいと感じていた。

帰宅して、行った譲渡会ではものすごく可愛い子が沢山いました。それはまた別の機会に。


今週はB店のバイトないなーって、思っていた私、何故かってMさんに「あー次一緒なの27日か」と言われていたから。
だがしかし、不意に開いたバイト予定管理アプリに、明日バイトだよ、って書いてるじゃないか。

あーそうだった!
追加で入ったんだった!

少しだけ冷や汗をかく。
何故そこまでドキッとしたのか。
水曜日はゼミの発表で失敗して、病んでいたからだ。そのあと灯油をこぼし尚更嫌になった。それは生理前の精神の不調でもあり、もう全部嫌であると自己嫌悪に陥っていた。
だから、忘却していたという事実も自己批判の対象となる。

木曜日は、二限と三限が対面で、四限はかつて蹴った夢文学ゼミの日だった。
色々あり、夢文学ゼミの先生には「おいでね?いつでも待ってるからね」と圧を掛けられている。この話もまとめて書きたい思いはあるが、面倒くささがあるので割愛している。

そんなこんなで、目が覚めた木曜日。
異常に頭が痛い。そういえば最近、左足の股関節のリンパも腫れに腫れている。副鼻腔炎が再発したかのように痛い。不調だ。最悪だ。行きたくない。
なんて思う。
でも、三限のコピーライトの授業は対面で出たい。先生も好きだし、やっぱり集中できるから。

ああー、行きたくねぇな

大学に入ってから初めてのレベルで行きたくなかった朝、乗り換えの駅でも嫌だなと思っていた。
早く出たはずなのに大学の最寄り駅のバス停は、ユニバのような長蛇の列。我が大学は、最寄り駅から徒歩50分である。無料送迎バスが出ているが、学生の量とあってない。30分ほど待ち、大学に着くと5分前。教室は学校でも、奥の方。7分ぐらい。

なんだよ今日は、厄日ですか??

私の中の邪神が暴れそうになるのを押え、諦めゆっくり歩く。どうせ大丈夫だしな。大学の授業の1分2分は大したことない、誤差でしかないということをそろそろ覚え始めたのだ。

授業が終わって、お昼ご飯を食べに行く。
そうだな、今日はタコライスにしようか。
それとも遠いけど戻って第1食堂の180円の安いラーメンでも食べようか。
でも、出来るだけ移動したくないし現在地すぐ近くの学内コンビニエンスストアに行くか。牛丼食べたい。

そう思ったのが運の尽きだった。
鬼のように混んでいる。
お弁当を選ぶ。スタミナ丼(焼肉風)。380円。
牛丼はなかったけど、まあ不味くはないだろう。

次の授業の教室で食べようか、と移動したら既に先生がいた。さすがに目の前で食べるのは忍びないと言うか、恥ずかしい。
別の教室に移動する。
耳では、楽しい気持ちになりたくてAマッソのヤングタウンのラジオを聞いていた。
……不味い……

なんだこのフラグ回収。
くっそ、だから変化は嫌いなんだ。
飽きたとしても、同じものを食べ続けた方が幸せだ。やっぱり、安くてそれなりに美味しい安牌のラーメンにし続けるべきだった。今までずっとそうしてきたんだから。
挑戦なんてするもんじゃない。
私は食わず嫌いだ。
それは、失敗して後悔するのが嫌だから。
ご飯は幸せな気持ちで食べたい。それだけで満たされたい。

なのに!こんなにも辛い日に!食べるお弁当が不味いだなんて、本当に私がなにか悪いことをしましたか?

そんな日だった。
夢文学ゼミには行かないことにした。しんどいもん、愛猫ナギをもふもふしないと無理です。死にます。

5時半からのバイト。
3限終わりは15時前、家に滞在できる時間は1時間とちょっとぐらいか。
と帰ってきた私を尻目に、寝床で寝続けるナギ。もういいもん、と拗ねる私も寝ることに。

だって頭痛いんだもん!
ずっと一日頭痛に取り憑かれていた。
吐き気もするし、本当に最悪だ。

アラームをセットして、寝る。そんな簡単に眠りに付けないけど、目を瞑るだけでも意義があるさ。

ふと、アラームが響く。んぁぁ……。
眠すぎる、けど、少しスッキリはした。

寒い中、自転車を走らせる。
2分ほど遅れたけど、私はそもそも締め作業の時にさえいれば良いのです。

さて、結果としてこの日はお客さんは誰も来ませんでした。お店のスタイルとして、ランチに重きが置かれていて、ディナー営業は最近始めたばっかりだから浸透してないのです。だから、仕方がない。

よって、私たちは色んな作業を丁寧に教わることが出来るのである。
これは、もはや新人研修の期間なのだ。
料理の工程を教えてくれ、場所の配置を覚え、沢山の作業を身につける。
穏やかに進む時間。

私たちディナー組の仕事は、翌日の料理の下ごしらえをすること、
と捉えてもいいかもしれない。

本日は、
さつまいもを剥いて、お惣菜を作る。
南蛮漬けのためのいわしを揚げる。
お惣菜を小分けするために小皿によそっておく。
新作のお鍋を作って味見してみよう。

そして、
そのお鍋のポスターを作る。

どうしようもなく平和で、幸せな時間だ。
これの何がいいかって、料理を覚えられるのです。

もともと、家でご飯を作るし、料理は得意な方だ。だけど、それはあくまで家庭料理であり、我が家の料理なんだ。
だから、他人の料理を覚えることが出来る機会というのはとても有難い。

私にとっては簡単な作業だけど、男子高校生であるRくんには全部が初めての調理工程のようで、ドキドキハラハラの作業なんだ。

斜めで切ったり、細さを調節したり、そういうことが彼には難しい。
違う、無意識でやっていることが意外と色んな観察と思考で出来上がっているんだ。
料理にするということは、そういう複雑なことを同時多発的に行っている。
当たり前のように母はやってくれていたけれど、それはとても凄いことだったということに気づく。
私も出来るようになったのは、母が教えてくれていたからだろう。

包丁はリズム感よ。

母が前に言っていたことを思い出す。
私と兄は人参を切るのが苦手だ。
上手いこと切れないのは、ゆっくりやりすぎているからだという。トントントントンとリズムを刻むようにサッサっとする。
たぶん、力が入りすぎているんだ。
適度に力を抜くことで、リズムを刻むことができるんだろう。

そんなことをRくんの動きを見ていて思った。

私がその後の切る作業をすることになったので、すぐに対応をする。
そして、それをMさんに見せたら「何やらせても上手いなぁ、ホンマに助かるわ」と言ってくれた。それが本当に幸せだった。

そして、お鍋のポスターを描く。

正直、絵に自信はない。いや、ある程度のクオリティには出来るとは思っているけど、残念ながら私の大学は芸術大学で文章を専攻しているはずの人間ですら、めっちゃ絵が上手い。怖い。レベルが違うので、絵が描けるなんて言えっこない。

だからこそ、適当にまあどうにかやってやれ!と思って制作していた。

そのポスターがこちらです。
え、めっちゃ良くない?頑張った。
まあ、大学の同期に見せたら、、、恐怖ですね。
限りのあるペンの中で、どうにか出来たかな。
いや、正直微妙になってしまったとも思っていた。

だけど、Mさんが
「何やらせても上手いなぁ」
と改めて言ってくれたのだ。

上手いと思ってくださっている。それが嬉しくて仕方がない。

私は失敗が怖い。
完璧でありたい。
出来るだけ、何もかも正しくありたい。
褒められる存在でありたい。
全部出来がいいと思われたい。

そういう承認欲求と自己顕示欲ともっと黒い何かが私を満たしている。
名誉欲が強いし、出来なかったら自己批判を繰り返す。
失敗が怖いんだ。
なんでかは知らない、きっと小学生のときに非を作ったら一瞬で被害を訴えることを許されなくなるからだ。

私は完璧でなければならないって思い込んでいる。
そうでなければ価値がないんだって。
だから、少しでも発表で失敗をすると全否定されたように思えて辛い。

だけど、Rくんを見てて思う。
そんなに気にしなくていいんだと。
出来ないことがあったって、別にいい。
他者になんと言われようと、そもそも出来ないことなんだから自分は悪くない、とまでは言わないけどそんなに初めての時は凹む必要ないよね。

みんなもっと気楽に生きているんだろう。
肩に力が入りすぎているんだ、私は。
肩に力を入れて頑張ったのに、ダメだと言われるとその頑張りもダメだと言われたように思えて凹む。
悪循環とはこのことだ。
適度に力を抜けばいい。
出来ることはやればいい。

料理はできる。
だから、このお店では役に立つ。
B店にとっては、とても必要な存在らしい。料理ができて、他のことを頑張れて、たくさん出勤できる人。私はきっとその需要にあっている。
そして、私の出来ることを出来るだけやるだけでいいから、私は肩に力を入れずとも過ごすことが出来る。

A店は、難しい。お酒が飲めないから、関心も少ないから、力が入って空回りする。
きっと、この店に私は需要がない。

なら、B店で働こうよ。いっぱい力を注ぎたいって思うんだ。

丁寧に楽しく仕事が出来るのは、こういう場所だった。
長くなったけど、終着点はよく分からない。
ただ、少しだけ進むことが出来る気がする。
もっと適当に生きていこう。そう思うのです。

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